第212話「高鳴る鼓動は中央に向かう」
「紅葉さん! また今日も歌ってくださいね!」
「あ、ああ」
街を歩いていると、風俗店で働くグレイス族の女性たちに声をかけられた。
「昨日も凄くよかったです!! お店の外からだったんですけど、よく聞こえましたよ!」
「そ、そうか。中でも聞いて欲しいから、ブランドンに席を増やすよう言ってみるよ」
女性の一人が感嘆の声を上げ礼を言った。
「あの、曲のリクエストってできるのかな?」
「えっと、元の歌を教えてくれれば」
歌を披露してからというもの、よく声をかけられるようになった。亜人街はそれなりの広さがあるが、住民たちのコミュニティが確立されているため、紅葉に関しての情報が全体に伝わるのに時間はかからなかった。
歌を何度か披露してからは「亜人街の歌姫」として顔と名が売れるようになった。おまけに紅葉をひと目見ようと、外部からガーディアンが訪れるほどの人気がでるようになってしまった。
一番驚いていたのは紅葉自身だった。元から歌は好きで、善乃と一緒に歌ったりよく鼻歌を奏でていたが、まさかここまで盛況になるとは思ってもいなかった。
権力者の陰でコソコソと動いていたころからは、考えられない状況になっていた。
「おかえり」
店に戻るとブランドンの声が聞こえた。テーブルを拭いている大男に買い物袋を見せる。
「ただいま。材料買ってきたよ」
「ああ、お疲れ様。すまないな、人気の歌姫に買い物を行かせてしまって」
紅葉は口角を上げた。
「馬鹿にしてんだろ。黒江は?」
「友達の元へ行っているらしい」
「……あいつ、友達作るの上手だな」
ブランドンはカラカラと笑って買い物袋をカウンターに持っていく。
紅葉もその背中についていき、椅子に座ると頬杖をついた。
「どうした。物憂げだな、歌姫」
「あのさ、その歌姫ってのやめてくれない?」
「仕方ないだろう。今や紅葉は亜人街のアイドルだ」
「あいどる?」
「可愛い人気者という意味だ」
「へ。そんなもんになりたくなかったよ」
肩をすくめて唇を尖らせた。
「紅葉のおかげで店の売上も調子が良くなった。毎日満席で、色んな種族が顔を見せるようになった」
「へぇへぇ。そりゃよかったな。恩返しできてそうで何よりだ」
「義理堅いな」
「そんな血も涙もない女に見えるのかよ」
「いや。ありがとう。やっと「アイエス」の名に恥じない店になったよ」
「……どういう意味なの? アイエスって」
「絆。という意味だ」
材料をしまったブランドンはカウンターから出て紅葉の隣に腰かけた。
「私はな、紅葉。この街を、この国を変えたいと思っているんだ」
「……どうしたんだよ、突然」
「お前が必要だと思ってな。私の夢に」
夢、という言葉を聞いて、紅葉は眉を顰めた。今でも善乃の恨みの顔が浮かんでくる。昨日のことのように、思い返される。
「いつか、こんな小さな町じゃない。この国のどこにいても、亜人が排泄的に扱われない世の中を創りたい。もちろん人間も一緒にだ。全員が手を取り合って、互いに助け合えるような世界を見たいんだよ」
それを聞いた途端、紅葉はゲラゲラと笑った。
「夢物語だな。無理だよ。そんなの。どっちも忌み嫌っているんだぜ? お手て取り合って仲良くなんてありえねぇよ」
再び笑う。だがブランドンの表情は真剣だった。
「悪いか? 夢だ。それを語るのは、目指すのは、自由だろう」
「……」
笑みを消し、ブランドンの真剣な横顔を見つめる。
この大男は色々と不器用だが、確かに優しい心を持ち、この街を良く管理している。店を訪れる者が全員歌目的というわけではない。明らかにブランドンに会いに来ている者も大勢いた。
彼は慕われているのだろう。ひたむきに努力し、前を進む彼を、誰もが応援したいのだろう。
「今日も歌うよ」
紅葉は静かに言った。自然と出た言葉だった。
自分の歌でこの人を満足させてみたいと、なんとなくそう思ったからかもしれない。
ブランドンは一度驚いたように目を点にすると、柔らかな笑みを浮かべた。
★★★
「それはなんだ?」
言語も覚え魔法無しでも会話ができるようになってきた日のことだった。
テーブル席に座っていた、いつぞやの風俗店勤務のグレイス族が魔法を見せて来たのだ。何も外傷を与えるような危険な物ではない。
「ふふふ! もう一度見ててくださいね!」
女性が言うと、魔力が活性化し体が一瞬光った。
直後現れたのは男性のグレイスだった。
紅葉が目を見開いて驚くと、男の姿形はドロドロと溶けていき、再び光ると元の女性に戻った。
「ふぅ……これ意外と魔力持ってかれるんですよねぇ」
「なんなんだ、今のは。変化の術か」
「まさしくそれですね。変身魔法って言います。姿形を変えるだけでなく、上達すると声や質感まで変えられるみたいですよ!」
「へぇ。それは凄いな。けど何でお前らがそんな魔法を使えるんだ?」
テーブル席に座っていたひとりのグレイスがクスリと笑った。
「うちは体を売るお店ですから。”お兄ちゃん”のニーズに合わせて体型や声を変えると、一杯お金を落としてくれるんです」
「お、お兄ちゃん?」
「そういう趣向と言いますか……あはは」
風俗系は大変だなと思うと同時に、紅葉はその魔法に興味を持っていた。
実はこの国に住んでいるうちに、"ある目標"を紅葉は掲げていた。アンバーシェルの存在を知ってからそれをしてみたいと思っていた。
もしこの魔法が使えるようになれば、"目標"を達成できるかもしれない。
