「The Five」
ふぅと口から息を吐き出す。白息が空間に舞い、瞬きの後、霧散していく。
渦神という二つ名を持つ氷のドラゴン、ガギエルの目撃情報があった雪山にて、アリシア・マクスウェルと騎士団の面々は歩を進めていた。
標高はそれほど高くないが猛吹雪が発生しているため視界が悪い。冷気を遮断する灯の幕を纏っていなければ、前を歩く甲冑姿の騎士たちは凍死しているだろう。
アリシアを含め、騎士団は全部で30人。普通であれば、ドラゴン相手に30人”しか”いないのかと懸念されるだろう。しかしギルバニアが誇る騎士ならば、30人”も”いるという認識になる。
ひとりひとりがダイヤモンド級のガーディアン。一国の兵士団体を身一つで賄える者たちであれば、ドラゴンなど恐るるに足らない。
油断しなければの話だが。
「全体止まれ!!」
前方から声が轟いた。戦闘を歩く10番隊隊長、ブレイク・ルーチェが剣を掲げている。
「標的の姿は未だ捉えることはできていない! だがいる可能性は極めて高い! 今より分散して探索を開始する! 発見次第連絡、決して突出して戦うな!!」
以上、という声が告げられた後、兵士たちは応答し、統率された動きで散開した。
10番隊は主に敵の偵察や戦闘地域の視察を行う斥候部隊である。ただいざという時に戦えるよう、その戦闘力は非常に高い。
特に隊長であるブレイクは世界を渡り歩き、ドラゴンを倒した実績もある傭兵である。当然その戦闘力はアリシアを軽く凌ぐ。魔法があまり得意でないというのは欠点だがそれを補う技術が彼にはある。
大柄な体躯と鈍い銀色の鎧を着たブレイクがアリシアに歩み寄る。まるで白熊が二足歩行で近づいてきているようだ。背中に背負った巨大なバトルアックスは彼のトレードマークでもある。
「お前の出番はないぞ、アリシア・マクスウェル。ここで大人しく魔力を探知していろ」
ブレイクはアリシアを見下す。
(言われなくても)
アリシアは昔の事故が影響して喋ることができず、テレパシーで会話している。
喋りながらも探知は続けているが引っかからない。一応山を覆いつくすほどの捜査網は敷いているのだが。
ブレイクが何度か咳をした。
(発見したら戦うつもりですか?)
「当たり前だろう。武勲を立てるのが俺の生き甲斐よ。お前は俺が戦っている隙に帰っていいぞ。他部隊からの心象は最悪だろうがな」
わざとらしい挑発だった。相手が自分のことを嫌っているのがひしひしと伝わってくる。
6番隊は他部隊から「雑用係」と言われている。基本的には騎士団に入ったばかりの新人教育が主な役割なのだが、実力が足りてない者を受け入れる受け皿として機能している面も確かにある。そんな部隊の長であるアリシアを、剛毅なブレイクが気に入るわけもない。
アリシアが黙っているとブレイクの咳が響く。周囲の兵士たちはすでに姿が見えなくなっていた。
すぐに戻れるようアリシアは魔力を垂れ流し続ける。はぐれたとしても魔力の痕跡を辿って来るようにするためだ。
(……あなたひとりで、戦わせませんよ)
「なに?」
(あなたがいくら強いとはいえ、ドラゴンが相手です。隊長が組んで戦えば勝てなくとも死ぬことはありません)
ブレイクが鼻で笑った。
「お荷物部隊の隊長が何の役に立つのだ」
(少なくとも。あなたの部隊にいる誰よりも)
アリシアは視線を周囲に向け続けながら伝えた。
ブレイクの突き刺すような瞳が向けられているのがわかる。
アリシアは挑発を言っている理由を察した。ブレイクはアリシアに武勲を上げさせたくないのだ。彼女の強さを理解しているのか、万が一自分より戦績を残されてしまってはプライドが許さないのだろう。
怒らせて任務放棄させるのが狙いだろうか。だとすれば酷く稚拙だった。アリシアは今後ブレイクを無視することを決めた。
だが、隣から激しい咳が聞こえた。無視をするが徐々にその咳は酷くなっているようだった。
(体調が悪いのですか?)
たまらずテレパシーを飛ばすと舌打ちが返された。
「うるせぇ。空気が薄いだけだ」
(戦闘の時に倒れないでくださいね)
「余計なお世話――」
再び激しい咳、ブレイクの言葉が途切れる。体調管理もできていないのかと、アリシアは呆れ顔で背を向け周囲を警戒する。
そして背後から「ゲホッ」という声の直後。
「ぐぇ」
という間抜けな声が木霊した。吹雪の中だと言うのに、それだけは嫌に大きく聞こえた。
(ブレイク?)
