第207話「過去-虚現の嵐-」
宝物庫でもある蔵はそれなりの大きさを誇っており、民家が4つ全てすっぽり入るほどの広さであるとされている。最近外装の老朽化が問題視され、火災安全性に欠けるとも言われていた。そのため善乃の譲位式が終わった後、新しい蔵が作られる予定であった。
その隙を狙って何者かが放火したのは明白だった。血相を変えてふたりは外に出ると、侍達や警備の者たちが右往左往していた。炎の強さは増している一方だ。
紅葉は適当な男を一人捕まえる。
「おい! どうなっている!」
「も、紅葉か! お主は犯人を見ていないのか!?」
紅葉は男の胸倉をつかむ。
「知るかそんなもん! 犯人見かけるとしたら下だろうが! 警備は何をしていたんだよ!」
男は頭を振った。
「それどころではないのだ紅葉! 大変なことになっておる!」
「あぁ!?」
「あの中に」
男はゆっくりと蔵を指した。巨大な炎が生き物のように蠢いている。
「いち早く火災に気づいた善乃様が、飛び込んでしまって……」
「な……」
「着物だけでも、取りに行くと言って」
「ばっ……かじゃねぇのか……クソガキ!!」
胸倉から手を乱雑に離し、紅葉は水の魔法を唱えた。水分を集合させ全身を水で纏うと、火の中へ飛び込んでいった。
「紅葉様!!」
黒江の声は炎の渦にかき消されていった。
★★★
宝物庫の中は火の海だった。値打ち者だろう屏風の類はすでに炎に飲み込まれており、宝を持ち出そうとした者たちが床に転がっていた。浅く肩で息をしているが長くはもたないだろう。
紅葉はそれらを踏まないよう、歩を進めていく。水の魔法で守っているとはいえ、炎の熱さは完全に遮断できなかった。
「善乃!! どこにいる!!」
叫ぶが木々が焼ける音と何かが倒れる音が聞こえてくるだけだった。
宝物庫に入ること自体初めてだった。どこに何があって、出口はいくつあるのかすら紅葉は知らない。
諦めず再度声を上げ、呼びかけながら中を駆ける。途中天井が崩れたのか道が塞がっている場所もあった。
焦る頭の隅では、誰が火を放ったのか、という疑問が湧き出ていた。
頭を振る。今はそんなことどうでもいいと判断し、中を進んでいく。
「くっそ、こんなん見つけられるわけねぇだろ」
火の勢いは増す一方だった。外からの消火活動を魔法で行っているだろうがそれでも間に合わないだろう。
そこで紅葉は気づいた。
「魔法なのか、この炎は」
自然発生したものでも、木々を燃やしたものでもなく、火の魔法を使用したのだろうか。
だとしたら見張りをしていたというのにいきなり炎の柱が立ち上ったのも合点が行く。
「誰だか知らねぇが、よりにもよって今日やりやがって」
苦言を呈し、もう一度善乃の名を叫んだ。
その時だった。
凛とした、しかし焦りの色を隠せない声が聞こえた。その声は自分の名を呼んでいる。
「善乃……!」
弾かれたように音の方向へ駆ける。黒煙の中に飛び込み、大きな扉を開けた先に、善乃が倒れていた。彼女を飲み込もうと周囲の炎が踊り狂っている。
「善乃!!」
友の名を叫び、炎をかき分け善乃の傍に膝をついた。紅葉は相手が持っている物を見て息を呑んだ。
ひとつは、護衛である自分たちが選んだ善乃用の着物。
そしてその着物でくるんだように守られていたのは、一本の刀だった。
異様な雰囲気を纏う武器。紅葉は野性的直感でそれが「宝刀」だと理解した。
漆黒の鞘に老竹色の柄巻。よく見る刀の造形だが、その姿はまるで何かを隠しているようだった。
怪しい魅力に引き寄せられていた紅葉は、善乃の息遣いで意識を正した。
「善乃! 大丈夫か?」
「も、紅葉……? あれ、なんでこんなところに」
「そりゃこっちのセリフだよ! 立てるか?」
善乃は頭を振った。
「よし、じゃあ肩貸すから。さっさと逃げんぞ。ここから出口まで余裕だろ」
強がりを言う紅葉の背中に冷たい汗が噴き出す。
正面に火の壁ができあがっていた。見つけ出すのが遅すぎたのだ。
まるでここから出さないと言われているようだった。
「紅葉、私を置いて逃げて」
「つまらねぇこと言ってんじゃねぇぞ」
「それか、刀と、いや、着物だけでも」
「んなもんいつでも買えるわ」
「紅葉に……死んでほしくないよ」
「うるせぇよ!! 俺もお前も死なねぇんだ!!」
叫んでから気づく。さきほどから自分の呼吸が荒くなっていることに。
紅葉は手のひらを見た。すでに魔法が尽きている。
水の防具が解けるのを待っていたかのように、黒煙が壁から噴き出した。それを追うように炎が噴出される。
紅葉は善乃に覆い被さる。炎と黒煙が紅葉に襲い掛かる。
「う、ぐ……」
「紅葉!」
「黙ってろ……布、口に当ててろ。煙吸うな」
「あなたが死んじゃう……」
「……死んでもいいよ」
お前を守れないと意味がねぇよ。
そう言おうとしたが、吐き気が襲ってきた。めまいを起こし、視界が揺らぐ。煙を吸い過ぎたのだ。
紅葉は天に祈った。善乃だけは助けて欲しいと。
「お前が死んだら……」
紅葉の瞳に涙が浮かぶ。
「お前が生きていれば、私の夢は叶うんだ」
「紅葉……!」
「そうか、私は、多分」
虚ろな瞳が、閉じる。
「今日お前を守って死ぬために、生まれて来たんだ」
その瞬間。
善乃が持つ刀が、震え出した。
「「え?」」
ふたりの声が重なると同時に刀がひとりでに動き、抜刀した。
切先が紅葉の方を向き、有無を言わさず彼女の胸元を貫いた。
善乃の悲痛な叫びと共に、自分の魂が燃えていくのを紅葉は感じた。
「ぐ、あ」
呼吸が、できる。
息が吸える。
「ああああああああああ!!!!」
紅葉は刀の柄を握った。途端に紅葉の赤毛が光り輝き始めた。周囲の炎が集まり、踊り始め、宝石の如く輝く紅葉の体へ吸収されていく。
紅葉は鋭い眼光で黒煙の隙間から壁を見つけた。
紅葉は突き刺さった刀を抜いた。鞘から抜刀するように。
刃の色は見えていない。ただ視界が真っ赤に燃えている。
「邪、魔だぁあああああ!!」
紅葉は咆哮と共に、刀を真一文字に振った。
刹那の閃き。瞬き未満のその軌跡は。
宝物庫内全体に行き届き、炎と煙を微塵に切り裂いた。
★★★
「出てきた! 出てきたぞ!!」
その声を筆頭に宝物庫前で待機していた全員が動き出す。
突然消えた炎に困惑していたのも束の間、中に突入しようとして九龍と黒江が視線を前に向ける。次いで全員の顔が向けられる。
出てきたのは、着物を持ってぐったりとしている煤だらけの善乃と。
それに肩を貸し腰を支え、空いた手の方に刀を持った、煤だらけの紅葉が姿を見せた。
その刀を見た瞬間、九龍と黒江以外の全員が息を呑んだ。
「選ばれた……宝刀が選んだ」
「虚現刀が次の王を選んだ……!!」
「悲劇だ!! 次の王に選ばれたのは」
その次の言葉を聞き届ける前に。
紅葉は視界が真っ暗になり、膝から崩れ落ちた。
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