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☆21 『浄水』スキル




 信者と教会の人間に神殿まで居を移されそうになったマケインだったが、狂信者たちに崇め奉られることに恐れを覚えた彼は断固だんことして引っ越しを拒否した。


何故かって? それは、トレイズの気まぐれで贅沢三昧ぜいたくざんまいの権力者生活をしてしまったら、いつか彼女が別の男に恋をした時に用済みとあっさり処刑されてしまうかもしれないからだ。


 冷静に考えてみろ。いくら結婚の約束をしたからといって、食神の彼女が本気を出せばこの国の法律なんていくらでも書きえられる。


婚姻こんいんを結んでもそこに拘束力なんて存在しない。貧乏男爵家出身の俺が調子に乗った場合、食神に振られた後の顛末てんまつが怖すぎる。トレイズ・フィンパッションと恋仲になることは下級貴族である俺には非常なリスクを伴うのだ。


 なるべく謙虚けんきょに生きよう、長生きしたいからな!


そのことを考慮して、俺はトレイズがしばらく冷静になれるように距離を置き、貢物の類はお返しして今まで通りに我が家で生活する……予定だった。


「どうしてこうなった……」

 朝起きて一番。途方に暮れてしまうのは、隣で聞こえる可愛らしい寝息だ。

粗末なベッドと埃っぽいボロボロの毛布に似合わない美少女が、いつの間にか俺に寄りそって眠っている。


 桜色のカールした長く柔らかな髪、長い睫毛に白い肌。滑らかにふっくらとした頬は薔薇ばら色に染まっていた。

ヤバいくらいに可愛い。

薄手の透けたワンピースしか着ていないトレイズが、知らない間にマケインの寝床にお邪魔します、を試みたらしい。


「おい、起きてくれ! トレイズ!」

「なあに?」


 目覚めた彼女は、しばらく眠そうにしていたものの。マケインの姿を見て確信犯の表情となった。

そのことに盛大な頭痛を覚え、マケインは低い声で尋ねる。


「……どうして食神殿に帰ったはずのあなたがここにいるんですか? トレイズさん?」


「決まってるじゃない。夫婦というのは一緒にいるものだからよ」


「そもそも! 俺はそのことに関して承諾しょうだくした記憶がないんだけど!」

 なかなか露出度の高い恰好をしている少女に、ぐっときそうになったマケインは分かりやすく視線を逸らす。それを見て、トレイズは嬉しそうに微笑んだ。


「早く神殿に帰って! まともな服を着て、お願いだから!」

「あら、ダムソンから聞いていないの?」

 自らのくちびるに人差し指を当て、桜色の髪をした美少女が笑いながら首を倒す。なんだかいい匂いまでしてきそうな可愛らしい仕草だ。


「あたし、今日からあなたと一緒にこの家で暮らすのよ」

「…………え?」

 耳がこわれたのかと思う。

聞きたくない一言が聞こえて、マケインは表情を失くした。


「夫婦っていうのは、なるべく一緒にいるべきだわ。あたしは少なくとも、そう思うの」

「俺は何もかも承諾してないんだけど!?」


「うん、まずは外堀そとぼりからめていこうと思って」

 なかなかにあざとい計画をトレイズは明かす。


その言葉を聞いたマケインの意識が遠くなりそうになる。この国で崇められている食神様と同居するだなんて、さっそく調子に乗っていると思われてもおかしくない。


 ……どんなに可愛くても! 俺はこの子に手を出してはいけない!

そう決意を新たにしているマケインに、トレイズが寄りそってくる。その胸部に腕が当たり、彼は押し切られてなるものかと叫んだ。


「……そんなに堅い胸なんか当てたって意味ないだろ!」

 マケインの焦りから口走ったセリフに、空気がこおった。

さっそく誘惑するつもりだったトレイズが無表情になる。そのご面相といったら、まるで般若はんにゃのお面を被ったかのようだった。


「ふーん、私の胸、そんなにかたいんだ……」

「いやごめん、つい……」

 泣きそうな顔で、トレイズは真っ赤になった。嫉妬しっとのこもった眼差しで大声を出す。


「それっていつの記憶と比べたの!? どうせ毎日あのメイドの胸でも触ってたんじゃないでしょうねっ!」

「エイリスにそんなことできるわけがないだろ!」


「それってどういう意味!? まさか、向こうが本命だっていうの!? 私の胸なんか触りたくもないってことね!?」

「いや……その……」

 エイリスが本命だと邪推じゃすいされ、しかしそれを否定しきれないマケイン。そのことに気付いたトレイズは、頬を膨らませて怒った。


「~~~~っ」


 実のところ、トレイズはこれほどの侮辱ぶじょくを云われたことなんてなかった。

確かに、自分の胸はいささかボリュームに欠けることは自覚していたけれど、まさかここまで誘惑しても上手くいかないだなんて思ってもみない。

確かに世の男性は大きな胸の女性を重視する傾向にあるといえど、自分はこの世界の神様の一人なのに!

