スフレパンケーキ
「それじゃあ、ロゼさん! 行ってきます!!」
「はい、行ってらっしゃいませ、ビオレ」
ロゼが玄関から笑顔で見送ると、ビオレは背を向けて歩いていった。
時刻は朝。ビオレは装備を整えるため、ベルクートの家とマーケット・ストリートに行こうとしていた。
サンクティーレでは奴隷の象徴ともいえる、亜人である彼女がひとりで外を出るのは、以前までは危険だった。
だがドラゴンを倒した彼女は、今では立派なガーディアンとなっている。
問題さえ起こさなければ邪険に扱われることはないだろう。
扉が閉まると、ロゼは急いで鍵を閉めた。
現在、ゾディアックの家にはロゼとビオレ、3人で暮らしている。
今日はビオレが夕方まで帰ってこない。
つまりだ。
ロゼは笑顔を消し、目を細め、野生動物なら一瞬で昏倒させるような鋭い眼光を放つ。
「ゾディアック様と、ふたりっきり」
ゾディアックは2階の寝室で寝ている。今日はセントラルに行かないと言っていた。買い物もすでに終わっている。
素早く動き、2階に駆け上がると寝室の扉を開けた。
ちょうどゾディアックが起きていた。半袖のシャツから、たくましい腕が見えている。
「おはようございます! ゾディアック様!」
「うん、おはよう、ロゼ」
笑顔で言うと、ゾディアックは寝ぼけ眼ながらも笑顔を返した。
可愛らしい。ロゼはそう思った。
「どーんっ」
小走りで近づいたロゼは両手を広げて抱きついた。
衝撃を感じ上手く踏ん張れず、ゾディアックはベッドに倒れた。
「いたい」
「むふふ~。油断しましたね~」
楽しげな声が、胸元にいるロゼから発せられる。
「戦場なら死んでましたね」
「笑顔で言うことじゃないでしょ」
「腕が落ちましたか? ゾディアック様」
「……よいしょ」
むっとしたゾディアックは上体を起こし、あぐらをかいて、その上にロゼを乗せた。
視線が合い、大きな手がロゼの金色に輝く髪を撫でる。
「やう」
可愛い悲鳴が発せられた。
「いいの? そんな声出して」
「……ゾディアック様に対してだけ、全身弱点なので」
「本当に?」
ゾディアックの手が髪から頬に移り、優しく撫でまわし始めた。色白の頬は柔らかく、それでいて肌触りが良かった。自分とは段違いだとゾディアックは思った。
「にゃう……ゾディアック様、好きですよね」
「なにが?」
「私のほっぺた触」
ロゼの言葉はそこで止まった。ゾディアックの親指によって口を塞がれたからだ。
ゾディアックは親指の腹で唇の感触を確かめる。薄い桃色のそれは、ぷにぷにとして柔らかい。
「うぅぅ」
不服そうに、眉間に皺を寄せ、ロゼは両手でゾディアックの手を掴む。
「はむっ」
そして、親指を咥えた。
吸血鬼特有の鋭い犬歯で傷つけぬよう、注意を払って、親指を甘噛みする。
「ふぉれもふひでゆよね~」
「ロゼも好きなくせに」
「ふふふ」
両目を閉じ、まるで愛しいものを扱うようにゾディアックの指を吸い、舐める。音や声が鳴るたびに、頬に少し朱が混じっていく。
ゾディアックは指を引き抜いた。
薄目を開き小首を傾げるロゼに対し、唇を合わせた。
嬉しそうな、楽しそうな息遣いが聞こえ、ふたりは笑みを浮かべて抱きしめ合う。
そのまま20秒ほど経過し、ようやく口を離した。
「……えっち」
「ロゼの方こそ」
「ぼっちのくせに」
挑発的な物言いだった。挑発しているのは明白だった。
「駄目だよ、ロゼ。起きよう」
額を合わせて、ゾディアックは相手の赤い瞳を見つめる。
「このままだと、ずっとベッドで過ごすことになっちゃうから」
「それは困りますね」
ロゼはクスッと笑ってゾディアックの鼻尖にキスをした。
★★★
昼食は適当な物を作りソファ前にあるテーブルに置いていく。
昨日録画していた映画を見ながら食べようと、ロゼが提案したのだ。
「恋愛映画なんですけど、結構面白いらしいですよ」
「そんなの見たがるのめずらしい。いつもは血がバシャバシャでるやつとか、スキンヘッドの筋肉ムキムキのオジサンたちが、カッコいいアクションするやつばかり見るのに」
「たまにはこういうのも見たいんですよ~。お皿取って下さい」
「ん」
何気ない短い会話に、ふたりは幸せを感じていた。
出来上がり、ふたりは食べながら映画を鑑賞し始めた。
孤児の不良娘が、ある日国の王子様と出会い、結ばれるまでの過程を描いていくというのがストーリーだ。
最初は笑えるシーンも多かったが、中盤から王子との恋愛シーンが入る。
食事を終え、一時停止中に食器を洗い、ソファに座ってまた映画を再生する。
「むぅ。この女性、ムカつきます」
ライバルキャラの青髪の女性を見ながらロゼは唇を尖らせた。
「言いたいことがあるならハッキリと本人に言うべきです」
ロゼは言いたいことはすぐ言ってしまう性格をしている。ゾディアックはそこが気に入っていた。
言わなくても私の心をわかってよ、なんて女性は、面倒なことこの上ない。
「うあ。また私の心に気付いてよ、ですって」
ロゼがゾディアックの腕に抱きつく。
「俺は嫌い」
