生け贄のマク
ドワイト・セルバンティスは──青白い顔に乱れた白髪、枯れ枝のような腕をしたおじいさんだった。
「それが今度の生け贄か」
ドワイトは歯の少ない口で、ゆっくりと言う。
「はッ」
ボクの後ろに控えたギグルの隊長が答えて、ボクは一歩前に進まされる。
そう。
今度の生け贄……というのは、ボクだった。ドワイトがギグルの人に、若い娘の生け贄を連れてこいと言って、それで捕えてきた……ということになってる。
「若い娘にしろと言ったはずだが──」
ドワイトは、じろじろとこちらを見てくる。
──しまった。ボクが男だってことがバレただろうか? 女ものの服もわざわざ着込んだっていうのに……やっぱり無理があった──
「若すぎないか。子供を連れてこいとは言っておらん」
そこかよ! ハーフエルフなんだからちょっと若く見えても仕方ないだろ!
「いや、よい──今さらその程度、気にしてなんになる。それに獣も、今度こそ若い女の新鮮な血肉で力をつけるじゃろう」
ドワイトは遠くを見て深く息を吐く。
「さあ、行くぞ」
ドワイトが号令をかけ、ボクと衛兵たちは塔へと続く桟橋を歩いていく。夜の闇の中、明かりを絞ったカンテラに照らされる黒い湖面は、何もかもを飲み込もうとしているように思える。……一歩でも足を踏み外したらと思うと、ゾッとした。
「ドワイト様、もう止めませんか」
橋を進む間に、ギグルの隊長がドワイトの背中に声をかける。
「獣などいなくても、この街はやっていけます。我々はそのために日々訓練を──」
「この愚か者が!」
返ってきたのは、怒りと恐れの入り混じった声。ギグルの言葉に、ドワイトが血相を変えて怒鳴りつける。その顔は……狂気に満ちていた。
「お前にはわからんのだ! あの獣がいなくては、この街は終わりなのだぞ。何人の命を犠牲にしようと、やらねばならん!」
「しかし、獣とは──獣とはいったい何なのです!?」
「──お前たちが知る必要はない。ただ、わしの指示に従えばよい」
ぎょろり、とドワイトの目が闇のなかでうごめいた。
「でなければ──お前も獣のエサにしなければならん」
それきり誰もが黙って、塔の下までやってきた。重そうな鉄の扉を、ドワイトが鍵を使って開錠し、衛兵たちが押して開ける。
「では入れ、娘よ。そして階段を使って最上階へ行くのだ」
ドワイトは冷たく言う。
「変なことは考えるなよ。朝になってもお前が生きていたならば、わしらがお前を殺し、その死体を捧げるだけだ。あきらめて己の運命を呪うがよい」
ボクは衛兵に突き飛ばされ、塔の中に入る。
背後で扉が重たい音をたてて──辺りは真っ暗闇になった。
◇ ◇ ◇
扉が閉まると、なんの音も聞こえなくなった。塔の中は、窓もなく真っ暗で……こんなの、階段を上がれって言われても、手探りしかないじゃないか。
「生け贄にするって言われて、こんなところに放り込まれるなんて──ひどい」
これまでの生け贄の気持ちを考えると……ドワイトを許す気にはなれなかった。
「ハッ──処刑台まで自分で歩けたァ、根性のねえジイサンだぜ」
どこからか──ふいにカルの声がする。
光の精霊が呼び出されて、ほんのりと辺りを照らすと──すぐ隣に立っていた。いったい、どうやって入ってきたんだろう。
「あのさ──ホントにこんなことする必要があったの?」
ボクは上から着込んでいた女の服を脱ぎながら言う。
「カルなら忍びこめるんじゃない?」
「法術使いの仕掛けが残っててな、さすがに正攻法以外の侵入は無理だ。最上階の窓の結界も健在で、覗くのがやっとって感じだった」
──塔の外壁はツルツルしてそうだったんだけど、いったいどうやって登ったんだろう。
「かといってコイツで壁をぶち抜くと、やり過ぎて塔が崩れるかもしんねェ」
そう言って、カルは背負った弓を指す。強大な力を放つ、魔族さえ消し飛ばす至法の弓。
「今回はコイツの出番はなしだ」
「獣──ホントに倒さないの?」
「あァ──」
カルは神妙な顔をして頷く。
「むしろオマエの出番だ。薬師、マク……のな」
「そりゃ、いちおう少しは症状を診たりはしてきたけど──」
カルいわく、獣は病気をしているらしい。それを治そうとして、ドワイトさんは生け贄を捧げているのだそうだ。病気を治すために生け贄を? と思ったけど……実際、ある種の生き物には、法力を備える人間の血肉の方が栄養になるらしい。
もちろん……魔族なら言うまでもないことだけど、カル曰く魔族ではないらしい。
「オマエで病気の原因が分からなきゃ、別の人間を探す。ただ、獣のことを知ってるヤツは少ないほうがいい。オマエが分かればそれにこしたこたない……そんぐらいの話だ。固くなんなよ」
そうは言っても、生け贄を捧げるような獣だし……診察どころか、出会い頭に食べらるんじゃ……?
「あのさ、獣って……」
「見てみりゃわかる。突っ立ってねェでいくぞ」
「ま、待ってよ」
カルの背中を追って、螺旋階段を登る。段差が低いので、ずいぶんと移動に時間がかかった。
「あァ、ついたぞ、ここだ」
カルが一足先に最上階に立って、ボクを見下ろしてくる。
「いいか、あんま騒ぐんじゃねえぞ」
──あんなに取り乱してたくせに、よく言う。
ボクは唾を飲み込んで、ゆっくり最上階に上がった。
そして目にする。
「……えっ」
──部屋の半分以上を占める、鱗の生えた巨体。折り畳まれた翼。長く太い尾。鋭い爪。ぎょろりと動く、縦長の瞳孔をもった瞳。強靭な顎に生え並ぶ牙。
「ドラ──モゴッ」
「その名前はよしとけ」
カルに口を塞がれたことなんて、もうなんとも思わなかった。
なんたってボクの目の前にいたのは──塔の中の獣というのは、ドラゴンだったのだから。
2022/1/1改稿




