☆32 決闘の約束
少し古くはあるが、貴族らしい衣装を身にまとったドグマの父、カラット子爵は俺たちの店を見てフンと、鼻を鳴らした。その隣に立つ青年は、薄い唇をめくってこう言った。
「これはこれは、なんという有様だ。仮にも貴族たるものが庶民のパンごときで商いを始めようとするなど、どこまで彼の男爵家は落ちぶれれば気が済むのか」
その冷たい言葉を合図に人の波が止まる。
一個のパンを手に取ったドグマの兄は、これみよがしな仕草でそれを地面に落とし、自分の靴で踏みにじって見せた。
その光景を見て、トレイズの瞳が大きくなる。
「……お前の犯した神殿での罪は聞いたぞ、しかもこの下賤の店をのうのうと生き長らえて手伝っているとは、一体どういうことだ。ドグマ」
「…………っ」
ドグマの頬からは血の気が引いている。言葉も失い、小刻みに震え始めた末息子の様子をチラリと見て、子爵は低い声で言った。
「ドグマ。お前はこれ以上我が家の恥を外で晒すつもりか?」
一緒に来たドグマの兄はそれを聞いてニヤニヤ笑っている。
余りにも性格の悪い来訪者に、さてどうしたものかと俺は悩んだ。一応、カラット家はモスキーク家よりも上の爵位を持っている貴族。下手な対応をして機嫌を損ねたら禍根を残してしまうかもしれない。
「この店は、恥ではありません……」
小声で、ドグマは呟いた。
「父上! アルミ兄上! マケイン様の作ったこの店は、決してそんな下等なものではありません!」
「何を云っているのだ貴様!」
力一杯の拳でドグマが殴られ、地面に転がされた。その乱闘の勢いで棚の商品がバウンドする。流石にジェフが子どもであるドグマを庇おうとしたものの、重そうなブーツで蹴飛ばされた。
「ハハハ、平民ごときが逆らおうというのかい? このカラット子爵家の次期後継のアルミに? 一介の商人ごときが!」
「この子を連れて行って、どうするつもりだ……っ」
「神殿を悪行で追放されたような人間は最早子爵家の者にあらず。せめて苦しまないで済むようにしてやろうという愛が分からないのかい?」
つまりは、ドグマの失態で自分たちの立場がこれ以上悪くならないように、肉親の手で処刑しようと思ってこの二人はここに来たのだ。恐らくは、爵位が下のモスキーク家で呑気に仕えていたのも気に入らなかったのだろう……。
どうしたらいい。
どうすれば、ドグマをこの場から逃がすことができるだろうか。
その時、カラット家のアルミの視線が店の奥で怯えていたエイリスの方へ向く。じっくりと舐めるように見回し、高慢な態度で言った。
「いかにも頭の悪そうな女だ……だが、まあ体つきは妥協できなくもない。父上、私はあそこの若い女を迷惑料に貰っていこうと思うのですが」
「ああ、いいのではないかね」
ピクリとトレイズの眉が動く。
止める間もなかった。神である彼女は店の前で両手を広げ、皆を庇うように飛び出した。その凛とした勝気な横顔と恐ろしい真似に、マケインは息を呑む。
「……これ以上の狼藉は止めなさい!」
「ほう?」
彼女はどこまでも真っすぐだ。
子爵の顔が歪む。
「どこの誰かは知らないが、君は我々を貴族だと分かってそう言うのかね?」
どうも変装してきたトレイズのことを少し裕福な平民の女の子だと勘違いをしているらしい。その貧相な胸を見て馬鹿にしたように相手は笑う。
一体どちらの方が不敬に当たるのかひやひやしながら、マケインは青ざめる。
「そうよ。あたしはね、アンタの価値はここの素晴らしいパンよりずうっと下だと思っているわ。地面を這うアリと同じくらい……いえ、それだとアリに失礼ね! アンタなんか生ごみ以下よ!」
強気な言葉に、相手は分かりやすく苛立った。恐らくは貴族である彼らにここまで言った人間は今まで存在しなかったに違いない。明らかに怖いもの知らずすぎる態度に、いくら美少女でも連れて帰りたいとは思わなかったのだろう。乱暴に排除しようとする。
「生意気な小娘め!」
流石に見ていられない!
マケインは咄嗟にトレイズを庇おうと前に出た。
アルミの空を切った指先が俺の被っていたベールに引っかかる。その勢いで露わになった
こちらの顔を見て、向こうは呆けたような表情になった。
殴られるのを覚悟で目を瞑るが、衝撃はない。
「…………?」
ん? 様子がおかしいぞ。
怖々目を開けてみると、あちらさんは魅了された眼差しでうっとりとマケインのことを見つめていた。
「父上」
「な、なんだ。アルミ」
「私は、たった今運命に出会いました」
がしっと青年はマケイン少年の小さな手を掴む。
「可憐な乙女よ、お名前は」
「へ?」
「その上品な仕立てのズボンとシャツの出で立ち、あなたも貧しいとはいえ貴族の令嬢なのでしょう」
マケインは虚ろな目でひくりと口端を引きつらせる。
辺りの人間は噴き出しそうになるのを我慢する。マケインは心の中でこう叫んだ。
――俺は、男だ!!
