第205話「過去-繋がっていた赤の絆-」
「ま、待って! お待ちください~!」
激しい息切れを起こしている、悲鳴にも似た声が森の中に響いた。片目を隠す黒髪と、黒毛の猫耳と尻尾が揺れ動く。その下には大量の汗が煌めいていた。
「あうっ!」
木の根っこに足が取られ、走り続けていた少女は頭からすっころんだ。
「あぐぅ……いひゃい」
「だぁから言っただろ。ついてくんなって」
倒れながら顔面を押さえている少女の前に、紅葉が降り立った。忍者装具に身を包んだ彼女は腕を組む。赤黒く変色した、口許を隠している手ぬぐいを下ろしため息を吐く。
「黒江。基礎的な体力がないお前じゃあ俺の練習には付き合えねぇよ」
冷ややかな言葉をかけると黒江は唇を尖らせた。一つ下である黒江は、年には似つかわしくない表情をよく浮かべる。物心がつく前から両親がいなかったことが原因だろう。そのせいか、顔にもどことなく幼さが残っていた。
「だって~……はやく紅葉様と肩を並べて戦いたいんですもん」
目元と鼻を擦ってぐずりながら立ち上がる。
「そのためには、多少無理しないといけないって、善乃様も言ってたもん」
「やめとけ。あと10年かかっても俺には追いつけねぇよ」
「なんでそういうこと言うのぉ!」
ともすれば泣き出しそうな相手に対しため息を零してしまう。何でこんなのを拾ってしまったのか、紅葉は毎度の如く後悔していた。
その時大きな足音が木々の隙間から聞こえた。わざとらしい足音はこちらに気付かせるための音だった。
「五月蠅いぞ。修行の時間を何と心得る」
巨木を彷彿とさせる大柄の鬼が姿を見せた。
「うるせぇのは黒江だけだろ」
「九龍! 紅葉様が意地悪する!」
「はぁ!? お前卑怯だぞ、九龍を使うな!」
「やかましいわい!」
言い争う両者の頭上に、巨大な拳が振り下ろされた。
★★★
善乃の友人兼護衛となってから5年が経った。その間に九龍と黒江というふたりの亜人が仲間に加わった。
九龍は紅葉とほぼ同時期に、侍の腕試しの相手として場内に招かれた亜人だった。元々九龍は盗人であり、試し斬り用の案山子と使われかけていた。
しかし罪人とはいえ鬼は鬼。侍と対峙した際には、見た目通りの強さを見せつけた。徒手空拳で暴風の様に荒れ狂う鬼に侍たちはなす術がなかった。
血塗れの巨大な鬼。それを鎮めたのは、善乃だった。彼女の力強い瞳と、王足りうる者の気概を感じた九龍はそれ以降、善乃の護衛を務めている。
3年間共に過ごしていると、九龍の厳格な性格がよく理解できた。そのせいか、紅葉は彼とウマが合わなかった。九龍も同様だったのか、それほど仲は良くなく、喧嘩をする日も多い。
そんなふたりを善乃が取り持って日々を過ごしている時、現れたのは新たな猫魔族だった。
彼女を見つめたのは紅葉だった。妖魔、異国ではモンスターとも呼ばれている異形の生物を討伐している際に、空き家にて弱っている黒江を見つけたのがきっかけだった。麦飯を恵むと、まるで仏像でも見つめるかの如く紅葉を慕い、そのままついてきてしまったのだ。
以降黒江は、暇さえあればずっと紅葉にべったりである。
「捨てて来い!! これ以上人型の荷物はいらん!」
と言う九龍に対し、
「かわいい~! ねぇ行くところないなら、ここにいなよ!」
陽気な善乃は、黒江すら招き入れてしまった。
当然亜人を快く思わない連中は、紅葉達を敵視していた。5年間その目に晒されているせいか、紅葉と九龍はとっくのとうに慣れてしまったが。
「おい」
「んだよ」
歩きながら答えると九龍は疑わしい者を見るように紅葉を見た。
