☆23 水を売る相談をしよう
細市の記憶では、元の世界の現代ヨーロッパの辺りでは水を売る商売が実際に存在していたはずだった。
そうであるならば、この世界でもそれは商いとして成立する可能性がある。
「綺麗な水を売る?」
マケインの提案に、ドグマは考えた。
確かに、この領内で綺麗な水はなかなか手に入らない。そのことを思えば、あながち的外れな商売ではない。
他の商人が売っている水もある程度の濁りは我慢しなければならないのが当たり前だし、買った水を家庭でわざわざろ過して煮沸し使っているのだ。
「まあ、売れるとは思いますが……まさか自分で売りに行くつもりですか? マケイン様」
「いけないかな?」
「露天商は、そもそも貴族のやることではありません」
ドグマがわくわくしていたマケインの魂胆をバッサリ切って捨てた。
牢から出されたドグマは、今はマケインの従者として仕えることになっている。少年は自分自身の常識が主に当てはまらないことに頭痛を感じた。
「売りに行く時には僕かあのメイドが持っていきます。マケイン様はお願いですから表に出てこないでご命令だけ出してください」
「え、嫌だよ」
わくわくした顔で、マケインはのたまう。
「お客さんと実際に接してみなくちゃ分からないことってあるじゃないか。お客様は神様って言葉知らない?」
「貴族の僕が知るものか! 頼みますからそのみょうちきりんな発言を他の人間に聞かれないようにしてくださいっ」
現代日本の感覚で喋っていたマケインは、この世界の人間であるドグマの切実な叫びにたじろいだ。
「ほら、変装するとかさ、やりようはあると思うんだよ。要は俺がモスキーク男爵家の者だってばれなければ問題ないじゃん」
「あれだけ神殿関係者に顔が割れていて、御自分が見破られないと思えるんですか」
半眼で返したドグマはため息をつく。いくら自分が反対意見を述べたところで、それが主の意向であるなら従わざるを得ない。
「……仕方ないですね、主がそこまでいうのなら」
「絶対にばれないようにするから! なっ?」
悪びれずにいたずら小僧の顔つきでマケインは笑顔になった。
「髪と顔は隠してくださいよ。ただでさえマケイン様はやたら目立つ容貌をなさっておいでなんですから」
これだけ美しい少女のような顔をしていれば、普通に歩くだけでも人の記憶に残りかねない。そのことに対する自覚が薄いマケインは、よく分からないながらに頷く。
「一度にどれくらいの量が浄水できそうなんですか?」
「うーん、とりあえずこれぐらいかな」
マケインは、瓶に汲んであった濁った水を地面に置き、『浄水』スキルを使う。
みるみるうちに清らかさを取り戻した中身の水に、ドグマは目を見張った。驚いている従者にマケインは笑う。
「ちょっと疲れるから、あと十回ぐらいが限界かな」
「売るには少し足りないですね」
恐らくは、普通に売ったらこの五倍くらいは必要になる。それだって領民の間に行き届くような量ではない。
マケインは、ドグマの言葉に考える。
そして、前世の知識から思いついたことをそのまま述べた。
「だったら、この水に果物の輪切りとハーブを入れたらどうだろう。そうすると水に香りがつく。瓶で売るんじゃなくて、一杯ずつ売ろうよ」
大手じゃない個人のハンバーガー屋でサービスで振舞われていたのを飲んだ記憶からマケインが喋ると、ドグマはぎょっとする。
「水に、香りをつける……?」
「少しの甘味料も混ぜればもっと美味しくなるよ。でも、砂糖は多分高くて買えないだろ?」
この世界の文明のレベルで考えたら、精製された砂糖が安く出回っているはずがない。マケインの推測は当たっていたようで、困惑のドグマは言った。
「そもそも、そんなことが可能なのか? もしもそれができたとしたら、売れるなんてものじゃないけど……」
「やってみれば分かるさ」
呑気にマケインは言った。
少しでも売れればいいと思って気楽に口にしたことだったが、この一言は革命的なものだった。そして、その価値にまだ二人は気付いていない。
「果物を買うついでに、強力粉と干しブドウも欲しいんだけど。それって売ってたりする?」
「山のブドウなら携帯食用として干したものが市場にあったはずですが、強力粉って何のことですか?」
「グルテンが……って通じないか。パンを焼くときの、粘りが強い小麦のことだよ」
「ああ、小麦なら分かります。マケイン様はそれで何を作るつもりなんですか?」
不思議そうにしているドグマに、マケインは笑う。
「誰も食べたことのないパン、さ」
少年はそう言ってニヤリとする。
絶対に諦めない。これはハンバーガーリベンジ計画の、最初の一歩だった。




