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112/112

☆111 何もない村。



そこは、寂れた小さな村だった。あばら家のような家が点在する、原っぱしかないようなか細い場所だった。


公衆の整っていない不衛生な臭いがする。

こんな貧しい故郷から、エイリスが働きに来ていたことにマケインは衝撃を受ける。

なり上がる前の男爵家の暮らしよりも、よほど酷い。地球のテレビの中にあるアフリカのような、そんな光景が広がっている。


「…………っ」

口端をゆがめ、マケインの顔色が悪くなる。

ダメだ。今は、カルチャーショックを受けている場合ではない。


「エイリスの家は……」

トレイズに震える手を貸し、馬から降りて歩く。タオラもブーツで小走りに歩いた。赤褐色の荒れた地面には石ばかりだ。食べられもしないような雑草ばかりが生えている。

本能的に、胸が締め付けられる感覚に襲われた。


「……こわい、ばしょ」

尻尾をしゅんとさせ、タオラが呟く。そのマリンブルーの瞳が向かうところ。


痩せた小鳥が地面にいた。ついばむ草の実なんて一つもない。

ただ、貧しい村だ。ここには何もない。


「エイリスはこんな村でそだったのか……」

ただ、明朝の陽ばかりがまぶしい。


白い太陽と共に出てきた住民から話を聞き、ようやく一件の小屋にたどり着いた。

荒っぽくトシカが入口の朽ちたドアを叩いた。


「誰か、居ないか!!」


すぐに扉が開く音がする。

ゆっくりと動いたドアの向こうで、怪訝そうな顔をした中年の男が顔を出した。


「アンタたちはこんな朝にどうしたんでい? やけに身なりのいい……」

そこまで話してから、トシカやデルクの鎧、腰から下げている剣を見た男は、顔色を悪くさせる。


「ひい!」

「私たちは、モスキーク辺境伯家からの使者です。ここに、屋敷の侍女長のエイリスは来ていませんか?」


「し、しらない!! 知るもんか!」

ドブと酒の臭いがする男は叫ぶ。


「うちの娘が何をしたんだ! あの役立たずは……」

よく見ると、この村の住人にしては肥えた見た目の男性だった。腹には脂肪を蓄えて、脂ぎった顔をしている。


「あなたは、エイリス嬢のお父さんですか?」

「……うちは関係ない! そんな娘なんか知らん!」


「お父ちゃん、エイリス姉がどうしたの?」

そこにゾロゾロと子どもたちが集まってきた。

皆眠そうにまどろみながら、七人のエイリスの弟妹が顔を見せる。

彼らは皆、痩せた姿をしていた。


「お前たち、あっちに行け!」

「エイリス姉が居なくなったって、じゃあ、僕たちはどうやって暮らしていくの?」

困惑の言葉が聞こえてくる。


「あの金づるは、貴族様を怒らせたんだ! よりにもよって、何てことをしたんだ! うちは終わりだ!」

それだけの言葉で、エイリスの抱えていた事情を察するに余りあった。


ふるりと震え、トレイズが悲しそうな顔で口を開く。

「あなたたち、エイリスが伯爵家で勤めて、そこから仕送りをしていたお金で生活していたの?」

「うん……」

あどけない子どもが頷く。


「……うちは、村の中でもいい暮らしをしているんだ。みんな、エイリス姉がお金を送ってくれているおかげだよ……」

やせっぽちの男の子が俯く。


「うちはあの娘とまったく関係がありません! お貴族さま、許してくだせえ!」

「……お前は、毎日なんの仕事をして暮らしていたんだ? まさか、エイリスだけ働かせて、自分は呑んだくれていたわけじゃあるまい?」


マケインが怒りを孕んで言う。


こんなにも胸糞の悪い思いをしたのは、初めてだ。あれだけ質素に暮らしていたエイリスの稼いだ給金が、こんな父親に送金をする為に消えていたのだ。

