☆109 邪神の封印石を見つけてしまった
花咲く初夏。樹木が緑の葉を揺らした。
太陽を目指してたくましく成長していく小さい林の向こう。
灰色の濁った濁流が、帝国との国境に流れていく。砂っぽい風は少しだけ湿っていた。
この国境に何かがあったらすぐに分かるように、物見の塔が建てられている。
塔の先は、何羽かの鳥が根城にしているようだ。周回して羽ばたく影が地面に落ちた。
ウィン・ロウの街の防衛施設の視察に来ていたマケインとドグマは、買い出しに同行したエイリス、護衛のタオラと街を見て歩いていた。
「ここも特に問題はなし……、獣人たちもちゃんと街の人と上手くやっている……と」
「……マケイン様、他の土地に比べて歩く皆がよく太っている」
持ち歩いている剣に手をやり、市街地を見渡してタオラが呟いた。簡素な外套が風に翻る。
人々は忙しそうに往来し、どんな小さなものでも誰も仕事を持たない人はいなかった。
「ああ、領地の街々には小麦と水がよく手に入るように頑張ったからね。仕事の循環と、あとは雇用を安定的に施策するように……」
「……なんだか分からないけど、すごい」
タオラを見かけた獣人の傭兵たちが手を振ってくる。
獣人の姫君は、嬉しそうにアクアマリンの瞳を緩めた。
それに応えながら、マケインたちの乗った馬車はのんびり走る。ドグマは買い出しの荷物を持たされ、エイリスも籠一杯に塩やスパイスを持っていた。
「悪いな、エイリス。定期的に流通している塩と香辛料の品質の確認をしておきたいんだ。手伝わせてすまない」
マケインが真剣な顔で話すと、エイリスとタオラは朗らかに笑った。
交易の活発な市場から。馬の蹄と馬車が舞い上がらせた砂埃が少し煙たい。
雑多な人と獣のすえた臭いがする。
「マケイン様、これもお仕事です」
「エイリスは他に行きたい場所はなかったのか?」
「そうですね、強いて言えますなら……」
冒険者ギルドに顔を出したい、と我が家のメイド長は云った。
「久しぶりじゃーん、エイリス」
へそ出しタンクトップにじゃらじゃらの腕輪。日焼けした肌の若い女性が、嬉しそうに挨拶をしてきた。
ギルド、獅子の頂の受付嬢であるソネットは、今日ものんびり優雅に仕事をしていたらしい。
「マケインちゃん、元気してた?」
「……いい加減に、それは止めてくれないかな」
怖いもの知らずの発言だ。
「今日も今日とて絶世の美女だね、うちの街の領主さまは」
15歳になったマケインは、誰もが圧倒されるほどの美貌の少年へと成長をしていた。
サラサラに艶めく砂色の長めの髪、長い睫毛の麗しい鳶色の瞳に、涼やかな美しさを放つ鼻梁の通った透き通る色白の肌。
明らかに誰もが自分の性別を絶世の美少女と誤解するだろう。
なまじ美しさだけなら、この世の貴人だとしても誰もが信じたかもしれない。残念ながら、モスキーク家の前当主の妾から生まれた子どもなのだが。
……そういえば、俺は母親の顔を知らないな、とマケインはぼんやりと思った。
それどころか、名前すらひた隠しにされている。本当は人間の母親ではなく、妖精か何かの落とし子なのかもしれない、と鏡を見る度に、あまりの美しさに自分でも寒気が走った。
「何度も言うが俺は男だ!」
マケインが怒鳴ると、ドグマは溜息をついた。
「そうですね、マケイン様。残念ながらこのギルドに居る冒険者の誰も信じていませんよ」
「ドグマ。お前、最近俺への当たりが辛辣すぎないか」
「マケイン様への敬愛という言葉を、僕から奪い去った強欲なベルクシュタインの連中とオーバーワークが悪いのです。昨日も三時間しか寝ていないので……」
「……すまん、その点においては悪いと思ってるんだ」
目元にクマを作っているドグマに、マケインは申し訳なく思った。
これで帰ったら、なるべく頑張って仕事を終わらせて側近を寝かせないといけない。
このままいったら、サボり癖のある俺の犠牲者になったドグマが過労死する。
「モスキーク家というブラック企業に就職させてしまってすまない」
「それは何という意味ですか……?」
「知らない方がいいよ」
