☆44 誰かの一番になることは奇跡に近い
ルドルフにボロボロにしごかれた後、旅立ちの荷物を背負った俺は食神殿の用意した世話人や護衛達が準備を進めるのをぼんやり眺めていた。
「これはどうも、お初にお目にかかります。神のいとし子様」
ねっとりとした声の青年が、マケインに向かって挨拶を交わす。視線を動かした俺の正面にいるのは、目にかかるほどの深緑の髪をした皮肉っぽい笑みを浮かべる神官だった。
ワカメのような髪をしているな、という印象が先に立つ。
「あ……どうも」
「私は食神殿に所属します一神官のグレイ・リーフェン。トレイズ様に何不自由がないよう、ダムソン様直々に旅の最中のお世話を申しつかっております」
どこか皮肉がかった口調だ。
黒の眼差しが俺に向かって不服従の精神があることを伝えてくる。
「グレイさんは……、その、俺のことはどう思ってるんですか?」
我ながらマケインは馬鹿なことを聞いたと思った。
こんな目をしている男が、邪魔者である俺のことをよく思うはずもない。
「……あくまでも私はダムソン様の命令で動いております。彼のお方がどんなに貧相な貧乏貴族の貴方様でも崇めよというのであれば、それも致し方ないことかと」
つまりはダムソンの命令がなかったら誰がお前なんかと関わり合いになるか! という意味だ。
冷や汗がだらだら流れてくるマケインに、グレイはため息を吐く。本来であれば、このような薄汚いガキなんぞ、トレイズ神の視界に入ることすら許せやしないというのがこれまで聖職者として人生を送ってきたグレイの本音だった。
恐らくは、何かこずるいからくりがあるはずだ。トレイズ神もダムソン神官長もこの少年の悪しき偽りに騙されているとしか思えない。その疑いを抱いてしまうほどに、誰もが手放しでマケイン・モスキークのことへ不自然な称賛を向けているのだ。
確かに、あの柔らかなパンを食べた時にはグレイだってそれなりの感動はあった。だが、もしもそれすらも貴族である少年自身の功績によるものだという証拠はどこにある?
ドグマ少年が行ったように革新的発明を行った平民から権利を買い上げただけなのではないかという疑いをグレイが抱くのは、この世界では当然のことであった。
「この旅の間、貴方様の様子は事細かにダムソン様へと報告させていただきます。何か疑わしき悪行の素振りでも見せれば、私は刺し違えになってでも貴殿に剣を向けましょう」
「は、はあ……」
「明言しますと、私はトレイズ様のいとし子として選ばれた貴方様のどこにそのような素質があったのかまるで分かりません」
マケインは即座に理解した。
この青年神官は、要はマケインに対して疑心を持っているのである。
呆気にとられているこちらに鼻を鳴らし、グレイは神官服を翻しながらその場を離れていく。そこに、可憐なワンピースに身を包んだトレイズが笑顔でマケインの下へ駆け寄ってきた。
「見てみて! このドレス、小花の刺繍を散らしてあるの! 綺麗でしょう?」
黄色や水色の花々や若草の模様が縫い上げられた軽装のドレスがトレイズのターンでふわりと舞い上がった。そのはしゃいだ様子を眩しく思いながらマケインは見つめる。
「……そうだな、まあまあいいんじゃないか」
素直に彼女へ触れることが躊躇われ、マケインは視線を逸らしながらもごもごと答える。すると、その遠慮がちな言葉にムッとした食神は、少年の頬を両手でつかんで強引に向き直らせた。
「……どうしたの? 顔色が悪いけど」
「いいや、なんでもないんだ!」
まさか先ほど会話したグレイのことを馬鹿正直に話すわけにもいかない。
トレイズはこんな風に普通の女の子のように振舞ってはいるけれど、その本質がかなりの暴君だということをマケインはとっくに気付いていた。
「なにか悩み事があるなら話した方が楽になるわよ?」
「……話すほどのことじゃあない」
「まさかあたしが信用できないっていうの?」
トレイズの言葉に、マケインはうっかりそれを肯定する。
「うーん、いつでも信じられるかられないかっていうと……」
トレイズが暴走した時に止められる自信があまりない。
「まあ!」
トレイズ・フィンパッションは憤慨した。
せっかく心配しているというのに、なんと酷い発言だろう! 表情がみるみるうちに歪んでいくトレイズの姿に気付かず、マケインは笑った。
「そうだな、エイリスの方が悩み事を相談できる点では穏やかで安心かもしれないし……」
「まあ!」
この場合の「まあ!」は、「なんて失礼なことをいうのでしょう!」の「まあ」である。出発前だというのに、トレイズは俯いて下を見た。
自分はこんなにマケインのことを好きだというのに、どうしていつもこんな風な意地悪なことばかり言われてしまうのか。
君の側にいたい、と言ってくれたのは嘘だったのか。やはり、マケインは自分のことよりも本当は付き合いの長いエイリスのことが好きなのではないだろうか。
萎れた野花のようになったトレイズは、無言で馬車に乗って膝を抱える。すっかり意気消沈してしまった彼女の不安定な視界に、エイリスと仲良く話すマケインの姿が映った。
「……分かってるわ」
本当は誰かの一番になるのは、奇跡みたいなことなんだって。
それでもいいから、今は彼と一緒にいたいって思ってるの。
たった一人でこの世界に飛び込んだあたしには、それだけしかないの……。
不自然なぐらいに、道中のトレイズはマケインによそよそしかった。馬車の中で物静かに風景を眺めていると思いきや、些細なことでぎこちなく笑って逃げる。
「これって避けられてるよなあ……」
何が悪かったのかは分からない。まさか、グレイに余計な言葉でもかけられたのだろうかと思い、問いただしに行こうとすると。そんな俺をエイリスが止めた。
「マケイン様、それは止めた方がいいです」
「どうしてだ?」
「トレイズ様は、意図があってそうしているわけではないと思います。不必要に騒ぎ立てたら、余計にお辛い思いをされてしまいます」
「だったらなぜ……」
「恐らくは、乗り物酔いではないでしょうか?」
エイリスが訳知り顔で言い放った。
唖然としたマケインはメイドの発言を咀嚼してから、「乗り物酔い、ねえ……」と呟いた。
「恥ずかしくて言えないんですよ、分かります。普段と違うように見えるのは、きっと馬車の振動がお辛かったのです」
「なるほど! そういうことか!」
この場に誰か大人がいたら二人の誤解を修正してくれたかもしれない。けれど、若干のエイリスの天然発言にすっかり納得したマケインは、やる気を出してこう言った。
「よし! じゃあ次の街でトレイズの乗り物酔いの薬を買いに行こう! エイリス!」
「そうですね! マケイン様!」
「この次の街ってどこだ?」
「リュール宿場町です」
宿場町というのは、王都へ向かう旅路の休憩地点として栄えた町のことである。モスキーク領から出て、一週間ほど馬車に乗った先にある。
馬車の窓を開けると、長く続く道の先で家々が立ち並ぶ町の輪郭が次第に見えてきていた。
「お……!」
久しぶりの街だ。
爽やかな風が吹き、少年の前髪を散らした。