怒鳴りつけて、殴り飛ばして、持っている剣を使ってしまいたい。自分は貴族だ。平民の一人や二人にそれをしたって、咎める者は誰もいない。


震える手で柄を握ろうとしたマケインに気が付き、トレイズは夫を後ろから抱きしめる。

「だめよ、マケイン」

「…………離せ、トレイズ、」


「こんな人間でも、エイリスのお父さんなのよ。あたしも、こんなつまらない男なんて、殺してしまったって構わないと思ってる。

でも、エイリスの性格を考えてみて、旦那様」

「…………っ」


「あの子が、嬉しいはずがないでしょう」

激怒に近い感情を、やっとのことでマケインは呑み込んだ。


「……マケイン様」

タオラが呟く。


俺は子どもの居る方へ振り返った。

「エイリスは帰ってきていないのか?」

「お姉ちゃんは居ない。あたしたちは、なにもしりません」


それはウソ偽りを言っているわけではないらしい。

深々と息を吐き出して、マケインは頭をかきむしる。

「それじゃあ、どうすればいいんだ。ここ以外に心当たりなんて……」


「マケイン。ひとまずモスキーク家に帰りましょう。なにか報告が上がっているかもしれないわ」

トレイズの言葉に、俺はくしゃりと顔を歪めた。

……エイリス。





「伯爵様! よくお帰りになられました!」

モスキーク邸へ荒々しく戻ってきた俺たちに、家臣が声を上げた。


目を鋭くして。険しい口調でマケインは告げる。

「……エイリスは実家にはいなかった。何か分かったことはないか?」

「目撃情報がありました」


「どこだ」

「それが、エイリス嬢はどうやら、街に降りて買い物をしていたようで。いくつか付近の住民から話を聞くことができました。それが……」

低く静かな声で、その言葉を聞いた。


「……茶色の髪の女性が一人、貴族の馬車に攫われたそうなんです」

皆、目を見張る。


「どうやら、エイリス嬢を狙っての犯行のようでした。このモスキーク領では、貴族が出入りすることは珍しいことではありません。家紋は分かりませんが、かなり立派な馬車であったそうです。

男が二人、茶髪の女性を拘束して無理やり連れ去ったとか……。これが、後に落ちていたそうです」


見せられたのは、見覚えのある生地が敷かれた手提げ籠だった。


「………エイリスのものよ……」

青ざめたトレイズが、駆け寄ってその籠に触れる。


「これはうちの使用人がよく使っていた籠よ。緑の生地が綺麗だったから、覚えがあるの。あたしが選んだものだわ……」

トレイズがわっと泣き出す。


「ひどい……これじゃあエイリスは……」

平民の綺麗な年頃の女性だ。最悪、悪徳貴族に無体を働かれていてもおかしくはない。


「……エイリスを狙って、といったか?」

マケインは静かに呟く。


「はい」

家臣は首肯する。


「だとすれば……その貴族の狙いは……」

どこかで貴族がエイリスを見染めたか、女神であるトレイズか、邪神に関わる宝玉か。


「思い当たる要因がありすぎて、逆にこれだけでは分からないな」

マケインは、思考が冷えていくのを感じた。

恐らく、モスキーク家のメイド長は、我が家の問題に巻き込まれたのだ。


「もしエイリスが俺への人質で攫われたとしたら、必ず向こう側から接触があるはずだ。そうでなかった場合の行きずりの犯行だったら最悪だ、エイリスの身に何が起こっているか分からない。金額は問わない。金貨を使ってでもエイリスの行方を探すんだ。とにかく今は、何でもいいから情報が欲しい」


「エイリス……! エイリス!」

「……トレイズ様、おちついて」


しゃくりあげているトレイズの肩を抱き、マケインは続けて指示を出す。


「この屋敷の警備を最大に固めろ! 俺の妻とモスキーク家の者の安全を第一に確保するんだ! とにかく貴族の馬車をモスキーク領の外に出すな! 領内の関所にも連絡を出すんだ!」

