「The Ten」
雨のせいで視界が悪いが、目の間にいる女性が窓から飛び降りるのは見えた。その女性は無傷で立っている。
ゾディアックは気付く。その人物が、以前マルコを殺そうとした相手であるということ。そしてなぜかサンディを抱きかかえているということに。サンディは薄い患者服しか纏っておらず、足は大胆に露出しており曝け出された鎖骨の辺りから白い肌が見えている。
こんな雨の降る夜中に出すべき格好をしていない。おまけに目を覚ましておらず頭と顔の半分には包帯が巻かれたままだ。
治療が完了していないのも含め、彼女はサンディを攫おうとしている、ということを察した。
「これはこれはゾディアックさん。ここに来たのはたまたまですか? なわけないか」
先手を打つように女性が口を開いた。口許を歪めたまま、顎で背後の病院を指す。
「お仲間のラズィさんは病院の中でノビてますよ。多分死んじゃったかもしれませんね。馬鹿ですよね」
女性は視線を落としサンディを眺めるように見つめると、腕を下ろした。地面の水が大きく跳ね上がる。
「死にかけの”コレ”を救おうとして、自分が死にかけちゃうんですもの」
喉奥で不快な笑い声を上げる。人間を物のように扱う相手の非道を見て、マルコが鋭い視線を投げる。
「お前……!!」
自分を殺そうとした相手ではあるが、それでも激昂せずにいられなかった。
それを制するようにゾディアックの腕が視界を遮る。
「何が目的だ。サンディを連れて行って何をするつもりだ。その子は意識もなければ魔力も枯渇しているんだぞ」
「あら? ディアブロ族は魔力の”貯蔵庫”を体内に飼っているのでは?」
ゾディアックは舌打ちし、女性は下卑た笑みを浮かべる。
サンディとラズィがディアブロのエルフ族である、ということに気づいているということは、何か碌でもないことに利用しようとしているのは明白だった。
それを察すると、背中の大剣を抜き構えた。街中での武器の使用は、ガーディアンとしてはご法度だが、人命救助と暴徒鎮圧を行うのであれば致し方ない。
だが、最強と呼び声の高いゾディアックの戦闘態勢を見て、女性はますます笑みを強めた。
「あはは。あなたが私と戦うんですか。それを使って? その大剣を使ってですか」
楽しげで嬉しげで、どこか落ち込んだようなトーンで小馬鹿にすると、女性は手の平に魔力を流す。魔力喚起により急速に集った力は、手の平に靄を作り出し徐々に大きさを増していく。
「冗談でしょう?」
靄を潰すように拳を握り、黒煙が霧散する。
視界が晴れ、相手が持っている物を見て、ゾディアックは驚愕した。
「な、に?」
女性が握っていたのは、紛れもなくゾディアックの剣だった。今も構えているものと寸分違いの無い、漆黒の大剣。
「……どう、いうことだ」
「こういうことですよ」
冷ややかに言うと大剣の切先をゾディアックに向ける。直後、刀身が銀色に染まり始め、女性は駆けだした。
困惑しながらも迎撃の用意をする。相手は腹を大胆に見せながらの縦斬りを放つ。
ゾディアックはそれをなんなく剣で受け止める。その瞬間、片膝ががくりと曲がった。
「!!?」
誰かに膝裏を押されたようだった。力が入らないまま片膝をつく。
上から圧し掛かる大剣は、以上に重かった。
「私の方が使い方はわかっているんですよ、この武器は」
明らかな挑発に、ゾディアックは困惑しながらも下半身に力を入れる。元から体格差はあるため、力押しに対抗できず、女性は後退りする。
素早く魔力を剣に纏わせる。銀色に変わった刀身の周りに、至極色の炎が纏わりつく。
準備が整い相手を見据える。
ゾディアックは目を疑った。相手も同じように、剣に炎を纏わせていたからだ。
それも、ゾディアックより大きく。かつ丁寧に。剣の形に合わせ、綺麗にコーティングされているようだ。
女性が駆けだす。ゾディアックも距離を詰める。
両者の剣がぶつかり、爆音が響く。紫色の爆風が雨水を吹き飛ばし、マルコもまた風圧で飛ばされた。
両者は鍔迫り合いになっていた。一歩も退かず、同じ武器をぶつけ合っている。
その力は拮抗しているように見える。だが、どちらが押されているのかは当人たちがわかっている。
ゾディアックは無言を貫き、女性は、
「ガッカリです」
吐き捨てるように言うと思いっきり剣を振った。
