第185話「心身、幸福回想」
ゾディアックはチョコレートの板を割り、ボウルに入れていく。とりあえず作り方も簡単であり、一番得意でもあるガトーショコラを作ることになった。
チョコレートを全て入れ終わると、沸騰しそうになるくらいまで温めた生クリームを豪快にかける。
ゾディアックは黙って作業を行っていたが、隣に視線をチラチラと向けていた。マルコが隣から食い入るように見つめていたからだ。
「めっちゃ真剣じゃん」
フォックスがテーブルの椅子に座って2人を凝視する。
ゾディアックは自分のペースが乱されないよう注意しながら、チョコレートと生クリームを混ぜ、溶かしていく。
マルコが、顔をしかめた。
「どうした?」
レミィが声をかけても何も答えなかった。真剣な表情を崩さず、じっと、ゾディアックの手元を見ている。
ゾディアックは卵を2つ割って中に入れ、再びかき混ぜ始めた。次いでグラニュー糖などを入れ、型に流し込む。
「少々よろしいでしょうか」
その瞬間、マルコの声が響き渡った。さきほどの弱々しさとは一変し、力強さが言葉に戻っていた。
「え、あ、ああ」
「このまま焼いても充分美味しいですが、なるほど」
マルコは型に流し込まれた生地を見て、次いでベルクートに目を向ける。
「”趣味程度”ということだったのですね」
「やっぱりわかっちゃうのね」
「ええ。なるほど。これでは確かに商売云々にはなりません」
ゾディアックは唇に力を込める。わかっていたことだがハッキリ言われるとそれなりに傷つく。
「もう一つ作ってみますか? もっと美味しい物ができあがると思います」
「よ、よろしくお願いします」
ゾディアックが頭を下げる。昨夜大きな剣を振って助けに来てくれた人物とは思えないほど、雰囲気が柔らかい。これが本来の彼の性格なのだろうかとマルコが思っていると、周囲の視線が釘付けになっていることを感じ取る。
昔もこんな風に見られながら、人に指導していたな、と懐かしむ。思い起こせば嫌な記憶ばかりでないらしい。
「ボウルと計量カップを使わせていただきます」
マルコは使い終わっていたボウル2つとカップを手早く洗い、材料を確認し始める。
「ココアパウダーはありますか?」
「ここに。はいどうぞ」
キッチンに入ったロゼが棚から袋を取り出しマルコに手渡す。
マルコはそれを受け取り各種材料をボウルに入れ、量を測定する。乱雑に1、2度スプーンで入れているだけに見えた。
「量的には、大丈夫なん、でしょうか?」
たどたどしく聞いてくるゾディアックに笑みを返す。
「はい。コツを掴めば、だいたいこれくらいかなぁって感覚になりますよ」
計りを見ると全部の材料が適切な数値を示していた。
マルコは生クリームと無塩バターを入れたボウルに素早くチョコレートを砕いて入れていく。その動作だけでもゾディアックと腕が違うことは明白だった。それだけ素早かったのだ。
「電子レンジって、あるのでしょうか?」
「レンジ……ああ、えっと。温めるなら魔法で」
「魔法」
変な比喩表現ではなく、本気で魔法を使うという言葉にマルコは顔を一瞬引き攣らせた。
「では温めていただけますか? ゾディアックさん、でよろしいでしょうか」
「はい」
ゾディアックはボウルを受け取り、手に魔力を込める。徐々にボウルが熱を帯び始める。
「ゆっくり……何度かやってもらいます」
温めては混ぜ、温めては混ぜを3回ほど繰り返すと、チョコレートが完全に溶けた。次いで粉類を入れたボウルを手早くかき混ぜると、卵を取り出す。卵黄と卵白に分けるその仕草を見て、ゾディアックは呟く。
「メレンゲ」
「そうですね」
卵黄が入った方にグラニュー糖を入れながらマルコは言った。
「食感をよくするため、もっちりとしたのを作ります」
「ミキサーは?」
「いえいえ。私は手の方が速いので」
そう言って生地を作り終えると、卵白の方をかき混ぜる。言葉通り、素早い手首の動きで半透明だった半白が一気に白くなっていく。ゾディアックは感嘆の声を上げた。
できあがったメレンゲを生地の中に入れ、大きくかき混ぜ始める。
「メレンゲと生地の混ぜ方には色々な方法がありますが、共通しているのはなるべくメレンゲを潰さないことです」
「は、はい」
「混ぜ終わったらココアパウダー類を入れます。粉っぽくならないように下から大きくかき混ぜて……」
