立ち退き要求
「おう、娘よ、救命処置は終わったのか? あの男、だいぶ青い顔しておったがなぁ、ハッハッハ」
「ん、水は吐かせたよ」
女の子はそれだけ言うと、スープを受け取ってもくもくと食べ始めた。
マトール族。人類の中でもヒト族と同じで、特定の故郷を持たない──逆に言えばどこにでもいる種族だ。
もっとも特徴の出る多色の頭髪はボクより短く切りそろえられていて、黒髪の中から銀髪の部分だけがピョコピョコと硬く跳ねている。服からは腕や肩が露出していて黒く焼けているけれど、どうやら地肌はかなり白っぽいらしい。
それにしても小柄だ。親子だなんて到底思えない。
「それじゃあ、モルダは生きてるの?」
「アレ、モルダっていうんだ」
もぐもぐ、と食べながらこちらを向いてくる。眠そうな目つきをソバカスが彩って、妙に目力を感じてしまう。
「目を覚ましたら、ドーテーがどうこうって言い始めたから、寝かせちゃった」
「どっ、どどど……あう、ああ、そう……」
モルダの言いそうなことだ。目が覚めたら女の子がいて自分が裸だからって、勘違いしたんだろう。
「何? アレ、仲間なの?」
「いや、ただの知り合いで……」
「ああ、そう。大変だね、あんなのが知り合いで」
あんなのって──いや、よく考えたら、あんなのだな、うん。
「わたし、ハーフィーン。ハフィでいいよ。あんたは?」
「あっ、ま、マクナス……」
「マクナね。そっちのダークエルフは彼氏?」
「絶対違う」
そこのダークエルフ、ニヤニヤ笑うな。
「何しに来たの?」
「うむ。彼らは船に乗せて欲しいそうだ。金も出すと言っていたな。ちょっと見せてくれるか?」
「オウ」
大男の言葉に、カルは再び金袋を取り出す。それをハフィは、値踏みするような──というか実際に値踏みする目で見た。
「うん、贋金じゃない」
しばらくして、ハフィはきっぱりと言う。
「リルマイア法貨だね。この大陸ならどこでも使える」
──これは驚いた。
「ハフィは、法術の心得があるの?」
お金。信頼によって保障された価値で取引をするための道具。
暗黒期にはそれぞれの国が好き勝手に作っていたため、別の国とのやり取りには価値の違いで苦労したという。それに加えて、贋金作りも盛んだった。
今でも贋金が作られることはある──けれど、昔よりずっと難しい。それは、法貨だからだ。
法貨は二つの価値を保障する。貴金属としての希少さと、そして込められた法力による発行元の立場だ。
今や法力が込められていないお金はない。ある程度訓練すれば、その法力は用意に感知できる。金袋から感じる法力でどれだけのお金が入っているかを推察するのは、商人の必須技能だ。ボクでもできる。
でも、貨幣の意匠を見るまでもなく、法力のみによってその発行元を識別するのは、並大抵のことではない。よほど法術の才能に恵まれているか、あるいは──
「や。家の事情でねー。だいぶ仕込まれてね」
並大抵ではない訓練をするか。……どうもハフィは後者らしかった。
「いつもなら喜んで運ぶよ……って額だけど、今はダメだね」
スープを飲み干したハフィは、皿とスプーンを放り出して言う。
「見たでしょ、さっきの」
じっと、まっすぐボクの目を見てくる。心の奥さえ見通すかのような、透き通った翠の瞳。
「あの魔物がずっとこのあたりの海を張ってる。今日は隙を見て漁をして、あわよくば追い返そうとしたけど──ダメダメ、やるもんじゃなかったよ」
ハフィはため息を吐く。
「銛も臭い玉も効かないし。こりゃぁ、冬をこの浜で越して、その間に魔物が飽きてどっか行くのを待つしかないかなー」
「だが娘よ、エルフの立ち退き要求も厳しいぞ。そのうち実力行使に出かねん勢いだったしな。ガッハッハ!」
「それね。ほんと、ケチだよねエルフ。ね、マクナ?」
「え、あ、うん……そうだね、ははは」
実力行使にまで出るというのは、確かに過剰な気がする。というか、こんな難民のような彼らに対しては異常な対応だ。普通なら保護してくれると思うんだけど……エルフは違うのかな。
「あっ」
ぽん、と。急にハフィが手を叩いて声を上げる。
「でも、今ならいけるかも」
「えっ、そうなの?」
「ほら、さっき助けたでしょ、アレ。アレの他に、もう一人浮かんでたんだよね」
それってもしかして……?
「そっちの方は、引き上げる前に魔物に飲まれちゃってさ。でも、そういうことなら、魔物は消化するのに体を休ませると思うんだ」
消化。
「だから、魔物が休んでいる間になら、この浜から脱出──」
「そりゃだめだ!」
金切り声が響いて、ボクたちは一斉にそちらを振り返った。
そこには、息を荒げた小男こと、モルダが──
「俺見ただナガが飲まれる時、こちを目で見たの! 兄弟は生きてる! 消化なんてさせらんね!」
モルダが──仁王立ちしていた。全裸で。
2022/1/7改稿




