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☆107 たまに作る焼き菓子は美味しい



エイリス・メードはモスキーク伯爵家のメイド長だ。

唯一、男爵家であった時代から家事手伝いとして仕えていた使用人で、今でも女中頭として屋敷の雑務を取り仕切る立場として勤めている。


今でも配偶者は無し、兄弟姉妹の多い貧しい農民家庭の出身で、彼女の給与の殆どは今でも家族へと仕送りをされている。

マケインにとっては不可侵の存在であり、姉のような人であった。





振り返っても、彼女が消息を経つような異変はなかった――。

居なくなる直前の彼女の様子を振り返る。


「マケイン様、ダメですよ。お仕事をサボっては」


こっそり厨房へ抜け出していたマケインを見つけ、エイリスは咎めるような口調で言った。

15の少年の手には大きなボウル。俺は木べらを持ってばつの悪そうな顔をした。


「ちょっとおやつを作ろうと思って……」

「そういうことは、もう辞めなくてはなりません。今では料理人も上達をして、普段の食事は任せられるようになったではありませんか」

「俺は料理は一生やめないよ」


マケインはにかっと笑う。

誰に阻まれようとも、俺が料理をすることは止められないだろう。今でも身体は十分に動けるし、何より愛する妻が本当に嬉しそうに笑ってくれるのだ。それだけで、甘いケーキを焼く理由として十分すぎた。


「……で、今日は何を作っているのですか?」

「エッグタルトだよ」

窯の中の薪を確認しながら、俺は返事をした。


「まあ、美味しそうですね!」

やはり、相変わらずエイリスは優しい。口では俺を咎めながらも、心の奥では俺のやりたいことを分かっている。

にっこり笑った彼女に、俺は心が弾んだ。


「牛の飼育から挑戦して、上等なバターをようやく領地で作れるようになってきたんだ。乳牛を探し当てるのは苦労をしたけど、異国との交易で子牛を手に入れることができて良かった」


「どうしてマケイン様は、そんなに色んなことにお詳しいのでしょうね」

「そりゃ、読書家だからね」

俺が大嘘をついていることを、エイリスは理解していた。長年一緒に暮らしているのだ、俺が本という物にとんと興味がないことぐらい察している。


「そうですね、本を読んだのですね」

「ああ」

エイリスと話していると、疲れていた精神が落ち着く。


マケインは、小麦粉とバターでタルト生地を作っていく。薄力粉と全粒粉を混合し、なるべく強く練らないようにバターを粉に練りこんだ。

さて、タルトの中に入れるカスタードは、ふつふつと卵と牛乳、粗糖を混ぜて……木べらを使いながら弱火で煮詰めた。


街の鍛冶屋に作らせた丸い金属製の型に、一個ずつタルト生地を敷き込み、優しくカスタードを流し込む。

今回は赤いベリージャムを少し、中央にトッピングしてみた。

あとは、薪を燃やした窯で焼くだけだ。



作業をしているとゆっくりと時間が流れる。窓から初夏の風が吹き込む。緑の匂いがした。

エイリスの茶色い髪が風に揺れた。

彼女は母親のように、穏やかな表情で俺のお菓子作りを見守っていた。


「私だって本当は、マケイン様はこうしてお料理をしている時の方が楽しそうだって、知っているんです」

「そっか」


「ふふ。トレイズ様や、ご家族だけで、どこか小さな家を買って、こうしてお料理を作りながら暮らしてみたいですね」

「それはいいね! 俺とトレイズに生まれた子どもに爵位を譲ったら、みんなでそうやって過ごそうか」


「そうしたら、マケイン様は大変ですよ。なんでも自分でやらなくてはいけません」

「エイリスは一緒に暮らしてくれないのか?」

マケインがそう言うと、彼女の動きがぴたりと止まった。


「マケイン様、私はただの使用人なのです」

「でも、エイリスは貧乏な頃からずっと俺たちと一緒に居てくれたじゃないか。家族のようなものだよ」


「でも、私はマケイン様よりずっと年上ですよ。もしかしたら、私はもうとっくにお婆さんになっているかもしれませんし」

「そんなの関係ないよ」

マケインが言い募ると、エイリスは嬉しそうに笑い声をあげた。


「そうですね、きっとそうなったら、とても幸せだろうと思います」

「そうしよう! 忘れたら怒るよ?」



そこに、ひょっこりとミリアが厨房に顔を出した。

甘い匂いにつられてやって来たのだ。

「お兄様、何を作っているの?」


ちょっとぶっきらぼうに妹は言った。


「今日はエッグタルトだよ」

「ふーん。そのタルトってお菓子は、あたしもけっこう美味しいと思うわ」


「そっか。ありがとな」

ぐしぐしと妹の頭を撫でると、くすぐったそうに嫌がった表情をする。栗色のセミロングがボサボサになった。


「ちょっとやめてよ……」

「やめない」


「なんでそういうことをするの」

「妹が可愛いからだよ」

三つ年下の妹が恥ずかしそうに頬を赤く染める。そんな様子も面白くて俺が笑うと、ぐいーっと押しのけて逃げられた。

「お兄様、ひどい!」


「いいじゃないか、これぐらい。エイリスもそう思うだろ?」

突然話を振られたエイリスは、びっくりした顔をした。


「マケイン様、ミリア様はもう立派な伯爵家の淑女ですよ。いくらお兄さんでも、嫌がることをするのはどうかと思います」

「本当は?」


「とても可愛らしいです」エイリスはおかしそうに言った。

「ひどーいっ!」ミリアが叫ぶ。


「ミリア様はマケイン様のことが大好きですよね?」

「……そ、そりゃ、まあ」


「マケイン様もミリア様のことを愛しているんですよ」

「……それって、お兄ちゃんとしてでしょ」

むすっとしてミリアが聞こえない声で呟く。




「…………あたしは、兄貴のことが大好きなのに…」


「なんか言ったか?」

「べ、べつに!!」

顔を背けたミリアは、真っ赤な耳をしていた。林檎のようになった頬に、俺は首を捻る。

エイリスは、あらあら、と微笑んでいた。




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