第210話「過去-宝の城-」
突然。
心臓が燃えた感覚に襲われた。
胸を押さえようと右手と左手を動かす。体をよじり、熱気を紛らわせようと両足を曲げる。
胸元を押さえ口から一気に息を吸い激しい呼吸を繰り返す。自分の呼吸音が反響しているのを感じ取った。
しかし熱さは軽減しない。それどころか全身に広がっていた。
何がどうなっているのか確かめるため瞼を開けようとするが、ピクリとも動かなかった。意識的に動かそうとしているし、筋肉を使ってもいる。
しかし鉄球を乗せられたような重さのせいで目が開けられない。
「※※※!! ×××!」
突然何かの音が聞こえた。男の声だった。追手だろうか。
追手。誰が寄越した。善乃だ。
その瞬間、紅葉の瞼が開かれた。
「あああああああああああああああああああ!!!」
痛みと熱さで跳ね起きた紅葉だったが、何者かに両肩を押さえられ倒される。
「※※! ×××、×、×××××※! ×××××××××!!」
叫び声が呼吸音に変わっていく。歯を噛み締め、激しい息を口から吐き出しながら紅葉は声の方を見た。
男がいた。見たこともない服装を着ており、変わった眼鏡を装着している。
ひとめで、スサトミの人間ではないことが理解できた。
自分以外の存在を分析したせいか、頭が透き通る感覚だった。寄っていた眉間の皺が離れていくのを紅葉は感じた。
「×××……。××□□□□×××××□□□□□□□□」
男は胸を撫で下ろし、紅葉から離れた。
「……あんた、誰だ」
「……□□? ××!? ×××」
男は頭を振った。その時になってようやく、相手と言葉が通じてないことを紅葉は知った。
相手もそれを理解しているだろう。しかし、男は喋り続けた。
「ここは、どこなんだ?」
男の言葉を遮るように聞くと、腕を組み項垂れてしまった。対話ができないため、接した方がわからないのだろう。それは紅葉も一緒だった。
「××……××サフィリア■※※」
「さふぃりあ?」
男が顔を上げ、頷きを返した。どうやら一部分だけ、固有名詞くらいなら通じるらしい。
ならばこれも通じるだろうかと口を開く。
「……スサトミ」
言ってからしまったと思った。ぼうっとしていたせいか、素性もわからない相手に自分のことを喋ってしまった。
不安げな瞳を送ると、相手は面食らったように目を見開いた後、嘆息し眼鏡の位置を正した。
「××※※、××××※※×※※。×※※×、××××シャーレロス……」
小さく呟く相手の言葉を無視し、紅葉は自分の体を見た。肌の上には包帯が巻かれている。善乃の刀で斬られた部分は厚めに巻かれているのか、動かしづらい。
腕を動かし肩の可動域を調べている紅葉に対し、男は鼻で笑った。
そこで紅葉はハッとした。黒江の姿がない。
「黒江は……俺ともう一人一緒にいた奴は生きているのか!?」
「? クロ?」
声を荒げて問うが、望んだ答えは来なかった。
紅葉はベッドから降り立ち上がろうとした。が、膝からがくんと崩れ落ちた。
男が血相を変えて近づく。
「※※! ×××※※※※!」
「うる、せぇ! 黒江はどこだ!」
「……紅葉様?」
声が聞こえ、紅葉が目を向ける。そこには黒江が立っていた。
逃げた時に身に着けていた忍装具ではなく、この国固有かもしれない布服を身に着けていた。
「黒江……!」
「紅葉様!! よくぞご無事で!!」
黒江が男を突き飛ばし、紅葉の前に跪く。
「ああ、よかった! 本当に!!」
「それはこっちのセリフだよ。お前が無事で、よかった」
「いえいえ、もったいなきお言葉です。それに私はほとんど何もしておりませんよ。あそこの御爺様が助けてくれなかったらどうなっていたことか」
ふたりは男を見た。腰を摩りながらゆっくりと立ち上がるのが見える。
「……×※※×××※※」
痛みを堪えている震え声を聞いて、紅葉は小さく噴き出した。
★★★
3日後、動けるまで回復した紅葉は外に連れて来られ、街を案内されていた。相変わらず相手が何を言っているか理解できないが、街中に出れば何かわかるかと思った。
この国がサフィリアと呼ばれており、この通りがマーケット・ストリートと呼ばれていることも理解できた。
正直言って圧倒されていた。人の数は東玄とあまり変わらないが、その熱気と道行く人々の活気は凄まじいものだった。楽しげな声と、商いに命を懸けている商人たちの声が紅葉の猫耳に届く。道行く者たちは姿が個性豊かだった。布服から上半身裸、甲冑姿の者たちが往来している。
紅葉は目を輝かせ街中を見渡していた。
その時、男が紅葉の肩を掴み、引き寄せた。
「な、なに!?」
