☆103 一世一代のプロポーズ
事件の後、生死をさ迷うミカゲとカンナは王城の独房に投獄をされた。取り調べの末に二人が語った動機に、王国の上層部は震撼することとなる。
『魔族は、帝国に仕える代わりに、かつて一つの約定を結んだ。それは、魔族が信望しているアムズ・テルの邪神を復活させることに帝国が影で援助をすることだった』
骨董無形な話。誰もが冗談の類だと思った。
馬鹿みたいな動機だ。古い言い伝えにある邪神の復活だなんて、誰が聞いたって笑ってしまうだろう。それなのに、ミカゲはどんなに詰問をされても同じことを繰り返した。
吹き飛ばされた半身。血みどろで満身創痍の魔族将校は話した。
「……王国神殿の国宝とされているエメラルドの宝石。王城を魔物によって攻め落とし、邪神の封印石であるその一つを手に入れるはずであったのだ」
失伝されていた大きなエメラルドは、今現在は王女殿下が保管する事とされていた。
ミカゲはくつくつと虚ろに哂う。
「……私たちは、諦めぬ。全ては、我ら魔族の繁栄を取り戻すために」
割れたガラスのように、心が粉々になった。
何度も胃の中が空になるまで嘔吐した。こみ上げた酸の味が煩わしい。嗚咽を繰り返した喉には通るものがない。
マケインは、まぶたを閉じて冷たいシーツに横たわる。
このまま骸になってしまいたかった。誰にも見られずに消えてしまいたい。
凍えそうだ。
冷たい冬の海に浸かっているような気持ちだ。辛い感情の波は寄せて引くことを繰り返している。
――綺麗な上っ面だけで生きてきた。
以前にいた平和な社会では、死というものは遠くパッケージをされて、非日常のものへと隠されていた。
俺は、そういうものに真面目に向き合うことは、正直、恰好の悪いことだと信じていた。
真剣に命のことを語る奴らを内心子馬鹿にしていた。
ずっとそんな風に偽り続けた自分に反吐が出る。
「馬鹿みたいだよなあ……」
何も考えず。自分の行いの結果すら責任がとれない。
正義なんて所詮建前だ。誰だってみんな己が正しいと思っている。それは、禁忌を犯すことの理由にしてはいけない。
殺人は殺人なのだ。
そこにいいも悪いもないのだ。人間が人間を殺めることのおぞましさしか、自分には存在していない。
気持ちが悪い。きもちがわるい……あの日、どろどろの血を浴びた手のひらを何度も思いだす。
マケインは自己嫌悪の中、ベッドの中で意識を手放す……。
その一晩のまどろみに。気が付くと、夜の静寂に何者かが囁く声がした。
「――マケイン・モスキーク……貴方は、約束どおりに英雄となりましたねえ」
どこかで声が聞こえた。
妖艶な女性らしい声の響きだ。
魔神。暗闇からキシャナ・ペカトリーネの白い指が、マケインの灰髪を優しく撫でた。
「……なにが英雄だ」
夢の内側でわななくようにマケインは吐き捨てる。
そんな少年に、魔神は微笑んで告げる。
「そんなに何を思い悩んでいるのですか」
「俺は人を殺そうとした。たとえミカゲが生きていたとしても、あの瞬間に戦っていた俺は、確実に相手を殺めようとしていた。日本人として許されることじゃない……」
「それのどこが悪いというのですかあ。戦いとは互いの命を賭け合うものです」
「……そもそもアンタは、どうしてカンナや魔族にも魔法の加護を与えたんだ。邪神を信仰しているような連中に、神のあなたが余計なことを最初にしたから、今回の事態になったんじゃないのか?」
キシャナは穏やかに笑う。
「……率直に彼らに適性があったからですよ。親や出自がどうであろうと、生まれ出る赤子自身に罪はないからよお」
「……キシャナ神。貴女は一体誰の味方をするつもりなんだ」
マケインは険しい声で問いただす。
女神は静かに口を開いた。
「私たち神族と大地の子の価値観は同一ではないのよ。我らは管理しているこの世界の星の流れが正しく廻っていくのを守れればそれでいい。時代によって人同士が争った結果、どの陣営の者が覇権を握ろうと、それはその流れの一つでしかない」
「……では、邪神のことはどうなんだ。人間なんてどうでもいいなら、どうしてこの世界の神々はトレイズの姉妹である邪神をわざわざ封印したんだ」
マケインの問いに、しばらくの沈黙が流れる。キシャナ神は、深々と嘆息をした後に、「アムズ・テルそのものが壊れてしまいそうになったから。私たちは今まで観察をしてきたこの星や人の文明を愛しているのよ」と言った。
「……ふざけるな」
マケインは憤る。
この魔神に人間愛を語る資格があるとは思えない。
「些細な今回の事件の英雄になったから、どうだっていうんだ。高尚な身でちっぽけな俺を嘲りにでも来たつもりなのか!」
「……私がここに来た理由はただ一つです。武神オグマと魔神キシャナは、非凡を見せた貴方の努力を認めましょう」
「は?」
俺、この女神とそんな約束をしたか?
