☆105 死ぬまでずっと一緒だ
マケイン・モスキーク男爵子息は、王都、いやアストラ王国の英雄となった。
自然と水に恵まれたこの地は、案外に少年にとって居心地がいい。いつの間にか、魂までも異世界に順応していたようだ。
今では地球のことを思いだすことも少ない。雨が降っては大地にしみ込んでいくように、悲しみも戸惑いも、すうっと世界の一部になっていくのだ。
好きな人ができた。婚約を交わした彼女は、特別な神様だった。
俺にとっても、神様のように素敵な女の子だった。
少しずつ歩こう。二人でゆっくり歩いていこう。
いつか自分の時が終わって、彼女は一人に戻ってしまうかもしれない。けれど、思い出だけはその心に残ると信じている。生まれ変わって、再び巡り合えると願っている。
「愛しているよ」
その一言が、すごく重く感じる。
何度でも、君に言おう。
冬が終わって。春が来て。花が咲く度に、思いだしてもらえるように。
君と俺が永遠になるように。
マケインは、爵位を貰えることになった。
今まで男爵家の跡継ぎであったことを思えば、とんでもなく出世をしたものだ。モスキーク男爵領は、辺境伯の治める地へと変わる。
王都を。そこにいた王族や貴族を魔族の陰謀から救った功績として、伯爵位に陞爵させてもらえることが決まったのだ。
「正直、いいのかな。俺が伯爵だなんて、いきなり上がりすぎだと思うんだ」
「いいんじゃよ」
支度をしている俺にダムソンはにっこりと笑った。
護衛のタオラも広間の陰に控えることにしている。獣人の少女は、あの事件の現場に俺と一緒に向かえなかったことを今でも不服に思っていた。
「マケイン殿はそれだけ大きなことを成し遂げたのじゃ。誇りに思いこそすれ、萎縮することはあるまい」
「ダムソンさんのそれは王族としてのお言葉ですか?」
「そうさな。そう思うてくれても構わんよ」
「ダムソンさん、本当にモスキーク領に移住するつもりなんですか? 本来のご自分の領地もちゃんとあるのに」
「老い先短い儂は、そなたとトレイズ様の人生をもう少し見ていたくなったのじゃよ」
「それでいいなら……」
「マケイン殿。今というのは、一瞬しかないのじゃよ。一秒もたてば、現在はすぐに過去に変わってしまう。そなたとトレイズ嬢が共に居れる時間は、あまりに少ししかないじゃろう」
「……そうですね」
「だからこそ、彼女の記憶を幸福でいっぱいにするのじゃ。辛かったことも、悲しかった時間も、全て夫である君との大事な過去だと愛おしく思えるように」
目を好々爺のように細めて、ダムソンは語った。
その言葉が一陣の風みたいにマケインの心をざわめかせる。
それは、よく晴れた朝のことだった。
優しい空からの光が差し込む。
天井のタイルとステンドグラスがキラキラ輝いている。
貴族たちで埋め尽くされた大広間。深紅の絨毯の先に、玉座がある。
いつかに一緒に話した国王は、まるで別人のような顔をしてそこに座っていて。
隣には、皇后と皇太女であるズーシュカ姫がいた。
姫様が、マケインを見て意味深に微笑む。
「我が生は礎となり、その武は王国の守りにならんとす」
跪いてそう決まり文句を緊張しながら口にしたマケインに対し、
「彼の少年は、件の魔族が起こした事件を解決に導いた立役者である。一番の貢献をした彼に――ここに、マケイン・モスキークに伯爵位を授けるとする。今後王国の守護のため一層の活躍を望まんとする」と国王は返した。
式典を見守っていた貴族たちの不服そうな顔が並んでいる。
それはそうだ。貴族の最底辺である男爵家の息子が、一気に上級貴族の仲間入りだ。誰の物か明確になっていなかった辺境の土地や、喉から手が出るほどに欲しい鉱山が新しく領土に組み入れられたこともそうだ。
「こういうことであるからにして、いつまでも騎士見習いではいけない。ズーシュカの命を二度も救ってくれたのだ。恩賞としてなにか望むものをささやかに一つ与えよう。儂としては……」