屋敷に響く声で怒鳴り上げる。


「――分かったらさっさと動け!!」


「旦那様、分かりました!」

血相を変えた家臣たちが忙しく駆けだす。大勢の人間の早口の声が鳴る。いくつもの影が消えたあと、マケインはトレイズの手を握った。


「トレイズ、君を狙っての可能性が高い」

「あたしのせいよ!」

彼女は瞳から大粒の涙を散らせる。


「きっと、あたしの事情にエイリスを巻き込んだんだわ!」

「いいか、トレイズ。君はこの屋敷からもう外に出てはいけない。肝心な君がここを動かれると、俺たちはエイリスを探すこともできなくなる」


「嫌よ!! 責任をとってあたしがエイリスを探すわ!」

「君に何ができる!!」

マケインは怒りで叫んだ。


「トレイズ! 今の君は何もできない人間と同じだ! 普通の貴族令嬢と同じく役立たずに等しい! これ以上わがままで勝手をされたら皆迷惑なんだ!!」

息を荒げ、余裕のないマケインは青ざめた。

……自分は、何を言ったんだ。


「…………わかったわよ……」

勝気なトレイズは、力いっぱいマケインの頬を張り飛ばす。その痛みに目をしかめると、手を赤くした妻の形相が飛び込んできた。


桜色の髪はふくらみ、萌黄の瞳に怒りを湛えている。


「そんなに言うなら、一人でなんでもやってればいいじゃない……っ あたしは何のために貴方と結婚したの? なんにも役に立たない綺麗なお人形なの!?」

「ち、ちが……っ」


「アンタなんか知らない!! そんなに言うなら天界に帰ってやるわ!」

「どうやって帰るんだよ!」


思わず動揺して突っ込む。

受肉した身体は、持ち主の神が死なない限り天界へ戻ることはない。


「どうやってって……どうにかするのよ!!」

ムッとしたトレイズは開き直った。


「どこかにきっとやり方があるはずよ! うちの書庫に本を探せば載っていたりするかもしれないし! ダムソンなら何か知っているかもしれないわ!」


そのままトレイズは二階に駆けだす。

頬を激怒で赤らめて、泣き顔で言い捨てる。


「いいこと!? どうにかして帰ってやるんだから!」

そのまま振り返らずに階段を走っていく、ドレスの端がひらめくのを呆然と見つめ、マケインは近くのタオラへ言った。


「……うちの奥さんを止めてくれないか?」

「……トレイズ様は、ああいう時は何をしても無駄」


金の瞳をすがめ、タオラは言い放つ。

「むう。マケイン様は、エイリスのことが、そんなに、大事なの? ハッキリ言って、エイリスはただのメイド。本来なら、平民のメイドはこういう時、切り捨てるべき。そんな程度の存在」


「…………っ」

「……伯爵としての、責務をもっと分かるべき。普通なら、平民の、メイドなんか、貴族がよほど執着している愛妾でも、なければこんな騒ぎにはしない」


タオラの言葉に、マケインは瞳孔を大きくさせる。愕然とした主の額へ、金虎の少女は小さくとがった鼻梁を近づける。

長い金のまつ毛が見える。


「……すん。マケイン様。貴方は正妻のトレイズ様を優先するべき。一人しか娶るつもりがないのなら、エイリスのことは諦めた方がいい。タオラだって、だからマケイン様の特別扱いを我慢している」


その平静な言葉は、ほんとうに、正論で。

だから、無性に泣きそうになったけれど、マケインは震える声で呟く。

「俺には、一生トレイズだけだ」


「だったら、諦める?」

俺は、迷いに瞳が揺れた。

返事ができない。……それが、エイリスへの感情の何よりの証拠だった。


「でも…………エイリスだって大事だ」

滑稽なこの気持ちは言い表しようもないけれど。俺がトレイズへ向ける気持ちとは、絶対に何かが違う気がした。




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