船頭の少女
「ほい、乗りなよ」
「う、うん……わわっ」
ハフィに手を引かれて小船に乗ると、ぐらりと揺れた。
「大丈夫大丈夫。後で揺れなくなるから」
「う、うん」
そんなことあるのかな? 浜辺は浅くて打ち寄せる波も穏やかなのに、平然と立っているハフィと比べて、ボクは全然安定しない。手を引かれるまま、座席に座った。
続いてモルダ──服を貸してもらってもう全裸じゃない……下半身だけは──がよたよたと乗り込み。
「オラッ、さっさと乗れ」
その尻を蹴飛ばして、カルが乗り込んできた。
「いてぇよカルの兄貴」
「お前の弟分を助けに行くんだろーが、文句言ってる場合か? アァ?」
「う……わかった。だか、蹴らなッ、おちッ!」
しばらく不毛な攻防が続いて、モルダも席に腰を下ろした。
「じゃ、行くよぉ」
ハフィが言って、先頭に立ったまま棒を手にする。櫂──じゃない。棒……杖だ。身長よりも長い杖の先に、紐でランタンが吊るしてある。
けれどその中には火ではなく、水が入っていた。
「それって何に使うの?」
「ふふ。この水が好きなんだよね」
ハフィは目を細めて笑うと……何かを呟き始めた。理解できない言葉。それに応じて、ランタンの中の水が淡く光り──
「お? 揺れなくなただ」
「本当だ」
船の揺れが収まった。ハフィがそっと杖を前方に向けると、帆も櫂も使っていないのに、スーッと船が沖に向かって動き出す。
「これって……精霊?」
「だな」
ボクの呟きに、隣に座ったカルが頷く。
精霊使い……水の精霊使い。吟遊詩人の詩によれば、水と風の精霊使いは船乗りに重宝されるという。どちらも船を洋上で自在に操れるからだとか。速度が欲しければ風の精霊使い、真水が欲しければ水の精霊使い、と言われているらしいけど……小舟はすごい早さで進んでいる。
「なかなかやるじゃねェか」
「そうなの?」
「あァ。揺れは少ねェし、出航もスムーズだ。いい腕の船頭だな」
カルが珍しく人をほめている。それだけ、ハフィは優秀な精霊使いなのだろう。カル自身、精霊使いなわけだし──間違いなく。
「だから船長なんだね」
──ハフィたちが付きまとわれている魔物に飲み込まれたのは、モルダの義兄弟、植物学者のナガだった。
モルダが全裸で土下座をし、地団太を踏んで暴れ、泣き喚いて救出を頼み込んだところ、最初に助け舟を出したのは意外にもカルだった。魔物を退治してもいいと。
それなら船を出すと言ったのがハフィで、大男はといえば笑うぐらいで特に口を挟むことはなかった。それで、船団の中の小さな小舟を一隻出すことになったわけだ。
「……あのさ」
風を切って小舟が進む中、ボクはカルに小さな声で訊ねた。
「リストに、海の魔物から採る材料なんてあったっけ?」
カルは横目で僕を見て、頬杖をつく。
「ねェな──んだよ? オレが何かするときゃ、素材がらみじゃねーといけねェのか?」
「そっ、そういうわけじゃないけど」
その声が冷たく聞こえて、ボクは聞き方が悪かったと後悔した。
そうだ、カルだって血の通った人間なんだ、知り合いを助けることぐらいする。損得で考えすぎて、イヤな人間になっていたのはボクの方で──
「ま、ヤらねーと船に乗れそうになかったしな」
「──船」
「言ったろ、船に用があるって」
そういえば言っていた。
「陸に上がった大きな船は修理が必要だ。間に合わねェ」
すでに応急処置が始められていたけど、さすがにすぐには出せないと言っていた。
「小船でオレたちだけ送るなら魔物を避けて行けても、帰りが問題だ。さすがにナガを消化して動き出してんだろ?」
「消化って……」
「となりゃ、魔物をヤッた方が話が早い。それに金も使わなくてよくなるしな」
「恩を売るってこと?」
「長旅なんだ、節約できるとこはしねえとな。あんだよ? 文句あんのか?」
前言撤回。やっぱりこのダークエルフは、イヤなヤツだ。
「仲がいいねぇ」
船首から、ハフィが振り返って、にまにまと口だけで笑う。
「全然!」
「そうなの?」
カルはイヤらしいニヤニヤ笑いをして、余裕そうに肩をすくめる。くそう、もう知ったことか。
「ま、魔物はどのあたりに出るの? どんなやつ?」
ボクはとにかく話題をそらす。いや、聞いておくべき情報だからね、うん。
「あー、でっかい魚の魔物だねぇ。大きくなりすぎて、餌が足りなくなったのかな」
「餌が? 海で?」
「海も広いからねぇ」
魔物。
それはこことは違う世界──魔界に潜む魔王に祈りを捧げて契約を交わした生物だ。
魔界やこちらに住む生来の魔物もいるけど、もう一つ、普通の生物が魔に落ちて魔物となったものがいる。餓えた獣が死の間際に魔と契約して、魔物となって人を食らう……というのはよくある話だ。
海にはいっぱい食糧があるんだから、飢えたりしないだろう──と思っていたのだけど、違うらしい。
「陸の魔物より凶暴だよ。海じゃなかなか人は食べれないから」
魔物は、人間の血肉からしか栄養を得られない。
魔物になることで強靭な肉体や、法術と似て異なる魔術を使う能力などを魔王から与えられ、それをもって人を襲う。んだけど……海で魔物になったら、確かに餌に困りそうだ。海を住処にする人類は少ない。
「で、魔物が帰っていったのはあそこ」
ハフィが指差したのは、海の上に突き出た大きな岩礁──というか島、だった。
灰色の絶壁が周囲を覆っていて、船が泊まれそうな場所どころか、上っていけそうな場所もなかった。上部には木々が生えて鳥が飛んでいたけど、鳥以外の生き物はいなさそうだ。
「あそこの島、海蝕洞があるんだ。そこに巣があるのかも」
「かいしょくどう?」
「ん、崖を波が削ってできる洞窟。そのまま船で乗り込める。ただ──」
ハフィは前を向く。
「気をつけて。あの島の周り、海がおかしいんだ。──荒れるよ」
2022/1/11改稿