本当に重病かもしれないと思いアリシアは振り向く。倒れていたりしたらたまったものではない。
だが、ブレイクは倒れておらず直立していた。顔が点に向けられている。
疑問に思っているとブレイクが激しく自身の喉を掻きむしり始めた。
「ゲ、ぐぇ!! ゲホッ!! ぐ、ぐぇあ!!」
まるで大量の水を飲んだかのように、もがき苦しんでいる。
(ちょ、ちょっとブレイク……)
アリシアは困惑しながらも手を伸ばした。
直後。
ブレイクの口から、白い肌の、細長い腕が飛び出した。
(!!!?)
突然の出来事にアリシアが飛び退き、距離を取る。
突然出現した腕は、何かを求めるように動いている。その度に、ブレイクの体が脈打つように動いた。
不気味としか言いようがないそのグロテスクな光景を見ていると、周囲からいくつかの悲鳴と、もがき苦しむような声が聞こえてきた。
(みんな……!? どうしたの!? 返事をして!)
「できませんよ」
女性の声だけが返された。それは目の前から聞こえてきた。
ブレイクに視線を向けると、腕だけだったのが肩まで出ており、顔の半分がこちらを見つめていた。わずかに口角が上がっているのが見て取れる。
「上を見てください。そう、上を見て」
アリシアは警戒しながらも空を見上げる。
そこには、悠々と飛ぶ、白銀のドラゴンがいた。
背中に6本の羽を生やす巨大なドラゴン。この白しかない吹雪の世界でも、その姿はハッキリと見えるよう輝いているようであった。
(どういうこと……!?)
アリシアの頭に疑問符が浮かぶ。
(魔力探知は働いていた。なのにあんな巨大なドラゴンが、探知できないはず……)
「魔力消失。魔力を一時的に消滅させる特殊な幕をあの子にかけておきました。ドラゴンは魔力の結晶で構築されている特殊なモンスターですからね。魔力を探知するという防衛は定石です」
よいしょ、という声と共に、ブレイクの口から相手の全身が飛び出した。同時にブレイクの体が”しぼんでいった”。
出てきたのは黒髪が綺麗な女性だった。黒いコートにズボンという出で立ちは、白の世界の中で目立っている。
ブレイクは大口を開け、目も大きく見開いたまま仰向けに倒れた。その体はペラペラと薄くなっており、筋骨隆々だったさきほどまでの姿は見る影もない。
「しかし流石アリシアさん。それだけではなく騎士団以外の生物が入ってきたら、すぐに把握できるよう細かい網まで仕掛けているとは。確かにこれならドラゴンはおろか、モンスターも確実に引っかかりますねぇ」
(なのに、引っかからなかった)
「そうです。理由は単純。私が魔法で消していたから。あの子の存在自体を」
アリシアは自分の耳を疑った。ドラゴンが他者の魔法にかかるなど。
(ありえない。ドラゴンに魔法が効くわけがない)
「普通はね。けど効くようにしたとしたら?」
(……まさか)
「そうですよ。ガギエルと私は組んでいる。世界を恐怖のどん底に叩き落とすためにね」
女性が右手を上げた。同時にガギエルの咆哮が空に轟く。
アリシアは背を向けて走りだした。見なくともガギエルが高度を下げているのはわかる。
このままでは絶対に勝てないと瞬時に判断すると、なるべく生き残りを見つけるためテレパシーを飛ばし続ける。
だが誰も返事はなかった。魔法が遮断されているだけなのか。
「誰も返事はしません。この山にはもう、あなたと私とガギエル以外、生きていないですから」
絶望的な声が背後から聞こえた。同時に背中に熱い感触が走る。
アリシアは前方に飛び込み一回転しつつ、腰に装備した細剣を抜き、体を相手に向ける。
黒髪の女性は、手に漆黒の大剣を握っていた。
風のエンチャントにより、緑色に輝く細剣を向けるが相手は眉一つ動かさない。
「あら。殺気だけで避けられてしまうとは。なるほど……あなたは相当の実力者みたいですね。ではお遊びはここまでです」
女性の頭上に、ドラゴンの姿が浮かび上がる。巨大な羽を広げ、吹雪と雲を吹き飛ばす。
澄んだ空気が頬を撫で、夜空に浮かぶ星々が姿を見せる。
女性はニヤリと笑って小首を傾げた。
「陸上で溺死する気分を味わってみる?」
何とも純粋で、綺麗で可愛らしい、下劣な笑みだった。
(……クソ)
逃げられない。
その事実が心に突き刺さり、アリシアは抵抗するのを止めるように細剣の切先を地面に向けた。
お読みいただきありがとうございます!
次回もよろしくお願いします!




