☆38 勝負と決着
まず運ばれたのは、カラット子爵家の雇った料理人の作ったスープだった。実にオドオドとした佇まいの料理人達は、今にも許されるなら逃げ出したそうな様子だった。
「ほお……これは!」
「ぞっ、臓物と木の実を入れたワインの煮込みスープでございます」
「見てくだされ、この深みのある紫色を! これぞアステラ王国の伝統食! まだ豊かでなかった王国の建国から伝わっている歴史ある一皿ですぞ!」
唾を飛ばしながらカラット子爵が大きな声で話す。
「カラット子爵よ、当たり前のことではあるが、これは毒見はもう済んであるのであろうな?」
「勿論ですとも、伯爵。万が一のことが起こらないよう、あらかじめここの神官に毒見を全てさせた後に運んできております故」
「ふん……ならよい」
伯爵、と呼ばれた高位貴族の男は感情を表に出さずに、洗練された所作で出されたスープをすくって口に運ぶ。
ダムソンとルドルフも同じように食べようとするが、一口食べただけで脂汗をかき始めた。
「……ダムソン様、御無理をなさらず」
「まさかこれほどに自分の味覚が変わってしもうたとは思わなんだ……昔は喜んで食べたものだったんじゃがのう」
隣同士の二人は聞こえないように囁きあい、目と目で通じ合った。
「……悪くない」
すると、強面の伯爵は空気を読めずにそう言いだす。
「そうでしょうそうでしょう!」
「臓物のスープはもう食べ飽きたと思っていたが、この酸味と香ばしさのバランスがいい。使われているスパイスも惜しまず入れたな」
「なんてったって、今城下でも人気の店でありますからな! この店は貴族でも予約をとらなければ行かれないという噂でして、私もこの勝負に連れてくるのに幾ら支払ったものかと……」
アルミは得意満面の笑みだ。
しかし! 褒められれば褒められるほど、コック達の顔色がない。
むしろこの場で立っていられる方が不思議なほどに白色を通り越して灰色だ。マケインは、次に運ぶ皿の近くで待機しながら、だんだん針のむしろになっていく会話を思考停止しながら聞いていた。
「は、伯爵。そろそろ……次の皿に移ってはくれないか」
半ば苦行でスープを食べていたダムソンが、ギブアップをする。
「そうだな。これで腹を満たしては、モスキーク男爵家が気の毒というものだ」
そう言いながら、伯爵は満足そうな顔になる。
もうどちらを勝たせるか決めてしまったような態度に不安を覚えるも、マケインは意志を強くもって審査員の前に現れた。
「……本日は、このような決闘の席にお付き合いしていただき感謝しております」
「君は……」
「私の名は、マケイン・モスキーク。モスキーク男爵家の長子です」
普段とは口調を変え。凛とした顔で頭を下げると、目の前に座っている伯爵が興味深そうにマケインのことを見つめていた。
「な……っ」
アルミがようやく一目ぼれした少女の正体を察し、愕然としている。そちらに視線を送らないように注意しながら皿を運ばせていると、その中身を一瞥したダムソンの表情が明らかに良くなった。
「見たことのない料理じゃのう」
ダムソンが期待に満ちた口調でそう呟く。マケインは今が勝負とばかりに一気に攻勢へ転じた。
「これは、ハンバーガーという食べ物です」
「はんばあがあ?」
「肉をこねて作ったハンバーグを野菜と一緒に俺の作ったパンで挟んであります。だからハンバーガーです」
「肉を、こねる?」
ダムソンが怪訝そうにクエスチョンマークをとばす。それはそうだろう、この世界では恐らくひき肉料理はそこまで発達していない。堅い肉を柔らかくする為に煮込み料理が発達し、その手間がなく食べられるから香辛料で臭いを消した臓物が人気になっているのだ。
「その説明は後でしますので、温かいうちに召しあがってみてください」
「そんな必要はない! このような不気味な食べ物を伯爵と神官長様に食べていただけるものか!」
アルミが叫ぶ。
「王国の伝統食はスープと決まっているんだ! その文化を軽視したような食事を作るなど、もはや反逆と同義!」
真っ赤になりながらそう言われ、怒りでルドルフが立ち上がろうとする。それを慌てて俺とエイリスが止めに入った。
そこに、一口食したダムソン神官長が感嘆の声を上げた。
「……これは美味じゃのう! なんっと素晴らしい!」
「……ダムソン様もそう言って……!」
「マケイン殿、このパンはこうやって食べることを最初から念頭に置いてあったのか!? だとすれば、貴殿は儂の一枚も二枚も上手をいったことになるぞっ」
アルミの怒鳴り声をさえぎって、ダムソンがハンバーガーを頬張りながら大喜びしている。
「毒見はすませてあるようじゃ、お主らも食べてみるがよい……加護をもらったばかりの子どものすることに目くじらを立てるものではなかろう」
