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☆43 夢の中にでできた怨念




 出発の前の夜。妙な夢を見た。


ここはどこだろう? 不思議なことに、自分が夢を見ているということだけは理解している。

変なものを見るな、と思った。ここ最近、ずっと忙しくしていたせいで疲労が蓄積していたのだろうか。

どこまでも暗い闇の中、朧気おぼろげに誰かの存在を感じる。

此処には何か得体のしれないものがんでいる。それだけが分かった。

クスクスと笑う声と優雅に動く白い指が。カラスの濡羽よりも深い漆黒に浮かび上がる。

その存在は、両手両足をかせによって拘束された一人の少女だった。

伸びる鎖はどこまでも長く、闇の果てはない。


「ふふっ ……こんばんは、異界の君」

相手の顔が分からないほどの闇。その中で、紅の唇が愉悦気ゆえつげうたっている。トレイズや両親にさえもいってない最大の秘密を言い当てられたマケインはぞわりと背筋に鳥肌が立つ。


「……警戒しないで」

するりと氷の様に冷たいてのひらがこちらの手を握った。

見えない顔はどこか微笑んでいるようにも見え、果たして今の自分は細市なのかマケインなのか。自我の在り処がよく分からなくなっていく。



「俺のことを知っているなんて、アンタは……誰だ」

 思わず彼は詰問をしてしまう。

少女はその言葉を聞いても動揺はしなかった。


「それはさほど重要じゃないの。私がどこの誰で、どういった事情を抱えているかなんて、ね。女には秘密がつきものよ」


 びたような口調。

虫を引き付ける毒花のような甘い香りを漂わせ、顔の見えない少女は彼に向かってささやく。ジャラジャラと音を立て。枷と鎖で拘束された両手を祈りの形に組み、口を開いた。


「あなたをあの世界――アムズ・テルへ呼んだのは、私なの。ようやくマケイン、あなたと邪魔が入らず夢を伝って話すことができた」

「……呼んだって……どうしてそんなことをしたんだ?」

 細市はあくまでもごく普通の一般人だったはず。間違っても勇者など英雄になれる素質はないと自覚している。

いぶかしく思う俺に、驚きの発言が向けられた。


「私、アムズ・テルの神々によって不当にこの次元の狭間へ封じられてしまったのだけど……。

永劫の牢獄ろうごくに閉じ込められている間、ずっと色んな世界のことをのぞき見して暇つぶしをしていたのね。そうしたら、日本で息づくあなたの魂を見つけて一目惚れしてしまったの……」


 くすくすと少女は笑う。

不気味だ。

はっきり言って、呪いにも似た言葉だと思った。


「まさか……」

 前世で死ぬきっかけになったあのトラック事故も、この少女が介入したのでは?

しかし、だとすればあれだけのことができるのに何故このように捕まっているのだろう? もしかしたら、この少女にもできることとできないことがあるのか?

確信に近い推測に、胃のが冷え込む。俺が慌てて少女の冷たい手を払いのけて距離をとろうとすると、彼女は悲しそうに呟いた。


「どうして逃げるの?」


「…………っ どうしてって」

「あの憎い女とはあんなに仲良く話していたくせに、どうして私にはそんな顔をするの?」


「トレイズは関係ない!」

 ぞっとした彼が叫ぶと、少女は狂ったように笑った。


「壊してやるわ! あなたをとりこにしているあの下品な女も! アムズ・テルも、神々も、私を拒絶する全ての民を! あなた以外の総てを殺してもう一度はじめからやり直すのよ……」

 少女は唄う。

逆襲の呪いを、紡いで笑う。


「私はね、その血塗られた玉座の為に恋したあなたを呼んだの」

「俺は望んでない……!」

「あなたが望まなくても私が望むわ」


 気が付くと、夢の中。マケインの首に少女の手がかかっていた。

呼吸困難になるほどの強さで絞められながら、こちらの視界に相手の容貌がようやく映る。

その美しくも整った顔は、余りにも少年の知っている誰かに似ていたものだから。心臓が跳ね、思考は止まった。

「……あぁ、もぅ――」




 ――ハッと目覚めると、マケインは腹部の圧迫感にむせた。

涙が瞬きで伝う。何の重みかと思って見上げると、ルリイが兄の腹の上で悪びれない表情をして座っていた。

夢は途切れ、今いる場所そのものが現実だと再認識する。


「兄ちゃ、朝だよ」

「お、おう……」

 何か、よくない夢を見ていた気がする。そうと分かっているのに、何があったのか思い出せない。

不吉な白い指。女性の笑い声……。

記憶にあるのはそれぐらいだ。


「お兄ちゃん、首、どうしたの?」

「ん? 首?」

 鏡を見て、と促され、くもった金属の鏡でマケインは起き抜けに己の姿を観察する。

まるで何者かに絞められたかのような赤いあざが首回りに出現しているのに気づき、思わず男らしくない悲鳴を上げそうになる。

こ、ここ、これって!


「なんだこの指のあと! 誰が俺が寝ている最中にっ」

 いや冷静になれ。この家の中でこんな風に俺に危害を与えようとしてくる人間なんているはずがない。もしも外部の犯行だとしても、こんな中途半端なことをするものか。


「まるで幽霊がやったみたいです」

 青ざめたマケインの首を見たエイリスが、そう言って唇をきゅっと結んだ。


「ちょっと待ってエイリス。この世界って幽霊だなんているんだっけ」

「たまにいますよ?」

「もはや何でもありだな……」

 気を強く持とう。一々こんなことで驚いていたら身が持たない。

渋面を浮かべた俺を見て、朝から非常食のパンを包んでいたトレイズが面白くなさそうな顔でこちらへ視線を送る。


「それにしたって、妖精たちも人のものに一晩で好き勝手してくれたものね」

「妖精? 人のもの?」


「こういった悪戯は妖精のしわざってよく言うでしょ!」

「で、人のものっていうのは?」


「そ、それは云わなくても……察して?」

とトレイズがほんのり赤くなって首を傾ける。うるんだ瞳と上気じょうきした頬がかくも可愛らしい。それを見ただけでマケインはいくらでも目の前のスープを飲み干せそうな心境になった。


カラン……。

「兄貴、スプーンが床に落ちたわよ」

 唇を尖らせ、ミリアが声をかけてくる。


「そ、そうだ! 親父が出立前の最後の剣の稽古だっていってたんだ!」

 慌ててスプーンを拾い、行儀にうるさいマリラが眉を潜めるのを無視してガツガツと食べる。それが終わったら、いよいよモスキーク領からの旅の出発だ!





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