ボウルの中がみるみるうちにチョコレート色になる。興味を示したのか、ソファに座っていたフォックスとビオレがキッチンに近づき、デザート作りに食いつき始める。
「後はさきほど作っていたチョコレートの方に生地を少量入れます。2回掬う、くらいかな。この時なのですが、生地にいきなりチョコレートを入れないでくださいね」
「どうしてですか?」
「生地との相性の問題です。メレンゲが潰れてしまわないようになじませておくんです。この動作は素早く。ココアパウダーが加わると気泡が潰れてしまうので」
マルコはあ、と声を上げた。
「オーブンは大丈夫でしょうか? それとも魔法ですか?」
「オーブン……あれのことですか?」
ゾディアックが指さす方向にはオーヴァンがあった。魔法道具の一種であるそれに、マルコは見覚えがあった。
「なるほど……オーブンっぽいものはあると。余熱とかは」
「俺が使ってないんで、温まっている状態だと思う」
「なら一緒に焼いちゃいましょう。食べ比べをしたら違いがよりわかりやすくなるので」
ゾディアックは頷きを返した。マルコは生地を円形の型に流し込むと、素早くオーヴァンの扉を開けた。
★★★
生地は本来であれば一晩冷蔵庫で寝かせておくのだが、魔法でその部分は解決してしまった。ロゼの両手で冷たくなっていく、焼きあがったガトーショコラを見ながらマルコは唸った。
「便利だなぁ、魔法。うちのお店にも魔法使いがいたら……」
下顎を撫でながら真剣な声色を出していると、ロゼが嘆息した。
「これくらいでしょうか?」
「いいですね。では、食べてみましょう」
そう言ってマルコはゾディアックと自身のガトーショコラを皿にのせ、ダイニングテーブルに乗せた。
全員が2つを見比べる。ゾディアックの方は四角形、マルコの方は円形だ。型の違いであるためそこはしょうがないが、明らかに違う点があった。
「膨らみ方……違いすぎません?」
「しっとりして濃厚と言いますか~……」
ビオレとラズィが交互に視線を移す。
「匂いや食感も違います。ただ、ちょっとした工夫でプロ並み……はちょっと言い過ぎか。ですが、材料さえあれば商品まで持っていけますよ」
「本当か!?」
ベルクートの嬉しそうな声に、マルコは頷きを返した。
「はい。私がいればゾディアックさんと一緒に――」
そこまで言ってマルコは口を噤んだ。自然と出た言葉だった。昨日までずっと死にたいという気持ちがあった心に、冷たい水が落とされたような感覚に襲われた。
「なぁ、これって俺でも作れる?」
フォックスの疑問にマルコは顔を上げた。
「え?」
「だから、材料だけあったら俺でも作れるのかって」
「……え、ええ。もちろん。あ、毛が入るのには注意すれば」
「よっしゃ! ビオレ、勝負しようぜ」
フォックス立ち上がって拳を手の平に叩きつけると、ビオレに挑発的な視線を投げた。
ビオレが片眉を上げる。
「はぁ? なんで?」
「デザート作りだったら、俺ら師匠超えられるかもよ?」
「馬鹿馬鹿しい。別にマスターを超えたいとか思ってないし」
「じゃあ、とりあえず俺の勝ちだなぁ。試合放棄だし」
「……言ったなぁ?」
「負けるからってひがむなよ?」
2人は同時にキッチンへ向かった。それを見てラズィがクスリと笑う。
「面白そうですねぇ。私も混ぜてください~」
「私もやりましょうか。ゾディアック様の敵を取らねば!」
「お、俺もやる……!!」
全員がデザートを作ろうと一か所に集まり始める。いきなりフォックスが薄力粉を出し過ぎて、空中に白煙が舞った。
騒がしい声が上がる中、ベルクートはゾディアックのガトーショコラをつまむ。
「……美味いけどなあ、全然。こっちも」
「だな」
「レミィちゃんってチョコ大丈夫なの?」
「だから犬猫と一緒にするなって」
レミィはそう言って取り分けられたガトーショコラを食べると、マルコに近づく。
「どうだい? もうちょっとだけ付き合ってくれるか?」
マルコは首に巻かれた翻訳機に手を触れる。
「……生きようとしているのかは、まだ、わかりません」
「うん」
「けど、まぁ……もう少しだけ、デザートを作ってみたくなりました」
マルコがふわりと笑う。苦笑いでも愛想笑いでもない、純粋な微笑みが、その顔に浮かび上がった。
お読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします~!




