第201話「鞘を捨てる覚悟の赤猫」
「よいしょ、よいしょ……」
ロゼはせっせとトレーの上にコーヒーやココアが入れられたカップを乗せていく。豆のいい香りと甘い香りが部屋に充満していく。
人数分トレーに乗せているとビオレが近づいた。
「運ぶの手伝うよ」
「あら、ありがとう、ビオレ」
「フォックスも手伝いなさいよ!」
ビオレが視線をリビングのソファに向ける。そこにはぐったりとしたフォックスがいた。獣人用の短パンを履いている以外、特に服を着ていない彼は唸り声を上げていた。
「お前俺が昨日どんだけ頑張ったと思ってんだよ……」
「何言ってんの。昨日はお店の場所確保した後、露店の再構築ちょっと進めただけじゃない。ていうか夜中まで頑張った割には材料運んだだけだったし」
「段取りが悪いですよね~」
ダイニングテーブルの椅子に座っていたラズィがニコニコとした表情で、ソファの背もたれに体重を預けているベルクートに言葉を投げた。
天を見上げながら掠れた声が発せられた。
「やめてくれよラズィちゃん。ハートが傷ついちゃう」
「ガラスのハート、粉々にしちゃいますよ~」
「やれやれラズィさん」
「こら。お仕事頑張った方には優しくしなキャラ駄目ですよ」
ロゼがふんすと鼻を鳴らしトレーを持っていく。ソファの前にあるテーブルにコップを乗せ、ぐったりとしている男性陣の前に差し出す。
「はい、ベルクートさん。お飲みください。疲れが取れるスペシャルブレンドです」
照れくさそうにトレーで口許を隠すロゼを見て、ベルクートは視線をロゼに向け頬を緩めた。
「ゾディアックにはもったいねぇなぁ、こんないい人」
「いえいえ、違いますよ。私がゾディアック様にはもったいないのです」
「惚気かよ」
フォックスの手がコップに伸ばされる。
「フォックス。寝ながら飲まないでください」
「へいへい」
「はぁ。俺にもこんな子が毎日こう、コーヒー一緒に飲んでくれたりしてくれたらなぁ」
「ほう~ほう~。なるほどなるほど~」
ラズィは立ち上がり、ビオレが持ってきたコーヒーカップを持ち上げる。
「私が一気に飲ませて差し上げましょうか~?」
「な? いいか、フォックス。すぐに相手を痛めつけるような女とはお近づきになるなよ。禿げるぞ」
「ハゲたくね~!」
「ほら~お口開けて~♪」
ベルクートに近づいたラズィは、髭を蓄えた顎を片手で鷲掴む。
「あー! あー!! おぁああ!!」
「うわぁ、こえぇよぉ。いじめの現場が目の前に」
「やっぱり男は尻に敷いてなんぼだね!」
「ビオレ。どこでそんな言葉覚えてきたんですか」
賑やかで穏やかな時間が過ぎていく。時刻は昼頃になろうとしていた。
★★★
ゾディアックはメモを凝視しながら露店の商品を見ていた。隣に立つマルコも同様に、真剣な眼差しを向けている。
腕組している店主はそんな両者を気味悪がりながら眉根を寄せ続けていた。
「ゾディアックさん。何かお探しで?」
「あ、いや、その」
「ここにはなさそうですね。やっぱり珍しい香辛料とかはラルさんのお力をお借りするしかないですかね」
「……あまり借りを作りたくないんだけど」
ラルという言葉を聞いた瞬間、店主は顔色を変えて視線を切った。サフィリアのキャラバンを牛耳る男の名は敬愛か畏怖の対象となっている。店主はどうやら後者だったらしい。
店を出てマーケット・ストリートを再び歩き始める。昼ということもあり人通りは増えていたが昨日よりも数は少なかったため、歩きながらでも充分会話ができた。
「だいたいの食料は揃ったので仕込みや作成はできますが、よろしいのでしょうか。日本というか、私のいた世界で流行っていたデザートを作って」
「この世界にはデザートがあまり浸透していない。確かにヴィレオンとか雑誌、アンバーシェルで紹介されているけど、まだ認知度は高くない。だから異世界のデザートを出していけば」
「それが名物になると。なるほど。私がここに来たのは怪我の功名ですね」
今後は露店の外観の準備をしながら、商品の準備もすることになる。ただ作る商品は大半が決まっているため、あとは腕次第だ。
「ゾディアック。マルコ」
半分ほど目的のものを買えたことを物語っている斜線が引かれたメモ帳を見ながら歩いていると、聞き覚えのある声がかかった。
マルコが明るい表情を浮かべて振り返る。
直後、その表情が一変した。
「レミィさん!? どうしたんですかその顔!!」
悲痛な叫び声のような声だった。ゾディアックも慌てて目を向ける。