再びの轟音と共に、ゾディアックの体が宙に浮いた。風圧からか雨水が大波のようなカーテンを作り、爆ぜる。
吹き飛んだゾディアックは受け身を取ると素早く距離を詰め、お返しと言わんばかりに剣を振り下ろした。
甲高い音が鳴り響く。攻撃は防がれた。片腕一本で大剣を支える相手に。
「何者なんだ、お前!」
不可解な出来事ばかりであり、困惑する。
女性は嘆息すると剣を払い、無骨な前蹴りを放った。
それが鎧の胴部分に命中しただけでゾディアックは再び吹き飛んだ。今度は受け身も取らず大地の上に倒れる。
ゾディアックは理解する。受け身を取らなかったのではない。取れなかったのだ。
腹部から激痛が走っている。体中に電撃を流された気分だった。鎧の上からとはいえ、自分の腹部分を抑えながら立ち上がろうとする。
「鎧通し(ブレイカブル)……!?」
「その通り。よくご存じで。それにちゃんと後ろに飛んで威力を殺しているのも素晴らしいです。上手く刺されば、腹に風穴が空いたのに」
防具を無視する攻撃魔法。練度からして相当の熟練者であるのは間違いない。ドラゴンの一撃より、その攻撃は強烈だった。
「……何者なんだ。ヨシノの関係者か」
「あら? どうしてそう思うのですか?」
「あの時、馬車に乗っていただろう」
ゾディアックの脳裏に、ヨシノと初めて会った時のことを思い出す。
「ああ。そう言えばあの時に声をかけたんでしたっけ」
相手も思い出したのか、得心したような声を出した後クスクスと笑い始めた。
「違う違う。たまたま相乗りさせてもらっただけです。ていうかあなたも鈍いですよねぇ」
「なに?」
「あんな厳重な警備の中、私のような余所者がいたら、あなたのお仲間のガーディアンが必ず興味を示すと思うのですが」
ゾディアックの頭に、ある仮説が思い浮かぶ。相手の発言に、いやに納得してしまったせいだろうか。
「お前、まさか」
「ええ。見えてませんよ。以前は見えるようにしていただけです。ただ、あなたにだけは見えるのですが」
女性はため息を吐いた。
「昔、見せたことある魔法なのに。本当に忘れちゃったんですね」
「……お前、俺を知っているのか!」
昔、そして忘れたというワードに対し、ゾディアックは痛みも忘れて立ち上がり声を荒げた。
「答えろ! 昔の俺を知っているのか!!」
「ああ、やだやだ……こんな喚くあなたを見たくなかったですよ」
侮蔑に塗れた目を向ける。
「私の知っている”ゾディアック様”は、いなくなってしまったのですね」
興味が失せたように視線を切る。
背を向けた女性に声をかけようとするが嗚咽が先に来た。ダメージが大きすぎる。内臓が破裂しているかもしれない。そのまま片膝をついてしまう。
女性は興味がなくなったように、うろんげな目でサンディを捉える。
その隣にはマルコがおり、抱きかかえようとしていた。どうやら助け出そうとしているらしい。
無表情だった女性の口許が歪む。
「ま、待て……!!」
制止の声など聞くわけもなく、女性は駆け出し、マルコの首根っこを掴んだ。
「ぐあっ!!」
「人の物勝手に取ったら泥棒ですよ」
女性は横目で蹲るゾディアックを見る。
「思わぬ収穫です。ゾディアックさん。新しい人質を、どうもありがとう」
「ぞ、ゾディアックさん! 俺のことはいいから、怪我人を――」
言葉は甲高い笑い声に遮られ、姿は黒い靄で見えなくなった。
球体のように発生した靄が晴れた時、そこには誰もいなくなっていた。
「くっ……くっそ……!!」
誰が見ても、完全な敗北だった。
ゾディアックは何とか立ち上がり、痕跡を調べようとする。
その時だった。病院の方から悲鳴が聞こえた。見るとエントランスに数人の人だかりができているのが見える。
そこから、何者かが歩き、外に出てきた。
「ラズィ……」
服はボロボロで顔も潰れて血塗れになっているが、仲間のラズィだった。
片足を引きずりながら近づく相手に無理はさせたくはない。ゾディアックは近づいて体を支える。
「大丈夫か? しっかりしろ」
「ねぇさ……姉さんは……」
潤んだ片目でゾディアックを見上げる。
ゾディアックは兜の下で、やるかたない表情を浮かべながら頭を振った。
それを見た瞬間、ラズィの中にある何かが決壊し、次いで絶叫が口から零れ落ちた。
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