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☆24 ふかふかのパンを作ろう




 エイリスは外から運んできた小麦の粉をキッチンに置いた。予想外に彼女が力持ちなことにマケインはおどろく。

これじゃあ俺が手伝うまでもないじゃないか。


「これがこの辺りで一番白い粉です」

「なるほど、これでも少し全粒粉が混ざってるように見えるね」

 ふすまの色で薄茶色になっている小麦粉を観察して、マケインが呟く。エイリスはきょとんとした。


「全粒粉?」

「ああ、小麦を殻も含めて丸ごと粉にしたもののこと。この世界の小麦は完全に精粉されていないんだね」


「マケイン様は博識ですね! まるで学者様のようです」

 エイリスは、素朴そぼくな可愛らしさのある笑顔で指を組む。そのわざとらしさのない自然な魅力に俺がドキリとすると、それを見ていたトレイズがくちびるとがらせた。


「ふーん、エイリスにはそんな顔するんだ」

 ねたような顔でそう言うトレイズに、マケインは言い返した。


「当たり前だろ、小さい頃から一緒にいるんだから」

 もっとも、前世を思い出したマケインの記憶に残っている時系列でいえばエイリスといた時間はさほどの長さではない。


「わ、私なんてマケイン様には、とても……っ」

「むう。たとえメイドとして接していた時間が長かったとしても、正妻の座は譲らないわよ」

 オロオロしているエイリスが可哀そうだ。

たしなめるようなトレイズの発言に、マケインは思わず叫ぶ。


「そもそも俺はトレイズとの婚姻について承諾した覚えはないから!」

「さて、ところで今日は一体何を作るつもりなのかしら?」


 こいつ、聞こえないふりをしやがった……!

萌黄色の瞳を好奇心できらめかせ、美しくトレイズは微笑む。その無邪気で愛らしい笑顔を前にしたら、俺は何も言えなくなった。


 実際問題、超絶美少女のトレイズのことは嫌いではないのだ。ただ、彼女の周りにある様々な問題が大きすぎて恋愛対象としては見られないだけで、普通に自分としたらストライクゾーンど真ん中だとは思う。

この気持ちがばれてしまったら、このまま結婚のことも押し切られてしまいそうで怖い。

頬に血流が通いそうになって、マケインは視線をらす。なるべく平静を装いながらぶっきらぼうに言った。


「……パンだよ。誰も食べたことのないパン」

「パンはパンではないの?」

 トレイズは不思議そうに首を傾げる。

彼女の中の知識では、パンというものはこれ以上進化の余地がない食品である。そのことに気付いたマケインは、やれやれと笑った。


「俺が夢で見たパンは、もっと柔らかくて食べやすいんだ。上手くいけば、これまでよりずっと美味しいものが食べれるよ」

「なにそれ……」


 ほがらかな笑い声。トレイズは、たちまち機嫌きげんを直す。

それを見てエイリスはホッと胸をなで下ろした。


「エイリス、この前準備した瓶はちゃんとあるよね?」

「はい。ちゃんと死守いたしました!」

 妹達にばれたら、たちまちおやつとして食べられてしまうので――戸棚の奥に隠してあった瓶を取り出す。

なかには浄水した水と、柔らかくなった干し山ブドウ。しゅわしゅわとした泡が立って、少しだけ液体は茶色っぽくなっている。


「今回はこれを使って、天然酵母パンを作ります!」

 マケインは宣言をする。


まずはみんなに観察されながら、元だねを作る。少しの強力粉と塩と酵母こうぼ水を混ぜ、しばらく置く過程を二回繰り返す。

その合間に稽古や色々仕事を挟んだりしながら、翌日。出来た元だねは表面に気泡が発生し、ぷつぷつとした見た目になった。


「次に、これを生地にする」


 今回の甘味料としては、本当に高かった蜂蜜はちみつを使うのだ。

ハッキリ言って、これで成功しなかったらマケインは血の涙を流すほどに思い切った買い物だった。

ドグマとの取引で手に入っていた金がなかったら買えないところだ。


 小麦粉とわずかな塩、蜂蜜を大きなボウルに入れ、小さなボウルには元だねと水を足して混ぜる。小さなボウルの中身を大きなボウルに入れたら、生地がまとまるようにする。


 いい感じのまとまりになったら、いよいよこね始めるぞ!

トレイズとエイリスに手伝ってもらいながら、力をこめてこねる。途中で油を足して、更にこねる!

表面が滑らかになってきたら、発酵タイムだ!


