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☆100 口は滑らすものではない



今日もバタバタとした一日だった。

最近のマケインは、姫様に柔らかく食べやすい料理を出すために、地球にあった圧力鍋を再現できないかという試みをずっとやっていた。修行の合間に師匠に相談をしながら、隙間の殆どない鍋を特注し、トレイズに相談しながら魔道具作りの工房に以来して……鍋から少しだけ蒸気を逃がせるようにしてもらった。何度か実験の途中で爆発をしてタオラが怯えまくっていたが、ようやく辛うじて使える代物が完成した。


師匠のアニエルは呆れて言う。

「まったく魔道具工房もびっくりしていたさ、まさか鍋にそんな高価な依頼をする人間がいるだなんて想像もしてなかっただろうよ」


「そうでしょうか?」

「いいかい、そもそも魔道具ってのは、専門の技師じゃなきゃ作らない。魔陣を組み立てて刻み込む作業は、誰でもできるもんじゃない。正確に言えば、完全な魔陣というものはこの世には存在しない」


「前々から思ってましたけどその魔陣って何なんすか」


「遥か昔の古代にあった魔法語からデザインされた魔法陣のことさ。これに関しては、わたし達にはもう元の魔法語が何だったのかは伝承していない。人には過ぎた技術のせいで、この世界は一度滅びかけたと伝承されている。

現状のわたし達では辛うじて残っている魔法陣を、あーでもない、こーでもないと解析して研究しながら魔道具を作っているのが現状なのさ」


「……えらく大変な話ですね」

マケインは想像するだにげっそりとした。


アニエルも眉間にシワを寄せ、

「それなのにこの馬鹿弟子ときたら、いくらズーシュカ様の為だといえ……ろくでもないことに『鍋』にその魔陣を刻んで欲しいときた!!