そこには片頬に大きなガーゼを貼り付け、薄ら笑いを浮かべたレミィがいた。
「よぉ。買い物か? ちょっと手伝わせろよ」
片手を上げ気さくに挨拶を終える。ゾディアックとマルコは顔を見合わせた。
「んだよ。男同士で見つめ合っちゃって」
「いやいや」
マルコがレミィに顔を向け、手をぶんぶんと振る。
「何があったんですか」
「誰かに襲われたのか」
「ああ、うん。それについても話すからさ……その、なんだ。手伝わせてよ」
「何?」
「お願いしたいこともあるから。これはその前払いってことで」
意図が理解できなかったゾディアックとマルコは、再び顔を見合わせ首を傾げた。
★★★
一通りの買い物を終えるまで、会話らしい会話はなかった。傷ついたレミィは明るい声を出していたが、空元気であることはすぐに見抜いた。
3人は喫茶店に来ていた。東地区に続く橋の隣にある小さな店だった。店内には白髪の店主と客がひとりだけ。コーヒーの香りは漂っているが繁盛しているとはいえない。
店主は3人を見るなり挨拶もせずに視線を切った。ガーディアンも亜人も歓迎しない店は、サフィリアでそう珍しくはない。追い出されないだけマシだった。
奥のテーブル席に座るとレミィはため息を吐いた。
「そろそろ話してくれないか?」
「何を?」
レミィは肩肘をつき、額に手を当てて項垂れている。疲れているんだ、と物語っているようだった。
ゾディアックは椅子に座らず、レミィを見下ろす。
「怪我。誰かに襲われたんだろう」
「転んだ~とか思わないわけ?」
「転んだだけならそんな物憂げな表情は浮かべない。それにすぐ治せるはずだ。治さないのは、その傷を元に、俺に話を持っていきたかったんだろう」
考えを見透かされたレミィは背もたれに体重を預け、ゾディアックを見上げた。
「簡単にでいい。話してくれ」
「……単刀直入に、目的から言うぞ。ゾディアック。立会人になってくれ」
「何?」
それからレミィは事情を説明した。昨日のこと。ヨシノとの決闘。「嵐」という刀を狙っていること。ヨシノがこの大陸を乗っ取ろうとしていることもすべて。
サンクティーレ(ここ)に来てからまだ日が浅いマルコは何のことだかわからず、視線を巡らせている。
「――というわけだ。お前はヨシノと面識があり、立場もある。向こうも立会人としては最高の人材だと思ってくれるだろう」
ゾディアックは兜の下で眉根を寄せた。
「あの人が、決闘を申し込んだ? そんな人には見えなかった」
「あいつは見た目が綺麗なだけなんだよ。おしとやかに見えて、中身はバリバリの武闘派、武人気取りだ。強大な力を保持し、振るう。そんな人間だ」
「なら一緒に止めよう」
レミィが視線をテーブルに向けた。
「わざわざ一対一で戦う必要がない。「嵐」とかいう武器を奪われて危険になるなら、彼女を止めればいい」
「もちろん止める。お前の言う通りだ。何も間違っちゃいない。でも、止めるのは私一人だ」
「……なぜ」
「……あいつを止めるのは、私じゃないとダメなんだよ。あいつを殺すことになっても。もしそうなったら、それが私のケジメなんだろうな」
ゾディアックは口を開きかけて、やめた。レミィの言葉には確かな覚悟があったからだ。ぶれない思い、一本芯が通っている思いは簡単に揺らがない。
「こ、殺し合いなんてそんな物騒な……見過ごすつもりじゃないですよね? レミィさんもやめてください。わざわざ出る必要なんてないじゃないですか。どこかに隠れておくかすれば」
「マルコ。そんなことをしたら、向こうは何をしてくるかわからない。私はもう匂いを嗅がれているからな。恐らく、指定された日時と場所を間違えたら、あいつらはこの国を荒らすだろうな」
「強いのか? ヨシノは」
「……強いよ。普通にね」
「じゃ、じゃあガーディアン大勢で、ゾディアックさんの仲も連れて行けば」
「それじゃあさっき言ったのと同じだ。ヨシノは私と、「嵐」を自分の手で取りたいと狙っている」
「つまり止められるのは、レミィが一番ってことか」
「ああ……ゾディアック」
レミィが顔を上げた。
「私が死んだら、すぐにヨシノを殺して「嵐」を砕いてくれ。それができるのもお前だけだと思ってる。私の骨、拾ってくれ」
決死の覚悟が垣間見えるその言葉を聞いて、頭の中から、”止める”という選択肢が消えていくのをゾディアックは感じた。
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