「このパンの作り方って、すごく待つのね。こんなに膨らむなんて時間の神秘みたい」

 トレイズが興味深そうに呟く。


「……それはいいから、ちょっと離れてくれない?」

「嫌よ♪」

 待ち時間。マケインの後ろから抱き着いているトレイズは、積極的に笑って答えた。

勝手に心臓がトランポリンを始めてしまうマケインは、落ち着こうと心の中で素数を数える。途中で分からなくなったらもう一度数えなおす。

隙あらばイチャイチャしようとしてくる彼女から離れ、ふと彼は一つの疑問を覚えた。


「そういえば、トレイズ。どうして君には体があるんだ?」

「?」


「神様ってのは神界にいるものなんだろ? だったら、本来なら精神体として存在しているものなんだよな?」

 入れ替わり立ち代わりに訪れる信者達から教わった内容をマケインが口にすると、トレイズはふっと笑う。


「そうね。本来なら……ね」

「だったら、今の状態は……」

 ばれてしまっては仕方ない。トレイズは後ろめたそうに視線を外した。


「私はね、現世に降臨するときに受肉しているの。つまり、精神体から亜神あじんの身体に存在を変換しているわけ」

「神界に戻るときはどうするんだ?」


「死ぬまでは戻れないわ」

 あっさりと彼女は内情を明かす。

その潔すぎるセリフにマケインは目をいた。


「は……!?」

「私は年老いて死ぬか、誰かに殺されるかしない限り、元の場所には帰れないってわけ……。もう、気をつかわせちゃうからホントは教えたくなかったのに」


「なんでそんなことをしたんだよ!」


 それを誰かに知られたら、悪事に巻き込まれたりさらわれたりしてもおかしくない。

極端な話、自分の手元に食神を置くことさえできれば、権力の象徴に利用することができる。都合が良すぎる存在。悪い人間にとってかもねぎを背負って鍋まで準備しているようなものだ。

動揺しているマケインの頬に自らの白い手を当てて、トレイズは美しく微笑んだ。


「だって、それでもあなたに会いたかったんだもの」

「…………っ」

 どんな殺し文句だ。マケインは悶絶もんぜつしながら閉口した。

さらにこねなおして二時間。ようやく何個かに生地を分けて、三十分。


「そしたら、こうやって丸くするんだ」

「難しいです」

 複雑な調理の経験がないエイリスがくもり顔になる。トレイズは意外にも器用にパン生地を成形した。


「これって意外に楽しいわね!」

「そしたらオーブンに入れるぞー……」

と、そこでマケインは気が付いた。

 この世界で一般的なパンは、ピタパンやチャパティに近い。つまるところ、キッチンにはオーブンにあたるもの自体が存在しなかったのだ。


「……オーブン、は?」

 思考が停止する。

ぎこちなく振り返ったマケインの言葉に、二人は唖然あぜんとした。


「オーブンって何?」

「パンとかを焼く……石とかを積んだもの……」

 しまった。小麦の入手のことばかり考えていて、肝心なものを忘れていた! 冷や汗が噴き出しているマケインに、トレイズが慌てて背中をさすった。


「俺は馬鹿だ! この世界にオーブンがないことを忘れていたなんて!」

「大丈夫よ、ここまで出来たんだもの。工夫すれば何とかなるわ」


「オーブンがなくてどうやって焼くんだよ!」

「とりあえずいつもみたいに今から平たくしてみるとか」


「これまでの過程が全部台無しだ!」

 トレイズにはさっぱり分からない。

どうして火の通りにくい丸い形でなければならないのか。何故マケインがここまで狼狽うろたえているのか。


「いっそのこと暖炉だんろに入れてみたらどう?」

「暖炉で焼くにはダッチオーブンがいるんだよ……」

 まてよ。

俺の目線は、暖炉の中に積もった灰の山へ向く。

何かヒントがないか記憶を探っていたマケインの脳裏に、何かがよぎる。


「そうだ! 暖炉の……灰だ! 残っている灰を使えば焼けるかもしれない!」

「灰、ですか?」

 エイリスが戸惑う。


「暖炉に火をつけて、熱くなった灰にもぐらせるんだよ! 灰焼きおやきの原理でいこう!」

 灰焼きおやきは、日本の信州の伝統料理だ!

囲炉裏の灰に潜らせて焼くという手法でおやきを作っている地域が実際にある!


「またすごいことを考えるのね」

「……パンが灰だらけになってしまいますよぅ!」

 驚愕きょうがくしている二人に、マケインは主張する。


「灰なら後から払い落とせば問題ないよ!」

「……ということは、あなたはこの暖かい季節に暖炉をつけるのね?」

 遠くから見守っていたマリラは呆れながらも、ため息をついた。






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