「ですよね!」
それから映画はラブシーンに入った。
キスシーンで見つめ合ったり、ベッドシーンではわざとロゼが体を擦り付けてきたり、ゾディアックはその部分だけ映画に集中できなかった。
そして終盤、見事にハッピーエンドになり、映画が終わった。
「ひっぐ、うっうっ……」
ロゼが泣いていた。
「ろ、ロゼ?」
「よかったぁ……最後ドラゴンが襲ってきたときはどうなることかと思いましたけど……モヒカンヘアの友人と機械の友人が助けに来てくれて」
なんか感動する場面がおかしい気もするが、楽しんでくれたならよしとしよう。ゾディアックは深くツッコもうとはしなかった。
ゾディアックは時計を見て立ち上がる。
「ゾディアック様? どちらへ?」
ロゼも立ち上がり、ゾディアックの服を掴む。
「ん、ちょっとお菓子を作りに」
小さな体を優しく抱きしめる。30センチ近く身長差があるため、ロゼは見上げる形になる。
「お菓子ですか?」
「スフレパンケーキを作るよ」
「あ、私も手伝います!!」
「うん、お願い」
ふたりはキッチンに行き、材料を揃える。すでに何度も作っているため、ゾディアックは作り方と分量をしっかりと覚えていた。
ビオレの分も焼いておこうと思い、少しだけ多めに材料を使用する。
卵を上手く割り、薄力粉やベーキングパウダーを加えながらかき混ぜていく。
その際、ロゼが後ろに抱きついてきた。
「ロゼ~……邪魔しないで」
「いやぁ、生地に嫉妬しちゃいそうです。そんな熱視線を送られて」
「……じゃあ、ロゼがかき混ぜて」
言われるがまま、ロゼは生地の入ったボウルを持ち、泡立て器を使い始める。
その後ろから、ゾディアックがロゼを抱きしめる。
「ゾディアック様~、じゃま~」
ゾディアックは何も言わず邪魔をし続ける。
「ちょ!! どこ触ってるんですか! もう!」
下部や胸元を触ると、ロゼが目に角を立てた。
「ごめん、怒った?」
「むぅ、怒ってないですけど」
「好感度下がった?」
さきほどの映画でも、やたらと主人公は好感度というのを気にしていた。ゾディアックはそれを真似て、ロゼに聞いた。
ロゼは悩み声を上げる。
「それって、満点が100点ですか?」
「うん」
「そうですねぇ。じゃあ20点くらい下がりました」
「うわ……多い」
落ち込むゾディアックに対し、ロゼが微笑む。
「まぁ、100点以下になることはありませんけど」
その言葉を聞いた瞬間、ゾディアックは途端に嬉しくなり、もう一度同じ悪戯をした。
「やっ、もうっ、ばか!」
キッチンに、ふたりの楽しそうな声が響き渡った。
メレンゲも上手く作ることができた。
濡れタオルの上で、卵白の入ったボウルを置き、ゾディアックはハンドミキサーで混ぜ続けた。
すると以前まで苦戦していたのが嘘のように、白くてふわふわなメレンゲが完成した。
「すごいなぁ。こうなるんだ」
しっかりと角が立ち、先端が折れているのを確認すると、生地と合わせていく。
あとは焼くだけだった。油を薄く敷き、弱火でじっくり焼いていく。
「蓋をした方がいいらしいです」
アドバイス通りフライパンの上に透明な蓋を置き、2分待ち続ける。
ふたりはパンケーキを注視する。
「おお!」
「あっ! 膨らんできました!!」
パンケーキが見事に厚みを増していき、ゾディアックは蓋を取ってさらに焼いていく。
そしてフライ返しで裏返すと、見事な黄金色が姿を見せた。
「大成功」
「ですね!」
ゾディアックが若干膝を折り、ふたりでハイタッチをする。
3枚すべてが見事に焼き上がり、満足のいく結果に終わった。
柔らかく、厚みがあり、ふわふわな見た目だ。ふたりは早く食べたい欲求に襲われた。
「ただいまー!」
玄関からビオレの声が聞こえた。
「「おかえりー!」」
ふたりの声が重なる。リビングに来たビオレは、目を見開いた。
「ん! いい匂い!」
「ビオレ、今日はスフレパンケーキが上手く焼けたんですよ! 食べましょう!」
「わぁ、すご……てか、デカくない?」
「食べましょう!!」
ロゼがずいと迫る。
「わ、わかったよ」
ビオレは渋々といった様子で頷き、次いでふたりを見比べる。
「……ふたりとも楽しそうだね」
「そうですか?」
「うん。イチャイチャできたでしょ」
ゾディアックが派手に食器を鳴らし、ロゼが目を開いた。
「ふたりとも、わっかりやすいんだから」
そう言ってビオレはニヤニヤと笑った。
ゾディアックとロゼは顔を見合わせ、諦めたような笑みを浮かべた。
「今から3人でイチャイチャしましょう!」
「いいねー。マスターイジメちゃおう」
「……勘弁してよ」
それから3人の楽しげな声は、夜遅くまで響き渡った。
平和な時間と日常が、過ぎていく。
ずっとこのまま続いて欲しいと、ゾディアックは強く願った。
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次回は第3章。
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