現代日本の社畜の苦しみは、同じ社畜になったものしか知らない。
その概念をドグマに与えてしまったら、この世に絶望してしまうかもしれない。
「一番有能なトップというのは、部下に適切な量の自分の仕事を割り振れる人間なのだ」
いや、言い訳にしか過ぎないと分かっているけれど。
都合のいい言葉ばかり吐いてるな。
結局は自分が悪いのだ。
奥さんによって堕落する典型的な亭主だ。
「……だって、できるだけ嫁さんと一緒の時間をとりたいんだもん」
マケインがかわい子ぶって唇を尖らせて呟いた瞬間、その可愛さにギルド中の冒険者がノックアウトされて崩れ落ちた。
ひどい中身を知っているドグマですら、その美少女顔の威力によろめく。正直、周囲の心臓に悪すぎる。
「……伯爵様の性別が相変わらず行方不明な件」
目を血走らせたソネットが顔を赤面させながら呟いた。ネットスラングのような言葉を口走りながら、動悸を抑えている。
「やっぱりマケインちゃん、あたしと一晩いいことしない? ちょっとその種を畑にくれるだけでいいの、絶対、ぜったい超絶可愛い子が産まれ「いやです」」
心底うんざりした顔でマケインが拒絶しても、ソネットはやけに本気の目をしていた。本気と書いてマジだ。勘弁してくれ。
「俺にはもう奥さんがいるんです」
「だから、一晩だけでいいの」
「…………」
軽蔑した眼差しのマケインに気が付き、ようやくソネットは正気に戻った。落ち着いてきた彼女は、鎮痛の表情になる。
「ごめんなさい、またやらかしたみたい……」
「大丈夫よ、マケイン様の美しさを見て理性を失う人間は、貴女だけではないです。ソネット」
エイリスは優しく励ます。
そのやり取りに、周囲の冒険者がとうとう殺到してきた。
どうにかこの性別不明の麗しの存在とお近づきになりたい人間たちに囲まれ、ソネットは慌ててマケインたちを奥のスペースへ連れて行った。
「ごめんね、こんな汚い倉庫で! 裏口から帰って!」
カラッと受付嬢は笑う。
「よくまあ、領主様をこのような場所に……」ドグマが眼を剥いた。
マケインは、ふとソネットの胸に下げられている宝石のネックレスに気が付いた。やけに汚れてくすんでいるが、どこかで見覚えのありそうな既視感をもった。
「そのネックレスはどこで?」
「うちの母の持ち物! よーは遺品よ! 一応これって本物っぽいんだけど、こんなに大きなオパールなんてあるはずないから、みんなは偽物じゃないかって……」
「ちょっと貸してみて」
マケインはすっと顔を近づけ、ワイヤーに巻かれたネックレスの石を観察した。近づいた美少年の美しさに、ソネットはぼーっとしていた。
「…………これ、多分宝石だよ。オパールなら何度か見たことあるけど、光り方が特徴的だ」
「……そんなサイズの宝石ってありますか? もしも現存していたら王家のエメラルドに匹敵するんじゃ……」
ドグマが不思議そうに言った。
「ソネットの出身って流浪民って言ってたよね?」
「そうだよ! 正確には、古いどこかの地方にいた巫女の一族が、故郷を何かの理由で追い出されて旅をしながら色々な土地を巡ってきたの」
「……これ、もしかしたら」
邪神の封印石の一つではないだろうか。
そんな嫌な予感がし、マケインはソネットに話す。
「その宝石は、きっと国の存亡に関わる大事なものだ。魔族に目を付けられないように、俺に一旦預からせてもらえないだろうか?」
「ええっ!?」
「大切な遺品だろうから俺が絶対に肌身離さず持っていると約束をする。ソネットが必要なら、いくらでも金貨は払おう」
「いいよ!? そんなおっかないもの、持っていたくない!」
ソネットは震えながらエイリスにすがりつく。優しく抱きしめられ、ふるふるとしていた。
タオラがゆるりと息を吐く。
ドグマは真剣な目で、マケインに言った。
「王家に報告しますか?」
「いいや、もしかしたら俺たちで石を隠してしまった方が安全だ。王都が必ずしも安全だとは限らない。ただでさえ一度襲撃を受けているんだ」
「なるほど」
「できたら皆、このことは他言無用で頼む」
マケインが真剣に告げると、
その場の全員、静かに首肯をした。