半ば予定調和な国王の言葉が終わる前に、予想外の横やりが入った。
「でしたら、マケイン・モスキークを、わたくしにくださいませ」
「ズーシュカ……」
頭が痛そうに、国王が振り返った。
姫君は、目を輝かせてマケインを見つめている。
「……わたくしのところに来てくれれば、悪いようにはしませんわ。もしよろしければ、この国の未来の女王の伴侶となれるやもしれませんのよ」
「我が娘はそこまでこの少年を気に入ったか。……どうする。少年よ」
マケインは、ごくりと唾を呑み込む。
静かに面を上げ、息を吸ったあとに震える声を発した。
「――私は、見習い騎士を辞任してモスキーク領に戻りたく存じます」
「何故よ!?」
「添い遂げたい人がいるのです」
衝撃に打ちぬかれたように、ズーシュカの睫毛が震えた。大きく見開かれた瞳が、信じられないと明白に語っている。
「なんでも望むものをあげるわ!! 地位も、名誉も、権力だって! そのつまらない女のどこがいいのよ!! わたくしを支えてくれるのではなかったの!?」
「見苦しいぞ、ズーシュカ」
そこに、一人。剣を抜いた近衛騎士がマケインに掴みかかろうとした。俺が不敬を働いたとみなしたのだ。
感情的になった相手から剣が降り降ろされようとしたとき、その刃が何者かに止められた。
広間の控えから跳躍した人物。金色と黒色のショートヘアが舞い、アクアブルーの瞳が険しく輝いた。俺を見守っていたタオラが割り込んだのだ。
タオラは着地するまえに剣先を靴で蹴とばした。バランスを崩した近衛は、無様に転倒をする。
「…………っ!」
鎧が床にぶつかる金属音がした。
タオラは冷めた目でそれを見下ろしている。
真っ赤になった騎士は、ぶるぶると屈辱的にこちらを睨んでいた。タオラが守ってくれたのはいいものの、式典が台無しだ。このやらかしは俺が斬首されてしまうかもしれない。
マケインは唇を噛む。
一連の出来事に人々が動揺しざわめく中、国王陛下の笑い声が大きく響く。
「……これは、傑作だ!」
「父上!」
「よかろう、一度決めたのなら仕方ない! モスキーク伯爵を騎士に任命することは諦めるとしよう! 領地に戻って、好きに生きるといい!」
快活な笑い声だった。
竹を割ったような気持ちのいい言葉に、
九死に一生を得た俺は息を呑んで、深々と頭を垂れたのだった。
「マケイン? ほんとうに、騎士になることを辞めてしまったの?」
トレイズが心配そうにこちらを伺っている。白いワンピースの裾がふくらみ、白い素足がのぞく。
「いいんだよ。もう誰かに利用されるのはコリゴリさ」
荷物を運びながら俺はへらへらと笑って返す。その気楽なセリフに、俺の婚約者は頬をふくらませた。
「なんの相談もないんだもの」
「上手くいく確証がなかったからね。あんなにすんなり話が通るとは思わなかったのさ」
「あなた、タオラがいなかったら殺されていたのよ」
「そうならなくて良かった」
……いや、本当に。
剣を振りかぶられたあの瞬間は肝が冷えた。後になってから全身に冷や汗をかいていたことに気が付いたくらいだ。
トレイズに見えないようにそっと息を吐き出す。
取り繕った笑顔を浮かべていると、彼女に思い切り耳をつねられた。
「聞いてるの、旦那様!」
「痛いって。はは」
不思議と、トレイズがくれるなら痛みも心地よい。
「それに、ここだけの話だけど……俺、どうやらあの姫様は嫌いだったみたいだ」
「……そう」
トレイズはキョトンとしたあとに。綻ぶような笑顔となった。
これから何をしようか。どんな時間を過ごそうか。
多分、トレイズと一緒なら何をしても楽しいと思うんだ。
「結婚式はいつ挙げようか」
「なるべく早くよ」
「出来る限り長生きをするよ」
「おじいちゃんになっても、あたしのことを好きでいてね」
「死ぬまでずっと一緒だ」
一部完結。
次章へ続く。