その口ぶりに、ルドルフと伯爵がようやく黙ってハンバーガーに手を付けた。
「ふむ……」
「…………」
綺麗にナイフとフォークで切り分けながら伯爵はマケインの作った料理を食べ進める。優雅で、加えて繊細さすら感じられる指先で黙々と口で味わい、その途中でひとごこちつけようと先ほどカラット家が出した汁物を一口含んだ。
――高貴な伯爵は、耐えきれずスープにむせた。
王国の伝統料理をナプキンに吐き戻し、ゴホゴホと咳をしている! 先ほどまでの冷静沈着だった態度はどこえやら、怒りを押し殺せずに苦言を発した。
「なんだこの料理は……!」
「は、伯爵? そこまでモスキーク男爵家の貧相な料理がお口に合わず……」
「私が云っているのはモスキーク男爵家に対してではない! カラット子爵、お前に云っておるのだ!」
呆然とカラット子爵が口を半開きにする。
「このハンバーガー、という料理の後に食べてみたら、お前の出したものは殺人的なものだぞ! 私達貴族がこれまで贅を尽くしていたと思い込んで食したものはとんだ生ごみだ!」
「そ、そんな……」
悪徳貴族が思い描いていた砂上の楼閣が崩れ落ちていく。
カラット子爵の皿にあったハンバーガーを乱暴に食べてみたアルミは、衝撃に目を見開いた。
「なんだ……これは……」
「一体、私達が信じていたものとはなんであったのか……。ダムソン、貴方はとんだ怪物を秘蔵していたということだ」
イライラとしたように伯爵は宣言する。
「勝者は決まりだな。マケイン少年、君のものだ」
「では……」
「もう二度とカラット家には君の周囲に手出しをさせない。それと一緒に、迷惑料として金貨十枚を彼らに払わせよう」
「そのような約束はしていなかったはず……っ」
「最初からモスキーク男爵家を軽く見ていたからそういうことになるのだ。子爵、それぐらい甘んじて受け入れたまえ」
ぎろりとした目でそう威圧をかけ、伯爵は意味深に笑う。
「面白い、面白いぞ。マケイン少年。君の存在は実に愉快だ」
「は……?」
「食神の加護をもらい、あまつさえ彼女の寵愛を受ける君のことは、我がベルクシュタイン伯爵家でも聞いてはいた。だが……まさかここまでだとは想定外だ」
「…………」
ベルクシュタイン伯爵、と名乗った壮年の男はくつくつと笑う。
「はっきり言おう。何か人には言えないような手段で女神の関心を引いているのであれば、君のことを粛正しようと思って今日はここに来ていたのだ。だが、君がこの世界で『本物』たりえるのであればそのようなことは些事でしかない」
「……本物とは?」
「それはこれから君自身が知っていくことだ。ただ……君のその髪と目の色はあまり見ていていい気分はしないな」
言われている言葉の意味が分からない。
ただ、言えることは俺がどれだけの危うい薄氷の上にいたのかということだった。
ベルクシュタイン伯爵は見定めるような目でマケインの方を睨むと、彼は獰猛な笑顔を浮かべる。
「……ありがとうございます」
マケインがそう言った瞬間に、近くにいたアルミが怒髪天をつく勢いで自分の帯刀していた剣を抜いた。勝負を見守っていたトレイズの腕を掴み、発狂したように叫ぶ。
「私のことを……カラット家を男爵家風情が馬鹿にしやがって……っ」
「……なにを!」
「この生意気な小娘もマケインのことも斬り殺してくれる!! 死ねえ!」
その瞬間、視界がやけにゆっくり動いたように映った。
誰も動けない。助けるのが咄嗟のことで周りは間に合わない。
ジェフの言葉を思い出す。
……俺だけに笑って欲しいとか、そんなことは言わない。同じレベルまで落として縛り付けようとも思わない。だけど、今ここでトレイズを助けられるのは、俺しかいない!
神様。
「動けええええええ!!」
――俺が唯一できること。
『と殺』スキルをアイツの剣にぶち当てて、勢いを相殺する!
鮮やかにスキルが発動する。
破片が散った。
バラバラに、金属が割れた。
マケインの持っていた子ども用の剣によって急所を狙われたアルミ・カラットの片手剣が真ん中で切断される。
それと一緒にこちらの剣もひしゃげてしまった。
驚愕にアルミが絶句する。そんな奴のみぞおちをトレイズが拳で殴り、頭蓋骨を後ろから近付いてきたエイリスがフライパンで思いっきり殴打する音がした。
「わ、私……お貴族様にやっちゃいましたぁ! もしかして、これって処刑されてしまいますかあ!?」
ぐらりと崩れたアルミが脳震とうで気絶し、それを見下ろしたエイリスが涙声で叫ぶ。
突然の危機に無我夢中だったらしい。
気まずい沈黙が辺りに漂い。ダムソンが咳払いをした。
「……いや、この場合はむしろ高位貴族の儂らが助かったから処刑は免れるじゃろう」
そういう問題なのか。
いや、そういう問題らしかった。