「ふざけたこと云ってないで……」
抗議しそうになったマケインに、アルミは笑う。
「ふざけてなどいない。あなたのように儚く美しい少女に私は出会ったことがない」
「そんなことはどうでもいい! 営業の迷惑だからとっととここから帰ってくれ! 俺はモスキーク家の人間なんだっ」
「……モスキーク家の?」
あ、なんだか事がこじれる予感。
盲目な青年アルミは、マケインの言葉をさっぱり勘違いした。
モスキーク家の子ども、という意味ではなく、俺をモスキーク家の嫁さんか婚約者の令嬢と誤解をしてくれたのだ。
「ドグマを拾うような恥知らずの家に嫁ぐことはない!」
「はあ!?」
「もしもモスキーク家に弱みでも握られているというのなら、私が決闘を申し込んで正々堂々あなたを取り返して見せようではないか!」
最早最初の目的は何だったのか。アルミのとんでもない言葉に、皆はツッコミたいのを必死に我慢している。
――お前はここに何をしに来たんだ!!
「そんなこと望んでいない!」
「いいじゃない! 決闘しなさいよ!」
パンパン、と手を打ち鳴らし、その場に居合わせた冒険者ギルドの受付嬢、ソネットが仲裁に入った。
「どうせやるなら、ここはギルドで決闘の立ち合いを任せてくれないかな? まさかこないだご加護をもらったばかりの子どもに剣で挑むような大人げない真似はしないでしょ?」
「む……」
「むしろマケイン様の得意分野で勝ってこそ、完全に打ち負かしたと言えるんじゃないかしら?」
複雑そうな顔になったドグマの兄に、俺は屈辱を感じながらも呟く。
「おれ……、わ、私、乱暴な人は嫌い、です」
「そうか、それは仕方ないな」
本来なら男のマケインとしては泣けてくる。こうなったら、なけなしの演技力で交渉するしかない!
剣と魔法の世界で何でもありの決闘になったら、どんな目に遭わされるか分かったものじゃないんだぞ!
「おれ。私、マケイン様は料理が得意だって聞き、ました」
「なるほど、しかし私は料理なんてものはしたことがない。本来まっとうな男子は厨房に入るものではないのだよ、分かるね?」
まるで俺が真っ当な男子ではないかのような発言だな、おい。
マケインのこめかみがぴきっと音を立てる。
「もしもこの勝負でマケイン様が勝ったら、あなたはドグマを殺すのはやめてください。エイリスにも、この商売を含めてモスキーク家の関わる誰にも手出しをしないと約束できますか」
「では、もしもこちらが勝ったなら、モスキーク家の持っている全ての財産をいただくとしよう」
ニヤリとドグマの父は笑う。
「なあに案ずるなアルミ。お前の為ならば、王都の有名料理人を代理に立ててやろう。これでもまだ尚決闘をするというのならな」
「マケインは勝つわ!」
気が付くと、トレイズが叫んでいた。
「娘よ、自分が馬鹿なことを言っていると思わないのかね?」
「誰を連れてこようとも、マケインは勝つわ! あたしは、何があろうと旦那様のことを信じているもの!」
「ふん、では精々首を洗って待っているのだな」
来た時に乗っていた馬車にカラット子爵は引き返す。アルミもマケインの方を見ていやらしい笑いを浮かべ、上機嫌で帰っていった。
騒動の渦中にいたドグマはへなへなと崩れ落ちる。一歩間違えば漏らす寸前だろう。
「ま、マケイン様……」
エイリスが泣きそうになりながらパタパタと走って来る。
「ごめん、あんな方法でしか守れなくて」
悔しさをにじませたマケインの言葉に、エイリスは何も言わずに首を横に振る。そのままぎゅっと抱きしめてきた。
「あたしのことも忘れないで!」
今度はトレイズが対抗馬で抱きついてくる。
萌黄色の瞳を子爵への怒りで輝かせながら、頬は上気して薔薇色になっていた。
「……あーあ、こりゃマリラに怒られるぞぉ。どーしたもんかなあ」
ストーン商会の好青年。ジェフは困り顔でため息をつく。アンタがいながらどうしてこんなことに、と妹からなじられるのは決まり切っていた。
「まあ、なるようになるって」
ソネットはマケインに笑う。
「負けちゃったら玉の輿だね? マケインちゃん」
「お前が言うか!」
いやまあ、ソネットがいなかったらもっと酷い展開もあり得たんだけどさ。だからって今がそんなにいい状況とも言えないわけで。
自分の料理の腕に関して無自覚なマケインは、早速冷や汗をかいていた。
……さて、どーしたらいい!