怒りを覚えながらも記憶を思い返すと、確かにそんなことを言われたような気がしないでもない。事件の衝撃によって、すっかり忘却をしていた。
マケインが唖然としている間、キシャナはその額に軽くキスを施した。
「私たちも。マケイン。貴方を愛しましょう。これからは貴方は努力すればするほどに、器を大きくすることでしょう」
「…………それはどうも」
「これからはスキルを得たときは、何か思いついたことを試してごらんなさい」
「ちょ、ま……っ」
油断していた。
キシャナは、マケインの肩を突き落とす。
バランスを崩した少年の身体が、背中から深い闇の奥へと転落をしていく。
「善も悪も、成功も過ちすらも。……私たちは貴方と共に」
では、さようなら。
良い旅路を。
溺れるように、その別れの言葉が聞こえて――――、
叫びながら、マケインは現世へと跳ね起きた。
「……ここ、は……、俺の部屋か……」
色の褪せたクローゼット。この数か月暮らしただけの狭い部屋。安物のベッドが軋む音がする。
ふとベッドの横を見ると、そこには寝る前に置きっぱなしのギルドカードがあった。
何の気なしに手をとると……
マケイン・モスキーク【人族】【男】
レベル38/999
HP568 MP11400 STR286 DEX101 AGI130 INT測定不能 LUK測定不能 DEF100 ATK550
加護【食神】【武神】【魔神】
スキル【浄水】【と殺】【発泡】【保冷】【高圧】【武魔適性向上】
称号【食神の恋人】【三神の加護者】【アストラ王国の英雄】【騎士見習い】
「は……はははは!」
マケインはいつしか笑い出す。
色々とぶっとんだステータスになっていることにドン引きをしながらも、少しだけ鬱になっていた気持ちが晴れていく。
色々と現実味がない。
だが、一つだけ言えることがあった。
「これだけの加護があれば、トレイズを一生守ることができる……!」
マケインは勢いよく立ち上がり、ドアから外に駆けだした。少しでも早く、彼女に会ってこのことを報告したかった。
手当たり次第に色んなところを探していると、ようやくその姿を見つける。
「トレイズ! そこに居るか!?」
キラキラとした水浴び場の近くで、服を着替えようとしている恋人の姿があった。どうやら、彼女はこれからドレスの紐を縛ろうとしていたらしい。
突然のマケインの訪れに、びっくりしたトレイズの手からするりと服が落ちた。
ぱさっと音がする。
まばゆい光景が目の前に現れた。
抱くときに何度も目にしたはずの恋人のシルエットだけれど、どうしようもなくマケインの心臓が跳ねる。
純白のレースの下着に身を包んだトレイズは、真っ赤になって立ちすくんだ。
「…………、み、みないでよ」
小さな声。
朝日に照らされたその姿に、マケインは瞬きもできない。
トレイズはささやかな胸元を隠そうと、とても恥ずかしそうにしている。その様子も愛らしい。
「……うぁ、着替えてるところにごめん! でもトレイズ。隠すような胸もないから、そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だよ!」
悲しきかな。
デリカシーというものをどこかに忘れてきたマケインは、堂々とした大声で、
「俺たち、結婚しようか!」と言った。
一世一代の告白に、しばしの沈黙がやってくる。
トレイズが屈辱にぷるぷると震えだした。
「…………」
プロポーズの答えの代わりに、きゅっと唇が引き結べられ。
問答無用と言いたげな、
トレイズによる力いっぱいの鉄拳が――恋人であるマケインを殴り飛ばしたのだった。