まさか、正真正銘の女神に誘惑されてもなびかないだなんて!

怒りで逆に我に返ったトレイズは、羞恥しゅうちとやるせなさで泣きたくなった。


「あの、トレイズさん……」

 怒ったままのトレイズは無言で室内を出ていく。取り残されたマケインは、呆気あっけにとられて呟いた。


「……どうしよう、この状況」

 謝って許してもらえるものなのだろうか。






 冷え冷えとした空気の食卓に、ルリイが不思議そうに言った。

「にいちゃ、何があったの?」


「……ちょっと、トレイズを怒らせて」

 うつむきながら、マケインは正直に答える。

向かいのテーブルに座っているトレイズは、完全に傍目はためで分かるほどに機嫌が悪くなっていた。


「あやまった方がいいよ」

「それができるものならとっくにしてる」

 トレイズはエイリスの作ったスープをうんざりした表情で黙って飲んでいる。マケインはため息をつきながら、汲んできた水をトレイズに差し出そうとした。


(もう少し、綺麗な水だったらなあ……)

 そう思った瞬間、コップの中で白くにごっていた水が明らかに変化する。驚いたマケインは落としそうになった。


「え!?」

 まるでミネラルウォーターでも入れたかのように濁った水が透明度を増した。その美しさにびっくりしていると、覗き込んだトレイズが呟く。


「『浄水』スキルね」

「浄水?」

「水を綺麗にする能力よ。あなた、料理を私に奉納していたでしょう?」

 ねた素振りをしながらも、食神であるトレイズはチラリとマケインを見る。


「後は『と殺』のスキルも芽生えているはずだわ。私があげられるスキルなんてそんなに大したものは持ってないけど……」

「いや、すごいよ!」

 マケインは興奮を隠せず、キラキラした眼差しで笑った。その笑顔に、トレイズが真顔になる。


「前は大したことないと思ったけど、今ならすごさが分かるって! このスキルがあったら、綺麗な水が売れるじゃないか!」

「……お金ぐらい幾らでも私があげるのに」


「それじゃあダメだよ、俺は自分でかせいだお金で生活がしたいんだって!」

 ……だって、調子に乗ったら振られた後に首ちょんぱになっちゃうからな。

マケインが心の中でそう思っていると、トレイズは微妙そうな表情で笑った。


「……変な人ね」

「兄貴が変なのはいつものことよ」

 ミリアが眉間みけんにシワを寄せて言う。


「教わってもいない料理は作るし、馬には乗れないし。大体、食神だか何だか知らないけど、この家に勝手に居座いすわらないでくれる? ハッキリ云っていい迷惑よ」

「こら! 女神様になんてことを云うの!」


 マリラが蒼白になってミリアを叱った。

その言葉に、眉をぴくりと上げてトレイズがミリアをにらむ。


「……なあに? 不満でもあるっていうの」

「不満なら山ほどあるわ!」

 ミリアは、窓の外で拝んでいる信者の群れを指さして叫んだ。


「アイツら、こないだからずうっとウチの周りで拝んでるのよ! 我が家は観光名所じゃないんだから、早く何とかしなさいよっ! このままじゃマトモな生活ができないじゃない!」


「仕方ないでしょう、神様が降臨されるなんて滅多めったにないことなんだから! それがたまたま我が家だっただけなのよ」



「たまたまで自分の家が聖地にされてたまるかぁ!」

 ミリアは叫んで、荒い呼吸をした。



 そのたましいのシャウトに、思わずマケインは拍手をしてしまう。トレイズの方を見ると、流石に気まずそうな顔をしていた。


「……確かに、ちょっとダムソンさんと交渉こうしょうしなきゃマズいかな」

 多分、ダムソンさんならあの信者の群れの真ん中で今日も元気なマットレスになっていると思うから。





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