☆25 パンを試食してみよう
ほくほくとしたパンが熱くなった灰の中から出てくる。蒸気をのぼらせて美味しそうな匂いを漂わせているそれに、皆は一様に生唾を呑み込んだ。
「あつ、あつっ」
お手玉のように持ちながら、マケインは少年らしく細い指で丸パンの表面についた灰を払い落とす。
「よし、これで……マケイン流天然酵母の丸パンの完成だ!」
マケインは自信たっぷりに丸パンを皆に見せる。まず、反応したのはルリイだ。子供らしく目をげっ歯類のリスのようにきらめかせてパンを見つめた。
「兄ちゃ、これってパンなの?」
「そうだよ、これはふかふかなパンなんだ」
「だって、こんなの一度も見たことない!」
ルリイの驚愕に、ミリアは胡乱げな視線を送った。
「本当にこれって食べられるの? 確かにいい匂いはしているけど……」
「不安なら食べなくてもいいけど」
「べ、べつに誰も食べないとは云ってないじゃないっ」
慌てたようにミリアは、自分の分の丸パンをちゃっかり確保して握りしめた。それを見てマリラは「見苦しいわよ、ミリア」と小言を言う。
「本当に灰の中で焼けるんですね」
エイリスは神秘的なものを見るように呟く。ほんのりと彼女の頬が赤くなっているのは、この部屋の室温がうだるほどに暑くなっているせいだ。
「あー、もう! 窓を開けてもちっとも涼しくならない! どうしてくれるんですか、この暑さ!」
ぶつくさ文句を言っているのはドグマだ。
「どうしてこんな方法でパンが焼けるのか僕には理解できない! 悔しいですが、これで美味しくなかったら怒りますよ」
「実際のところ、俺も理屈としてはあまりよく分からないんだ」
前世でも学問はそこまでできない方だったから、講釈を垂れろと云われてしまうとマケインにとって分が悪い。
「夢で見たパンっていっていたわよね、旦那様」
トレイズが考え込みながら唇を動かした。
「……そうだな。俺にとっては夢(で見るほどに懐かしい)のパンだ」
「不思議な話だわ。どうしてあたしでも知らないようなレシピを、旦那様は夢に見たのかしら。……ふふ、本当にあなたって底知れない」
トレイズはのんびりとした口調で話した。桜色の髪。魅力的な萌黄の瞳。機嫌が良さそうに彼女の口元がほころぶ。桜の花の妖精のような美しさに、俺の心臓は大きく跳ねた。
「……まずは食べてみてくれよ」
素っ気ない表情を取り繕うのに苦労する。
勝手に口がにやけそうになる。
マケインの合図で、皆は一斉にパンをちぎり、頬張った。
「…………なんじゃこりゃあ!?」
それまで黙っていたダムソンが盛大に叫んだ。
「これは……パ、パンなのか!? 天から舞い降りた雲の欠片を食しているかのようじゃ! ふんわりとモチモチ、二つの食感が儂を翻弄しておりますぞ! まるで豊満な貴婦人との恋遊戯にも似たこの至福……っ」
ルドルフも愕然とする。
「……こんなに柔らかいパンがあっていいのか! これを自分の息子が作ったとはとても信じられん……。神殿の人間から天才だと云われた時には言い過ぎだと思ったが、あながち否定できなくなってきたぞ……」
ドグマは無言で大事そうに食べている。気のせいか、その目が潤んでいた。
「兄ちゃ、もっとちょうだい!」
「あ、ずるいわ! こんなにアンタだけ食べるなんて!」
ルリイとミリアの争奪戦に、マリラが一喝する。
「いい加減になさい! お母さんの分も残してくれないと怒るわよ!」
……今のは聞かなかったことにしよう。
マケインがそっと顔の向きを変えて、自分のパンをもぐもぐ咀嚼する。少し膨らみが悪くて酸味が出てしまっているけど、確かにこれは前世で食べたパンだ!
この丸パンを半分に切って、そこに具材を挟めばハンバーガーもサンドイッチも作れるだろう……そんなことをつらつら考えていたところを、瞳をうるうる潤ませたエイリスが身を乗り出してきた。
「マケイン様、私は感動しました!」
見える見える、服の隙間から見えちゃいけないものが見えてる!
反射的に熱くなった鼻の付け根を押さえてマケインは危険地帯から目を逸らす。それにも気づかず、エイリスは実年齢よりも幼い笑顔で笑った。
「私、どこかでマケイン様を自分の弟のように思ってたんです。でも、マケイン様はいつの間にかこんなに御立派に成長なさっていたんですね……」
「そこまですごいことはしていないけど」
「私は本気です! マケイン様さえ良ければ、私……」
そこで、トレイズの目が吊り上がる。萌黄色の瞳に嫉妬の炎が宿りそうになった。
「ちょっと、あたしの旦那様にこれ以上色気を振りまかないでくれる?」
その低い声が響いたところで、マケインはトレイズに訊ねた。
「そうだ。トレイズ、俺の作ったパンはどう思った?」
「それはもう素晴らしいと思ったわよ……!」
食神の情熱的な眼差しがこちらへきた。
とろりと溶けてしまいそうな熱い微熱。うっとりした艶っぽいため息。その濃厚なまでの色香にマケインは思わず一歩引いた。
「あたし、まさかパンにここまでの可能性があるなんて想像したこともなかった」
「そんな大したことはしてないって。第一、まだ半分しか完成していないようなものだし」
「何か他の食べ方があるの?」
「蜂蜜を塗ったり、ジャムを乗せたり……」
「考えただけで震えが走るわね、ぞくぞくしちゃう!」
「あの、トレイズさん……?」
静かに笑っていたトレイズの顔が迫ってくる。
掠めるように移動した唇は、マケインの耳元で囁いた。
「……マケイン、愛してるわ」
呆気にとられ、口がポカンと開く。
一体どうしたんだ、自分のこの感情は。
否定するにも否定できず、耳まで赤くなったマケイン少年の意識は、しばらく放心状態から返ってくることはなかった。




