表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/18

第15章

 右近徳太郎氏は語る。

「1943年にご存知のように第二次世界大戦は終わりました。私も北フランス上陸作戦を前に陸軍に召集されましてね。終戦時には、北フランスからミュンヘン近くまで私の所属する部隊は進軍していました。私は、名誉の戦傷を受け、日常生活には支障がありませんでしたが、脚が自分の思うように完全に動くことは無くなっていて、サッカー選手生活を続けることは断念せざるを得なくなっていました。また、日本は、英米と共に第一次世界大戦と同様に連合国として戦勝国の一角を占めることができました。しかし、私には、それよりも遥かに気になることが当時ありました。あの栄光に輝くベルリンオリンピックのサッカー日本代表のレギュラーの面々が生きておられるのか、また、私と違って、サッカーがまたできるのか、ということです。

 もちろん、石川監督が名誉の戦死を遂げ、中将に特進されたことは知っていました。でも、他のレギュラーの面々の運命については、さすがに当時の新聞にはすぐには載らなかったし、私も1942年早々に招集されたことから、戦場に赴いていて、手に入る新聞も数日どころか、日本語の新聞は慰問袋に入っていた数か月遅れの新聞というのが当たり前でした。だから、全く日本代表のレギュラーの運命は分かっていませんでした。戦場の噂で、あの秋月さんが戦死されたらしいぞ、という話などがを流れるのを聞くこともありました。でも、まさか、あそこまでのことになっているとは想いもよりませんでした。

 1943年の年末に、私は欧州から帰国でき、神戸の自宅で年末年始を家族と過ごした後、年明け早々に電報で鈴木コーチに連絡を取って、鈴木コーチのご自宅を訪ねました。鈴木コーチとあいさつを交わした後、ベルリンオリンピックのレギュラー陣の消息をご存知ですか、と私が単刀直入に尋ねたところ、鈴木コーチはあふれる想いが堪えきれなくなったのでしょう、涙を浮かべながら、「気を確かにして聞いてくれ、皆、戦死した。皆、戦死したんだ。」と話されました。私も気が動転して、「嘘でしょう。幾らなんでも、そんなことがあるわけがない。嘘だと言ってください。」と思わず叫びました。「本当なんだ。相良さんも、大友さんも、鍋島さんも、秋月さんも含めて皆、戦死された。もうこの世でお会いすることはできないんだ。」と鈴木コーチも泣きながら言われました。確かに6年余りも続いた戦争です。何人かが戦死されていることは覚悟していました。しかし、石川監督を始めとしてレギュラー陣も全員戦死されているとは。本当に私も心から泣きました。日本サッカー界にとってかけがえのない方々の死を知った瞬間でした。しかし、その時は、それよりも私にとってはベルリンからローマへの遠征の中でいろいろと指導を受けた方々と永遠のお別れをしてしまったという思いがこみあげてきてなりませんでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