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☆39 アンタみたいな騎士なんかいらない




 普通なら平民が貴族に手を上げたのだ、打ち首になるのは当然のことだった。けれど、その場にいてエイリスに助けられたこの国でも有数の高位貴族、ベルクシュタイン伯爵とダムソンの身分を考えれば情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地は充分にある。


「いたたたた……」

 『と殺』スキルを使った後、マケインの肩と腕は負傷で動かせなくなっていた。どうやら無理やり剣を使った反動で、さながら関節を傷めたような形になったらしい。


「……ふん」

 その様子を見て伯爵は鼻で笑う。

マントをひるがえし、カツカツと従者を従えて神殿から立ち去っていく。その後をアルミとカラット子爵が追って消えた。そんな彼らの後ろ姿を冷や汗を滲ませて見送ったマケインに慌てたルドルフが声を掛けた。


「お前は、なんてことをするんだ!」

「え?」


「見たこともないスキルを使っていたが、そんなことでどうにかなるとでも思ったのか!? トレイズ様を危険な目にわせただけじゃない! 今の自分がどうして怪我をしたのかまるで分かっていないだろう!」

「確かに武器を壊したのは賭けでしたけど……」


「あの剣が壊れたのは運が良かっただけに過ぎない。随分使い込まれた様子だったから刀身が摩耗まもうしていたんだろう。俺の見た限り、お前は人間の可動域では使わないような動きで剣を振っていたから、それで関節を痛めたんだ」


 赤く腫れてきた肩と腕を見て、ルドルフは説教を続ける。


「オークを倒したと聞いていたが、見て分かった。お前のその戦い方は剣術とは程遠い。急所を狙うのは間違ってはいないが、少しでも真面目に修行した人間なら防ぐことぐらいできるし、何より自分の身体がばらけてしまったら守りたいものも守れないだろう!」

「……う、父上」


「その戦い方は油断している相手への一見騙いちげんだましのようなものだ、過信をするといつか必ず死ぬぞ……」

 そう言い聞かせているルドルフに、ダムソンが咳払いをする。


「ゴホン、男爵よ。そうは言ってもマケイン殿のとっさの判断で最悪の事態はまぬがれたのじゃ。そのことはきちんと称賛しょうさんされるべきだとは思わないかのう」

「いいや、神官長様。ここは親として指導を入れねばならないところなのです」


「女神様を守り、伯爵を守り、そして儂のことまで助けてくださった。もしもあのまま後手にまわっていたならば、もっと大事になっていたやもしれぬ。カラット家には必ず抗議と制裁を下さねばならないじゃろう」

 崖の下に突き飛ばされたような心境で俯いていたマケインを目に、ダムソンが穏やかに話す。この老人の一言にそこまでの権力があることに驚きながらも、マケインの鼻腔びこうに花のような香りが届いた。


「ありがとう、あなた」

 床にひざをつき、鼻声のトレイズがそう言った。

視線を移動させると、彼女の頭から茶色いカツラがとれて落ちる。ぱさりと音を立てたそれを見て、マケインはぎこちない動きでトレイズの頭をぜた。


「痛い?」

「ううん、なんてことないさ」

 マケインは少し格好をつけた。実際、まだ骨折をするよりは痛くない。

細市として生きていた時。前世でトラックにかれた死に際の痛みを思い出し、まだ耐えられる範囲だと思考が巡った。


「マケイン様ぁ……」

 エイリスは腰が抜けて立てなくなったらしい。

へなへなと隣で崩れ落ちたメイドも安堵で泣きながらマケインに抱きついてくる。


「二人とも、ごめんな。こんな締まらない守り方で」

「いいのよ。おとぎ話の英雄だって実際は土臭いものだわ」

「しょ、処刑に……。処刑にい……」

 彼女達の柔らかい温もりを感じながらマケインはあることを思い出す。気がかりなのは、カラット家に雇われていたコックの今後だ。

眼球を動かすと、部屋の隅で居心地悪そうに立ち尽くしている三人の料理人がいた。目と目が合い、彼らは意を決してこちらへ話しかけてくる。


「あの、モスキーク男爵様とマケイン様!」

「……なんだ?」

「どうか私達のことを奴隷どれいにとってはくださいませんでしょうか?」

 マケインは予想外の言葉に仰天ぎょうてんする。

どこかでそれを予想していたといった顔になった男爵は、不機嫌そうに彼らをじろりとにらむ。


「それはカラット家から離れてモスキーク家の庇護ひごを得たいということか? 残念だが我が家に三人も敵方の料理人をおいておく余裕などない」

「ですが! 私達はマケイン様の御作りになった神々しい素晴らしき料理に感銘かんめいを受けました! このままカラット家に殺されてしまうのであれば、その神技を学び、平民としての身分を捨てたっていい」