「×××」
真剣な声色に押し黙る。唇の前に人差し指を立てているのを見て、紅葉は口を噤んだ。
すると近くを甲冑姿の者たちが通り過ぎた。
ある者は睨み、ある者は侮蔑を混ぜた舌打ちをし、ある者は鼻で笑い、ある者はジロジロと見つめて来た。
共通していたのは小馬鹿にしている瞳だ。それらは全て、紅葉に向けられていた。
「……どういうことだ?」
遠ざかっていく後ろ姿を見て紅葉は呟いた。
あの視線は東玄にいた頃にも浴びたことがある。差別的な瞳だ。
「……世界中で、俺たちは疎まれているのかよ」
レミィは舌打ちして周囲を見渡した。
意識して見ると、苦しむ亜人の姿が嫌でも目に入ってきてしまった。店番を任されていた、まだ子供の亜人は客に対して殴られている。路肩では大人の亜人が因縁を付けられ、土下座を強要されていた。
ふと細路地に目を向けると、女性の嬌声が聞こえて来た。
紅葉の胸中から、さきほどまでの高揚感が嘘のように消えていった。ここに黒江を連れて来なくて正解だと思った。
「ふざけやがって」
紅葉は拳を握った。
★★★
「紅葉様、いいんですか!? 抜け出して」
「いいんだよ」
翌日の夜だった。紅葉と黒江は西地区へ入ろうとした。
夕方から人目を盗んで外に出たはいいが、男の家は南地区にあるため、馬車を使わず徒歩で移動したのも相まってすっかり夜になっていた。
「ここは私たちの国じゃない。別大陸なんだ。適当に歩いていたってもう追手はいねぇよ」
「そうかも、しれませんが……亜人の扱いは変わりませんよ? むしろ今の私たちは身分もありません。……この国でも、私たちは命を狙われているようなものなのですよ?」
紅葉は黙った。確かに亜人たちの立場は、この国の中だと蚊と同義だろう。
「それに、戦えますか?」
「格闘なら、まぁ」
いつの間にか、宝刀「嵐」は姿を消していた。助蹴られる前は紅葉が持っていたが、いつの間にか姿を消していた。
売ったのではないかと思ったが、男がそんなことをするとも思えなかった。ただの勘だが。
ただ、もしかしたらどこかの店で並んでいるかもしれないと紅葉は思った。
あれがないと、善乃との繋がりがなくなる気がした。だから探していたのだ。
「……西地区って何もないんですね」
「だな」
「南地区と比べて閑散としているというか」
「そうだな。人っ子一人住んでないんじゃ――」
紅葉の耳に歓声が届いた。黒江も聞こえたらしく、ふたりは駆け足でその場へ向かった。
そして、光輝く街並みと巨大なアーチが見えた。アーチには言葉がかかっている。異国ではあるが言葉は同じであったため何と書いてあるか解読する。
「亜人街?」
「いったい、なんなんでしょうこの街?」
疑問に思っていた時だった。
「×××~?」
後ろからいきなり肩を組まれた。
レミィが鋭い視線を向けると、そこには簡素な服に身を包んだ、筋肉質な男がいた。黒江の方にも一人いる。華奢な男だった。
右手を掴まれた黒江は怒りの声を上げた。
「なんだ!? 離せ!」
「□□□××。※※※※※※」
「※? ×××”プレイ”○○?」
男たちがゲラゲラと笑う。紅葉と黒江は男たちの言葉の意味を理解できなかった。
ただその視線から、色欲によるものだと察する。
「ざけてんじゃ――」
紅葉が右手を引いて掌底を見舞おうとした時だった。
男の背後から、ぬっと、大きな壁のようなオーグが姿を見せた。
九龍を一瞬思い出したが、すぐに違うと理解した。
オーグは素早い動きで男の首の後ろを掴むと、持ち上げた。
「へ?」
困惑する男をそのまま投げた。投げられた男は壁に激突し、変な声を上げた。
取り巻きの男は一瞬唖然とし、すぐにオーグを睨んだ。
「×、××!!?」
「この者たちは亜人街の者ではない。店の者ではないのでな」
オーグの言葉を聞いた瞬間、紅葉と黒江は目を開いた。何を言っているか理解できたからだ。
オーグは素早くもう一人との距離を詰め、見下すような視線を向けた。
「そういうことをしたいのなら、店に入れ」
「×××! ※※……」
「ガーディアンでも呼んでくるか? 構わんぞ。”ブランドン”の名を伝えろ」
ブランドンというワードを聞いた男の顔から、さっと血の気が引いた。
男は小さい悲鳴を上げ、壁に叩きつけられた連れを起こすと、その場を去っていった。
ブランドンと名乗ったオーグはそれを見送ってからふぅと息を吐き出すと、紅葉を見た。
「……大丈夫か?」
ぎこちない笑みが向けられ、紅葉は小さく頷いた。
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