アタイはもう、師匠として恥ずかしくて死んだ方がマシだと思ったわ!!」


「そんな、奇抜な発想だって褒めないでくださいよ!」

「全くもって褒めとらんわ!!」

怒声。ぐりぐりとこめかみに拳を当てられる。痛さにマケインが悶絶していると、アニエルの孫のミューレが興味深そうに言った。


「マケインの魔法は変わってるよね。やっぱりどっか頭がおかしいのかな、未だに料理スキルに依存した魔法ばかり使っているし」

「……だってそれが一番制御が安定するんですよ!」


「型にはまった魔法は良くないよお、変な癖がつくとめんどくさいし。もう一度ギルドカードを見せてよ、マケイン」

「えっと、笑わないでくださいよ……」


マケイン・モスキーク【人族】【男】

レベル20/999

HP210 MP8062 STR84 DEX95 AGI80 INT測定不能 LUK測定不能 DEF88 ATK94


加護【食神】

スキル【浄水】【と殺】【発泡】【保冷】【高圧】

称号【食神の恋人】【男の娘】【聖女】【勇者見習い】【騎士見習い】


「ははははは! とうとう聖女見習いが聖女に進化してる!」

容赦のないミューレの馬鹿笑いに、マケインは涙目で叫んだ。


「なんっでこんなことになってるのか俺も分かんないんですって!! 俺は、紛れもない男です! なんなのですか聖女って!!」


「最近、騎士隊に変なファンが増えてるもんね!! みんなマケインのこと、ズーシュカ様付きの女の子の騎士見習いと勘違いしてる人が多いから!!」


「笑いごとじゃないですよ!? 最近、男からの妙な視線に寒気が走ってるんですからっ」


そう。やけに王宮での風当りがマシになったと思ったら、最近のマケインはすっかり女性騎士志望の令嬢と勘違いされていた。

どうみても可憐な美少女である見た目もあるが、一番その噂の信憑性を増したのは厨房で料理人に混ざって働いている事実が後押しをした。


健気で可愛らしいマケインちゃん。


この世とも思えない美味しい料理を作る美少女。


王城の中で彼女にしたい娘不動のナンバーワン。


むしろ、聖女様として信仰します。是非うちの息子の嫁に来てください。


その結果【聖女】の称号がギルドカードについてしまったことに、、マケインは滂沱の涙を流したのだった。


「この高圧ってのはなんの料理スキルだろうねえ」

「鍋に使うと美味しく肉が柔らかくなります」


「他は?」

「鍋に使うと豆が柔らかくなったり、とろとろのジャムができます」


「そのジャムってのは確かに旨かったけどね、それは鍋にしか使えないのかい」

「圧力鍋以外に使うと現状、蓋が飛びますね」


「使えないスキルだねえ」


マケインはチラリと思う。

恐らくこの高圧スキル、人体に向けると大変な惨事になるだろうな、と。

遠くに設置したビール樽に試しに使ってみたところ、マケインが生きていたことが驚きの事件を起こしてしまったのだ。

木の破片が爆散したときは死ぬかと思った。一緒に実験をしたトレイズが真っ青になっていた。


「ま、マケイン……? あたし、うっかり旦那様に寝ぼけて、爆発させられないわよね……? 同じベッドで寝るのはやめようかしら……」


しかしながらそれをホップキンソン師匠に説明すると……恐らくなんでこんなことをした。と大説教が始まるので、マケインは意地でも内緒にしようと考えたのだった。




今日の昼餉のメニューは、香辛料を控えめに使ったカレーだ。市場に行って探してきたスパイスをブレンドし、試行錯誤をした結果なんとか美味しく仕上げることができた。


材料の名称は違うものの、ここでは地球の呼び名で作り方を追う。鶏肉を小さく切り、オリーブ油でショウガ、ニンニクと一緒に炒める。香辛料を投入して軽く煎り、ペーストにした野菜とたっぷりのトマトを潰して煮込む。水分を足し、バターを入れ、圧力鍋で再度煮込んだ。

炊いた大麦を米の代用とし、それに作ったカレーをかけたら、栄養満点のカレーライスの完成だ。


この国ではスパイスを使った調理が主流なので、周りに試食をしてもらったところ評判は上々。懐かしい味は自分でも納得の出来だ。


「……日本に戻りたいな」

トレイズと一緒に日本に行って。美味しい日本食を食べさせたら。彼女はどんな顔で笑うのだろう。

儚く、少年は自嘲した。


「死んだ人間が帰れるわけない、な」





主君の為に作ったデザートを運びながら、食べ終えたカレー皿を下げていたマケインに対して、姫君は口を開いた。


ズーシュカ姫は随分と体調が持ち直した。最近では進んで食事を摂るようになったし、中でもマケインの作った甘味は革命的だと喜んで口にした。


貴族たちの間でも、これまで食に頓着を見せなかった王女が、近頃好んで食べている宮廷料理がどのようなものかと、噂の的となっている。

ましてや、作っているのは聖女だと皆に言われているのだ。ズーシュカ姫は、あえてその噂を否定することはなかった。

必然的にモスキーク家が携わっている領内の商いに、問い合わせが集中することとなり。


はて、儲からないわけがない。下級貴族でありながら、現在のマケインの懐は大分温かいのだ。


「ねえ、マケイン。つかぬことだけれど。貴方、かなり儲かっているみたいじゃない」

と、昼食を終えた姫君は唇を動かした。

本日のタイル張りのテーブルに並ぶデザートは、レモンのソルベ。薔薇の浮かんだハーブ水。季節の果実で作ったジャム。

ズーシュカ姫は自堕落に天蓋つきベッドに寝ころびながら、眠たそうに言う。


「え、ええ。まあ……」


「ふわあ、最近は宮廷でも随分と可愛らしい護衛を連れて歩いていようね。よく雇ったものだ。いまもこの廊下にいるのは、獣人の子どもでしょう」

王女は弛緩した溜息をついた。

それはまるで、知らぬ間に悪戯でもした子犬を見るような眼差しだ。


「タオラは優秀です。私は彼女が、獣人であることを気にしておりません」


「まあ……、城内で問題を起こさないのならいいでしょう。何か起こってもあなたが対処するのですよ、マケイン。異界の神はあらゆる者を見守っておられるのですから」

長いまつ毛を伏せ、黒檀の髪を触る。面白そうに笑っていた。



「――マケイン。あなたと商売の話がしたいわ」



王女は穏やかな声でにっこりと言う。


ごろりと体勢を変え、座りなおして笑った。その肢体から視線を背け、マケインが言葉を濁す。


「それはモスキーク家との話になりますか? でしたら、私一人では判断が……」

「いいえ。神殿長であるわたくしは、あなたと直接の取引をしたいと言っているの」


口ごもったマケインに、姫君はずいっと迫る。

冷たい指で触れられた。ほどよく血色の良くなった美しい顔は、輝くアメジストの瞳にとても映えた。


「今、王都で起こっている流行り病のことは知っているかしら」

「少し聞いていますよ。平民の暮らす下町の辺りから広がっているらしいですね」


マケインはすぐに答えた。モスキーク家、義母マリラの弟のジェフから報告された情報に、その話があったはずだ。腹痛、下痢を伴い衰弱をしていく病が、この城下町で流行の兆しを見せていると。

