第82話「オーシャン・"マフィン"・ドリーム」
夜になると、家の窓から亜人街の賑わいを示す照明が見える。魔法ではなく機械関連の電飾を使っている光だ。
昨日まで淡い光だったそれは、今日になると天を地上から照らしていた。煌々とした明かりを発しているその様は、さながらお祭りのようであった。
明日じゃなくて、もう少し期間を開けて行こうかと、窓から亜人街の方を見ていたゾディアックは、腕を組んで項垂れる。
亜人街には、なるべく日が高いうちに行きたい。夜に向かうと店の誘いや飲んだくれたちに囲まれ、まともに少年を探すことが不可能だろう。
おまけに、最強のガーディアンであるゾディアックが来たと亜人たちが知れば、絡まれることが多くなるのは必至だ。向こうは、とんでもない大富豪が遊びに来たと勘違いする。
行動を共にするビオレやミカに迷惑をかけるのは避けたかった。
だがセントラルにて、ふたりはどちらも「夜に行きたい」と進言した。
「せっかく行くなら、亜人街の本来の姿を見てみたい!」
好奇心旺盛なのか、目を爛々と輝かせて言うビオレに対し、ゾディアックは断ることができなかった。
結局、行くのは明日の夜となった。客が大勢来るだろう亜人街の夜は危険な空気が蔓延している。
ゾディアックは何とかしてふたりを守ろうと決心していた。とりあえず、客引きに対する上手い断り方をイメージトレーニングする。
「ゾディアック様、いつまで黄昏てるんですか?」
ソファに座る口ゼが、大きな背中に声をかけた。夕食後、ずっと窓際に立って亜人街を見続けていたゾディアックは、頭を振ってロゼを見る。
「はやくこっちきて座ってくださいよ。はい、おいで」
小さな手で手招きするロゼが可愛らしいとゾディアックは思った。
「ロゼ〜」
「なんですか〜?」
ゾディアックはよたよたと歩き、口ゼの後ろに座り抱きしめる。
「ビオレに見られちゃいますよ?」
「まだお風呂入ったばかりだから、少しだけ」
そう言って少しだけ腕に力を込める。口ゼは鼻から息を吐き出しながら、ゆっくりとゾディアックに体重を預けた。
ふたりの視線はヴィレオンに向けられる。
噂のデザート特集と画面の右上には映っている。中央に映るレポーターは、パンケーキとガトーショラを紹介した女性だった。
テーブルに両手を置き、椅子に座る彼女の後ろには、青い海と青い空が広がっており、大小さまざまな船が海上を行き来していた。
『こんにちは〜! 私は今、港町が首都となっているボスコ共和国に来ております!』
サフィリアから西に数百キロ先に位置する港町を起点とし、いくつかの小規模な島々からな
る国、それがボスコ共和国だ。
もともとは海賊が大量に発生していた危険地帯だったのだが、セントラルから迫放されたとある女性のガーディアンがそこを訪れ、島々の海賊たちを次々と成敗。生き残った者たちを全員自分の部下にしたことが、ボスコ共和国の始まりだと言い伝えられている。
女性の名は「マリア・オーシャン」。噂だが、ヘカトン・ゲイルの頃から生きているガーディアンらしい。
ゾディアックはヴィレオンの映像を見つめながら以外だと思った。こんな港町でデザートとは。
『いやあ、まさかこんな港町に、お魚料理以外あまり食文化のイメージがないボスコ共和国に、美味しいデザートが眠っていたなんて! 盲点でしたよ』
ゾディアックの想いが通じたかのように、レポーターは口を開いた。若干いやみったらしく聞こえたのは気のせいだろうか。
『さぁ、そんな港町にて人気を博しているデザートが⋯こちら!! 「しっとりふわふわマフィン」です〜!』
小さなカップの中に、こんもりと盛られたような小麦色のパン。それが4つほど、女性の前に置かれていた。
「パン、みたいですねぇ」
首を傾げながらロゼは言った。
『こちらは見た目の通り、デザートというよりパンに分類されるお菓子ですね!』
ニコニコとした表情の女性に対し、ふたりは片類を吊り上げた。
「なんかこっちが見えているみたいだな」
「ですねぇ。気色悪いです」
当然、その言葉が聞こえているはずもなく、レポーターは話を進めた。
『お菓子とはいえ、甘ったるくなく、かといって味がないわけでもない。誰にでも食べやすい物でありまして、ボスコ共和国では朝食にも用いられているんですよ〜』
朝からデザートとは。それは普通にただのパンではないだろうか。ゾディアックとロゼは味が気になっていた。
『それでは早速、いただきたいと思います!』
レポーターはカップからマフィンを取り出す。二口ほどで食べられる、手軽なサイズだった。丸型であり、持ちやすそうでもある。
レポーターはそれを一口食べ、大きく頷き、喉を鳴らす。
『ふわっとしておりますが、上はちょっとしっとりとした食感ですね。バターの香りがすごいです! ただ、そんなに甘くない! なるほど……朝食や間食でちょっと軽めの物をいただきたいときは最高かもしれません。紅茶やコーヒーと一緒に食べると優雅なひと時をすごせそうですねぇ』
女性はそう言ってふたつ目を口に運び、後方に広がる海の方に視線を向けた。
『あーあ。彼氏と一緒にこういうところ来たいな。まぁ、私、彼氏いないんですけど。あははは……死にてぇ』
『モナさん!! これ本番ですって!』
『うるさいよ、カメラマン。カメラ壊すぞぉ』
『キャラ守れよ、あんたよぉ!!』
ギャアギャアと騒ぎ始めた画面の向こうを無視し、ロゼはゾディアックを見た。
「食べてみたいですね、マフィン」
「ん〜⋯⋯んー⋯⋯そうだなぁ」
作るのは構わないが、今のゾディアックには別の不安があった。そのため、気のない返事をしてしまっていることに、自分でも気づいていなかった。
ロゼは体ごとゾディアックの方を向き、首に腕を回した。膝立ちになっているロゼの視線がゾディアックと重なる。
「そんなに不安なら、私がついていきましょうか?」
「……いや、そこまでしなくてもいいよ」
「不安だったら、私をいつでもお使いください。大丈夫です。バレないように細心の注意を
払いますから」
ヴァンパイア、吸血鬼であるロゼの力を使うことは、あまりしたくない。
ゾディアックは頭を振った。
「駄目だ。家で大人しくしていてくれ」
「とはいっても、ゾディアック様ぁ」
「ん?」
ロゼは目を細めて窓の方に瞳を動かした。
「ここ最近、誰かに見られているような気がします」
それはゾディアックも感じていたことだった。
何者かわからないが、かなり気配を殺すのが上手い。いや、慣れている。ゾディアックですら気づくのに時間がかかった。今朝、家を出るとき、明らかな殺気を感じたのも事実だ。
「ああ、知っている」
「どうします? 今から行って仕留めてきましょうか?」
「いや、狙いは俺の方だと思う。口ゼが狙いだったらもうガーディアンに話が出回っているだろうな」
ゾディアックはロゼの頭の上に大きな手を乗せ、ゆっくりと動かした。
「留守は頼んだよ、ロゼ」
「ふふふ〜、お任せください!」
ロゼは大きな手を掴んで、頬に持っていく。
柔らかい感触をその手で味わいながら、ゾディアックはヴィレオンに目を向けた。
透き通るような青い海に青い空。平和な光景だった。あそこで泳げたら、最高に気分がいいだろう。
いつかロゼと一緒に行きたい。そして、みんなとも行ってみたい。
画面に映る映像を見ながら、ロゼとデートする姿を、ゾディアックは思い描いていた。
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