☆108 新しいドレスは何着あってもいい
メイド長の一日は忙しい。
掃除から洗濯、屋敷で発生する女中仕事のほとんどを担当しているのだ、休む時間なんてあるわけもない。
マリラがトレイズ相手にぼやいている姿を、マケインは見かけた。
「エイリスもたまには仕事を休めばいいのに、誰かに任せるってことをしないのよ」
「そうですね、これでは妻として旦那様にしてあげられることも殆ど残らないわ」
「そうなのよ! まるで私たちの仕事まで奪われたみたい!」
マケインは、声をかけていいものかしばし悩む。
こっそり見守っていると、やがて二人は紅茶を片手にこんなことを言い始めた。
「本人が働き者なのはいいのよ……でも、人の仕事まで奪っていくのはどうかと思うわ」
「分かるわ! あたしだって旦那様のためにお洗濯ものを畳んだりしてみたい!」
マリラがうめき声をあげる。
「こんなことなら、昔の方がよっぽど楽しかった……まるでやることが無くなると、一日中本当に退屈して死んでしまいそう」
「朝から晩までお茶を飲んでいるわけにもいかないし、社交も領地へのお仕事も、私たち、旦那様にみーんな取り上げられているんだもの」
それはマケインにとっては仕方のないことだった。
なるべくトレイズを目の届くところに置いておかないと、俺が不安で仕方がない。正体が食神だとバレてしまったら、速攻で誘拐されてしまうだろう。
大切で、本当に大切で、愛おしい。
トレイズへの俺の気持ちは、狂おしいほどに増していくばかりで、持て余してしまうくらいだ。
この世界で迷子になっていた俺を救ってくれたのは、妻だ。そんな彼女が消えてしまったら、俺はどうかしてしまう。
社交の苦手なマリラには、なるべくトレイズの側にいてほしいと頼んだ。一人ぼっちにしているわけにはいかなかった。
結果的に、引きこもりの奥様方の誕生だ。家事をやろうにも、全部エイリスが片づけてしまうので、困っているらしい。
「そうはいっても、感謝しているのよ」
マリラは、優しい声で呟く。
「うちの家が貧しかったときからずっとメイドとして働いてくれて、今でも頑張ってくれているんですもの。エイリスがいなかったら、うちの子どもたちはまともに育たなかったわ」
トレイズも続けて、
「そうよね。エイリスが秘密を守ってくれてるから、あたしも安心して毎日過ごせるんだわ」
「気立てもいいし。どうして結婚しようとしないのかしら」
マリラは首を捻る。
「そうよね。結婚した後にだっていくらでも働けるでしょうに」
「なにか理由があるのかしらね」
「もしかしたら、結婚できない立場の男性が好きなのかもしれないわ!」
「それは面白い発想ね! 私そういう話は好きよ!」
二人で楽しそうにきゃっきゃと話している光景に、マケインは安堵して壁の向こう側から去ろうとする……そこに、怖い顔をしたドグマが背後にいることに気付き、顔色が青ざめた。
すっかりやつれた顔の側近に、マケインは引きつった笑みを浮かべる。
「や、やあ。ドグマ」
「こんなところで盗み聞きとは、マケイン様は本当に暇なんですね……」
「いやちょっと、席を外して外の空気を吸おうとしただけで……」
「領地にある食神殿の改築工事支援の諸々! モスキーク領の上下水道の設置の見通し、王都のレストランや各産業の収支報告……それらの書類の山と戦っていた僕を執務室に放置して……」
「……ほら、トレイズにも今度また流行りのドレスを見立ててあげたいだろ? そのために何色が似合いそうかこっそりと観察を……」
「そのドレスは仕事の何の役に立つんですか? 積み上がっている書類に判でも押してくれると?」
辛辣な返しに、思わずマケインは脱兎のごとく逃げ出した。
「――俺はもうこれ以上仕事はあんまりだ!!」
「逃げる暇があったら領主として書類を片づけてください!!」
鬼のような形相で追いかけるドグマと、逃げようともがくマケインに気が付き、女性陣は呆れたような目を向ける。
トレイズは溜息をついた。
「またマケインが仕事から逃げようとしたのね」
ドグマが叫ぶ。
「奥様もマケイン様に言ってやってください! こいつ本当に、隙を見て厨房に行ってサボるだけで、なかなか仕事に手を付けてくれないんです!」
「俺のご加護は食神の加護だ! そんな書類なんて、知神の加護をもらった奴にやらせておけばいいんだ!」
「貴方じゃないと判が押せないんですよ!!!」
トレイズは、そんな二人を見てやんわりと云う。
「旦那様、お仕事はちゃんとやらなきゃダメよ」
「トレイズは、寂しくはないか?」
「あたしは大丈夫よ。お仕事を頑張る夫はカッコいいと思うわ」
その言葉を聞いた瞬間に、マケインはもがくのをやめた。
途端に手のひらを一瞬で返し、「――さあ、執務室に戻るか!」と言い出した姿に、ドグマは頭が痛そうに目をつぶった。
とことんダメ人間である。