少し眉根を寄せ、姫は呟く。


「……どうやら今回の病はね、少しタチが悪そうなの。少しずつ貴族の間でも感染者が増えてきているわ」

「何か対処法はないんですか?」


「今のところは何も。治療院に援助はしているけれど、お金のない平民や特に下級貴族が亡くなることが多いわ」

「…………」


良くない話だ。

それを聞いたマケインは少々焦った。もしも自分の周りの人間に移ることがあったらマズイ。


「死者は多いのですか」

「そうね、高位貴族はまだ大丈夫よ。けれど、神殿としてもこのまま何もしないわけにはいかないの」


とろりとした眼差しを向けられる。

ゆっくりとした口調で、彼女は言った。


「マケイン。あなたのこのハーブ水をわたくしに使わせてくれないかしら」


「え、これですか?」

迫られた少年は目を瞬かせた。テーブルに乗っている水差しの中にあるのは、マケインが『浄水』のスキルを使って作ったただの健康的なドリンクだ。

浮かべた果物やハーブの香りがついた只の水。それでしかない。……これが流行り病にどう関係があるのか見当がつかなかった。

意外な言葉に驚きを隠せずにいると、真剣な声色で主の唇が動く。


「もちろん報酬は支払うわ」

「……何に使うんですか。こんなものを」

怪訝な思いとなる。


「神殿の認めたご加護のあるハーブ水を、病に困っている貴族に配るのよ。気休めでも脱水症状にはいいでしょうし、今まで見たことのないものは状況を誤魔化すのにはちょうどいいわ」


「誤魔化すって言いましたよね。今」

この事態になんと不謹慎な言葉だろう。

率直に、食神であるトレイズが聞いたら怒りそうだと思った。


「そうよ。この国の神殿長なんてフェルトメイデン王家の名で民衆をちょろく誤魔化し続ければどうだってなるの」

「身もふたもないことが聞こえましたが」


「きっと神はわたくしの行いの全てを許してくださるわ」

手を組んで王女は祈るポーズをとった。空々しい。


嘘をつけ、とマケインは心中悪態をつき。半眼となった。


この姫君は大概に性格は悪く、良く言えば大雑把。悪く言えば無責任に尽きる。

なんせ放蕩生活を送る為に、神殿長の大義名分で長年ニートで引きこもっていたくらいだ。今でも限られた人間でしか彼女にメイドとして仕えておらず、実態は隠されたまま。世間には美化された王女の偶像が飛び交っている。


「それは無料で配るんですか」

「水差し一つにつき金貨一枚よ。なるべく神殿に影響力のある高位貴族から順に手に入るようにしていくの。神々の覚えが良くなると尾ひれをつけてね」


「……それはまるで免罪符のような話ですね」

悪辣な発想に溜息しかでない。


「……? それは何?」

しまった。口を滑らせた。

マケインは目をさ迷わせるが、王女の真っすぐな瞳に射抜かれる。


「……マケイン?」


少年は仕えている主に、にっこりと微笑まれた。

誤魔化しきれないことを悟る。あまり喋ってもいい知識ではないような予感がしながらも、渋々口を割る。


「はるか昔の世界に行われていた、金を出すと手に入れられる札のことです。それを手にした者は、今までの罪が帳消しになると教会に言われて、民衆が奪い合いのように買ったそうです」

「そう。誰から聞いたのかは知らないけれど、あなた博識なのね」

ふうん、とズーシュカは何か考えながら、


「案外に使えるかもしれないわ。ありがとう、マケイン」


「……それはどうも」

不吉な予感がしながらも、詳しく訊ねることは許されない。一介の騎士見習いである少年に王族の胸の内が明かされるわけもなく、これまでの会話だって相当な不敬に当たることを理解できていたからだ。

その無礼を寛容に受け止められているのは、あくまでもマケイン・モスキークの作る料理を気に入ったお姫様の気まぐれにすぎず。

その気分と指先一つでマケインの首は容易く刎ねられるのだ。



しばらくして、病に悩む民衆に神殿からお触れが出された。

流行りの病は、日頃の行いの良くない者に対して広まっているとされた。

対策として、聖なる水を金貨一枚で配ることが告げられる。それを飲んだ人間は天のご加護を受け、これまで積み重ねた罪が許されるという。


死に物狂いで神殿に殺到した人々を、騎士見習いであるマケインは呆然と見つめた。

自分が王族の前で発した言葉によって起こった事態。これは完全に神殿の行う詐欺に加担してしまった形だ。


マケインは今度は王族命令で毎日『浄水』スキルを行使して馬車馬のように働く羽目になった。同じ能力を持っている者を探して奔走した。


食神であるトレイズはマケインとの時間が減ったことに盛大に拗ねた。ズーシュカ姫のために浄水スキルを人々に与えることは嫌だと跳ねのけた。

女神は王女のやったことにすっかり憤怒していた。マケインの料理がこのような不当な扱いをされたことにキレたのだ。

王都に広まった病は沈静化することはなく、やがて暗闇が忍び寄っていく。


しかし、運命とは数奇なものだ。

――――確かに、神殿が売ったその水を。毎日必死に飲んだ人間は流行り病にかかることがなかったのだ。




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