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☆99 未来の亡霊が告げる予言



ジェフは咳払いをする。

「……というわけで、このタオラ・ミククをマケイン様の護衛役として王都へ送ることにしました」


「……結局そういう結論に達したのか」

マケインにも理解はできる。頭では分かってはいるのだが、そのような危険な真似をタオラに任せることは抵抗がある。

だからといって、獣人の少女に戦闘能力が欠けているという話ではない。マケインと比べたら月とすっぽん。金虎族の生き残りである彼女はその身にとんでもない武力を有している。


「でも、自分より小さい女の子を盾にするのは忍びないなあ」

「……私なら、大丈夫」

ふん、とタオラは鼻を鳴らす。


「……大好きなマケイン様には仲間を受け入れてくれた恩義がある。私たち金虎は義理堅い一族。恩には恩で報いたい」

「お、おう……」

マケインは照れくさくなり赤面をした。トレイズはそんな少年をじとっとした眼差しで見ている。さっきまで自分のことをあんなに愛していたのに、早速移り気になっているのが分かるのだ。


「ま・け・い・ん~~」

耳をきつく引っ張られ、マケインは痛みに襲われる。


「いたた、トレイズ! 許してトレイズ!!」

「この浮気もの……」


「ちがう、そういうことじゃないんだ! タオラのことは妹のように思ってて……」

「どっちにしろ面白くないわよ、このおバカ!」

そんな二人のドタバタ劇を見て、タオラはマケインの片腕に平らな胸を押し当てて、にこっと微笑んだ。


「……マケイン様は私のことが好き。えへへ」

「あーっ トレイズ、耳がもげる! もげちゃうぅう!」


「旦那様の馬鹿ーーーっ!」

彼らを眺めていたジェフは溜息をつき、肩を竦めた。


「まあ、大抵の狼藉ものはタオラで対処できることですが、マケイン様もお体にはお気を付けください。ただでさえ、下町では病が流行っておりますので」

「なにかあったのか?」


「最近、……城下で流行っている病気があるようでして、今はまだ少ない感染率なのですが、腹を下したり嘔吐したりして衰弱してしまうそうで……。下町には医者も殆どいないので、対処に追われているとか」

「伝染性の胃腸炎みたいなものか」


「マケイン様は何かご存じなのですか?」

「似たような話は聞いたことがあるんだ。確かにそれは厄介だな、姫様もまだまだ細い身体だから罹患したらまずい。教えてくれてありがとう、ジェフ」

マケインは笑って誤魔化す。

細菌という概念がないこの世界の住人に、詳しい胃腸性感染症の話をしてもよく分からないだろうし、マケインもこの手の分野に博識というわけでもない。

トレイズはなんとなく感付いた顔をしているが、ジェフとタオラは首を傾げるばかりだ。

女神はひそひそ声で訊ねる。


「……それって前世の知識?」

「……まあ、そうだよ」

この時はまだ、この程度の話であった。





白。果てなく続く水平線に……光が降る。それはまるで雪のようでもあり、キラキラと輝く星のようでもあった。


――ある日、気が付くと。

真っ白い空間に、細市は立っていた。

甘ったるい墓場のお香の匂いがする。意識が酩酊をしていく。

ああ、これは幻想だ。マケインの思考の外側の世界だ。自覚して目を伏せる。忘れたかった転生する前の自分。その姿になっていることを知った。


夢か、妄想か、分からない。

ただ、マケインという少年のわずかな自我。そこに微かに何者かが入り込んでいた。


「……アンタは、誰だ?」

神々の類かと思ったが、そこにいたのはまるで別個の存在で。


いつの間にか、純白の衣装をまとった、仮面の男が目の前に立っていることを知った。

あまり気持ちのいい邂逅ではなかった。

どこか不気味で、気持ちの悪い得体の知れなさばかりが感じられる男だった。

高炉みたいな甘い匂いが鼻につく。


「――私は、お前だ」

厳かに、存在は名乗る。


「俺、だって?」

聴いた瞬間、


細市は、ぞくり、と肌が粟だった。


怪訝な頭に……次第に理解が追いつく。

これは、自分のふりをしたヒトの身で遭ってはならない異形だ――……。

反射的に、恐怖ばかりが募る。そいつには、影がなかった。死者の証だ。

これは夢だ。……幻だと思いたい。

膝をついた細市に、幽霊はゆっくりと話しかける。


「己の罪深さを自覚せよ。お前は、自らの願望故にこれからの未来で数多の希望を代償に絶望へ陥れることを」

「……い、みが……」


「トレイズ神。其の彼女を救うがため、其方は闇を享受する」

「…………」


「あらゆる犠牲を払い、己の欲ばかりを優先する。そのような自分自身が愚かなことを知らない『俺』にはこのままでは救いなど訪れぬ。破滅の道を歩むお前に、我は云いたいことがある」

息を吸い、彼は云った。


「――そちはトレイズ・フィンパッションを諦めよ」

それを耳にした時、細市の思考は真っ赤に染まった。激情に頭が侵され、怒号のように叫ぶ。


「お前に……! 何が分かるんだ!」

「私には分かる」


「トレイズは、俺の恋人だ! 彼女は俺の希望だ! 光なんだ! 未来がなんだ、そんなものとは比べものにはならないくらい……っ」

そこで細市は、マケインはハッとした。

そうだ。俺は、所詮はトレイズがいればいいのだ。

彼女の幸福の為なら、笑顔がみれるならどんなことにでも耐えられる。理不尽も、屈辱も、苦しみも。隣にトレイズがいるなら……。


「その傲慢さでは救われぬ」

眼前の存在に囁かれる。

熱くなった思考が、じわじわと侵食されていく。


「彼女を救うために、お前は世界を滅ぼすのか」

「……そうだ」


「彼女の為に、総てを捨てるか」

「トレイズは、そんなことは許してはくれない。彼女は……本質的なところで怖いくらいに優しい」


女神としての本能のように。彼女はたまに人間を見るとき、ひどく穏やかな顔となる。慈愛を込めて、赤子を抱くような表情をする。

俺は、そんな彼女のことがたまらなく好きだった。

心底、愛おしいと思っている。


下を向くマケインに、仮面の男がこちらを覗き込んできた。

「馬鹿なお前は、これから破滅の道を往く」


嫌な予言だ。甘受したくもない。


「……嘘だ、そんなことにはならない」

それは少年の確信に近い意志だ。


「俺にはみんながいる。お前なんかには、そんなこと何も分からないだろう。」

「あくまで、トレイズ・フィンパッションを選ぶか」


「何を言われても……俺は彼女と一緒にいたい」

この世界に一人放り出された俺を、ただ真っすぐに愛してくれた人。彼女がいなくなってしまったら、何をよすがに生きていけばいいというのか。

今の俺はこの恋心だけが全てなのだから……。


「其方は、これから、何度でも間違えるだろう。正解などどこにもない。闇の中を進むであろう。だからこそ、伝えておきたいことがある」






「だったら、あきらめるな」





そう告げられた少年は息を呑んだ。


「私は、英雄と祭り上げられた未来のお前だ。沢山間違えた末の『俺』自身だ。だからこそ、今になってから云いたいことがある」


「何があっても、己の生を諦めるな。辛かろうと、苦しかろうと、己の決めた道を歩め。それが深淵であろうと、我に逆らうというのなら、最期の終わりまで歩み続けろ」






「…………マケイン・モスキークだった頃の俺に」


仮面を外し、そいつはにい、と笑った。

亡霊のシルエットがサラサラと砂塵となって散ってゆく……。

間違いなく、それは大人になった姿の、青白く砂色の髪をした少年の未来だった。



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