「亜人を見かけたり、餌付けなんてしてないだろうな」
「するわけねぇだろ」
「どうだか」
「あぁ?」
「いいか紅葉。これ以上亜人を連れてきてみろ。善乃様はお優しい。故にまた増やしてしまう。これ以上亜人を囲うとなれば、善乃様の立場も危うくなる」
「耳にタコができるわそろそろ。何度も聞いたっつうの」
「両耳が膨れ上がるくらい言ってくれるわ。亜人は、これ以上、城にいらん。不幸を呼び込むぞ。ただでさえ黒猫がいるのだからな」
黒江がムッとして九龍を睨む。
「そんな嘘、信じているの九龍だけだよ! 善乃様は「黒猫は可愛らしいし幸運の証なんだ」って言ってたもん」
「善乃様の優しさに甘えるな!」
「九龍嫌い!」
「ああ、もううるせぇなぁ!! 黙ってろよ!!」
3人の声が静かな田んぼ道に響き渡る。森を抜けた先は田んぼ以外何もない広い空間が色がるだけだった。通行人も民家もないため、こうやって大声で叫んでいる。3人ともそのことを理解していた。
仲が悪いわけではない。むしろいい方だと、紅葉は不本意ながら感じていた。
3人の足は小さな家屋の前で立ち止まった。小さくはないが、普通の家のような外観をしている。
紅葉は引き戸を3回、拳で叩き返事を待つ。
『あいてるよ~! 入って入って』
友人兼主の声が聞こえると戸を開いて中に入る。靴を脱ぎ小奇麗にしてある廊下を進み今へ向かうと。
「お帰り~」
布服1枚で寝転がっている善乃が、そこにはいた。
九龍が顔を引きつらせ近づく。
「な、なんと厭らしい恰好をしておられるのですが、善乃様! 輝神の姫がそのようなみすぼらしい姿を晒してはなりませぬ!」
「みすぼら……失礼じゃない!?」
善乃の恰好は男性から見ると扇情的とも言えた。上半身だけ布切れのような服を着ており、生足は曝け出され、二の腕も出し、胸元の谷間まで見えていた。
紅葉は何も言わなかった。軽めの恰好を好むのは5年前から変わっていない。
「とにかく服を着てくだされ!」
「うるさいなぁ。九龍興奮してるの?」
「戯れもほどほどにしてくださいませ。あなたは姫ですぞ。立場というのを考え立場に合わせた服装を――」
「黒江~おかえり~」
「ただいまー!」
「……はぁ」
騒がしいが穏やかな時間が過ぎていく。紅葉は呆れながらも穏やかな笑みを浮かべていた。
『たのもう!!』
その時だった。戸が勢い良く叩かれ、男の声が壁を通して伝わってきた。
全員の声が止まり、黒江が表情を正す。
再び叩かれた。九龍と黒江が善乃を背中に隠すのを見届けてから、紅葉が扉の前に行き返事をした。
「どちら様?」
『立ち会いたい。紅葉殿はおられるか』
「俺だ。……決闘ってことか?」
『左様』
「理由は」
『決まっておろう。亜人如きが輝神城に入り浸り、あまつさえ善乃姫の護衛を行うなど侍達の名折れ。果し合いにて尋常に勝負いたせ! どちらがこの国の守護に相応しいか、証明しようではないか』
「……一応言っておくが、俺が死んだら善乃が悲しむぜ」
男が鼻で笑った気がした。
『世迷言を。亜人が死んで悲しむものか』
紅葉は善乃の方を見た。善乃は笑顔で頷き、静かに口を開いた。
「さっき婆様から栗羊羹を貰ったの。終わったらみんなで食べようね」
「俺の心配してくれねぇの?」
そう聞くと、善乃はクスリと微笑んだ。
「紅葉、負けること考えているの?」
「……はっ。りょーかい」
挑発にも似た鼓舞を聞いて、紅葉は戸を開けた。
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