「ううむ……」

 よく見たら、カラット家で雇われていたコックの一人は年若い少女だった。髪は少年のように短いが、それなりに可愛い顔をしており。同じコックの男二人よりも勇敢ゆうかんにモスキーク家と交渉している。

その迷いのない決意に今度は親父が言葉に詰まった。


「弟子にとるぐらい許してもいいのではない?」

 トレイズが鈴のなるような声でそう話した。


「しかし……」

「これから先、決闘のことが王国中に知られたら、マケインの料理を食べてみたい人間は山のようにできるわ。人間の好奇心というものはすごいのよ。それを全部旦那様に作ってもらうなんて不可能だもの。奴隷ならレシピの流出もないし、彼らも拷問ごうもんされて殺されるよりはマシかもしれないわ。弟子をとっておいた方が今後の為になるわよ」


「しかし、弟子入り志願者の奴隷にただ飯を食べさせるような余裕はどこにも……」

「そこは大丈夫。彼らには自分で稼がせればいいのよ」

 うなり声を上げているダムソンに、トレイズは人差し指を立ててウインクをする。萌黄の瞳は楽しそうにキラキラした。


「ひと段落したら、このモスキーク領で旦那様の店を開きましょう!」

「店え!?」

 恐ろしいことに、トレイズは本気で言っている。

聞き間違えかと思ったが、これまでの経験で分かった。

あんぐり口を開けたマケインを無視して、大人たちは納得したように頷いた。


「そうですな、カラット家から金貨も入ることですし」

「まずはこのモスキーク領で始めれば、自然と領地も豊かになるという寸法じゃな。悪くはあるまいて」


「だとすれば、マリラの実家に相談してみましょう。何か助言をもらえるかもしれない。経営にはマケインを任せない方がいいでしょうな。この息子は金もうけになると途端とたんに馬鹿になる」

「目先の損得を考えないそれは貴殿とよく似ておるよ、モスキーク男爵」


「む……」

 モスキーク男爵は狼狽うろたえたように表情を変える。

その僅かな変化を見て、マケインは父の態度にどこか違和感を覚えた。




 夕刻の日差しが差し込む。

「あのさ、トレイズ」

 ベッドに腰かけたマケインは、治療の終わった肩を動かして、隣にいた少女に話しかける。


「なあに、旦那様」

「俺、もう少しだけ……君の側にいてもいいかな」

 ずっと考えていた言葉を口にすることに、照れくささと緊張を覚えながら、少年は懸命に話した。


「いつまでもってわけにはいかないかもしれない。今は俺のことを好きでも、料理が広まってくれば俺なんかと無理に一緒にいる必要はなくなる。寿命だって全然違う。もしかしたら明日にでも、俺は誰かに刺されて野垂のたれ死ぬかもしれない。だけどさ、それまでの間でもいいから、俺に君のことを守らせて欲しいんだ」

「…………」

 トレイズは、深々とため息をつく。


「……この朴念仁ぼくねんじん。何にも分かっていないんだわ」

「え?」

「いいわ。死ぬまで一緒にいてあげる」

 腕組みをしたトレイズは、隣のベッドに座っているマケインを勢いよく押し倒した。古臭い毛布の感触を背中に感じながら、少年は覆いかぶさっているトレイズの吐息に驚く。


「……好きよ」

 唇に柔らかいものが当たった。

少し遅れてキスされたことに気が付く。握った少年の掌を、自分の胸に当てた。


「分かってよね。意味ぐらい」

「……う、」

 うわーーーー!

驚愕の事態に、マケインは思わずトレイズのことを突き飛ばす。逃げ出そうとした少年の態度に呆然としているトレイズに、叫んだ。


「そういうことはいけないと思う!」

「へ?」


「交際しているわけでもない男女が、こういうことはしていけないと思うんだ!」

「交際しているわけでもないって……今更」


「ましてや、俺とトレイズは結ばれてはいけない間柄だし、夫婦でもなんでもない……主人と騎士のような清い関係だし! 誘惑には興奮したけど、ついでにトレイズの胸は平らでびっくりした! 女の子の胸が全然柔らかくないことってあるんだな、うん!」

 その余計な一言、二言、三言にトレイズ・フィンパッションは目元を暗くして無表情になった。


「……あっそう、あれだけのことを言っておきながら、まだ夫婦じゃないって言い張るの……。しかも、あたしの胸、そんなに堅かったのね。ふーん」

 ブリザードが吹雪いている。思わずマケインは壁際に後ずさりする。けれど、大嵐の前で逃げ惑う草食獣はちり芥のようなものである。

マケインの頬を平手打ちにして、怒れるトレイズは叫んだ。


「アンタみたいな騎士なんかいらないわよ! この馬鹿!」









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