「それって、私でも使えるか?」
「え、ええ! もちろん。本もあるので貸しましょうか?」
「ありがたい。明日持って来てくれ」
明るい雰囲気が店内を包んでいる。そんな時だった。
「おい! さっさと歌姫出せよ!」
近くのテーブルから怒号が上がった。見ると黒江が接客に当たっていた。
席に座っているのは甲冑姿の男だった。まだ若いが傷跡のある顔と傷だらけの鎧からそれなりに戦歴を重ねてきたことが見て取れる。
「申し訳ございません。もうすでに一曲歌っているので、また明日ということに」
「知らねぇよクソ亜人が。こちとら客だぞ。おまけにお前らが敬うべきガーディアン様だ」
男は顔を真っ赤にしている。黒江が頭を下げて何とか宥めようとしているのを、周囲の客はチラチラと横目で見ていた。
「やだね。ガーディアンだ」
「若いガーディアンは大きな顔したがるのよ。たいした金もないから亜人街に来て飲み食いして、女性に高圧的になるの」
「なっさけな。酒飲んで怒っている暇があるなら自分を磨けっての」
グレイス族の子たちが愚痴を口にする。紅葉は耳だけ傾けてその言葉を聞いていた。
視線は相当酔っている男に向けている。呂律も少し回っていないため、このままだと危険かもしれない。
「お前、よく見ると可愛い顔してんな」
男が黒江の右手を掴んだ。
「あ、あの! ごめんなさい、こここういうお店じゃ」
「いいだろうが別によ! 亜人のメスなんて全員体売ってんだろ? じゃあここでもいいじゃねぇか。どうせ慣れてんだろ? 胸くらいいじゃねぇか」
随分な口の利き方に黒江が目を細める。紅葉も、そして周囲の客も怒りの沸点が上がろうとしていた。
「おいお前――」
紅葉が助け舟を出そうとした時だった。視界を遮るように巨大な背中が映る。ブランドンだった。
「お客様。従業員に対する過度な接触はご遠慮ください」
男の手を掴みひっぺがすと、黒江の前に立つ。
突如壁のような巨木のような、筋骨隆々の大きな鬼が目の前に現れたことで、男が少しだけのけぞった。
「な、なんだよお前」
「ここの店主、ブランドンでございます。お客様。他のお客様のご迷惑になりますのでどうかお静かにお願いします」
「は……はぁ!? 俺に命令するってのかよ!!」
男がテーブルを叩いて立ち上がるとブランドンを睨み上げた。
「どうか、お静かに」
念を押すように、ブランドンは男の眼前に立ち、見下ろしながらそう言った。
あまりの威圧感だったのだろう。真っ赤だった顔はみるみるうちに青くなっていき、眉間の皺が解け、ついには視線を逸らした。
「……うぜぇわ」
男は荷物を持って店を出ていった。
ブランドンが胸を撫で下ろし、黒江の元へ行く。
「大丈夫か?」
「は、はい! ありがとうございます、ブランドン」
周囲からも称賛の声が上がった。意外とあがり症のブランドンは後頭部を掻いて不格好な笑みを浮かべている。
「いい男だよねぇ、ブランドン」
「流石亜人のリーダーだよね!! ガーディアンたちにもひるまない性格、カッコイイなぁ」
女性たちも黄色い声を上げる。
紅葉は胸元を押さえた。雄々しく、優しく強いブランドンの姿を見ながら。
「……?」
微かな胸の高鳴りを自覚しながら、今の状況を分析していた。
ガーディアンと呼ばれる職に就く者たちの立場はかなり高いらしい。ブランドン以外では特に太刀打ちできないのが現状だろう。
このままでは手を取り合うどころか搾取され続けるのは目に見えていた。
ブランドンの助けになりたい。自分たちを救ってくれた彼に、恩返しがしたい。
紅葉の胸中に、新たな目標が浮かび上がった瞬間だった。
★★★
朝から霧が出ていた。
自分の家兼職場でもあるセントラルの前で、エミーリォは箒を持って掃除をしていた。エミーリォの日課であり、いつからやっているかは覚えていない。
地面を掃いているとふと、スサトミ大陸から来た赤毛の亜人のことを思い出した。
今では亜人街の歌姫として、一部のガーディアンやキャラバンの間で話題になっているあの子だ。確かに拾った時から相当な美形だと思っていた。あのルックスで何か人前で披露できる芸があるのなら、人気が出るのも納得だった。
金を貯めたらいつかお店に行って、歌を聞いてみるかと思っていた時だった。
前方から足音が聞こえた。ガーディアンがもう来たのかと思ったが、足音が軽い。相当な軽装だ。新聞配達員か何かかと思って顔を上げると、そこには真っ直ぐこちらに向かって来る紅葉がいた。
「よっ」
片手をあげて挨拶をしてきた。エミーリォがぎこちなく答える。
すでに数か月の時が過ぎていた。そのせいか、目の前に立った紅葉はニッと笑って手に持っていた本を見せた。
「文字とか会話文。結構覚えた。発音はまだ怪しいかもだけど、結構話せるようになったでしょ」
流暢に言葉を連ねる相手に対し、エミーリォは頷く。
「そこでさ、相談なんだけど。"私"を……セントラルで働かせてくれないか」
サラッと言う紅葉に対しエミーリォは混乱する。いったいなぜ、突然姿を見せたと思ったらそんなことを言うのか理解できなかった。
「ガーディアンとして、だ」
しかし、相手の真剣な眼差しから冗談で言っているわけではないことをすぐ理解した。
「……なら。まずは面接だな」
エミーリォが言うと、紅葉は再び綺麗な笑みを浮かべた。
お読みいただきありがとうございます!
次回もよろしくお願いします。




