第118話「Voltage:33%」
「ただいま、ロゼ」
玄関を開けたロゼに対してゾディアックは言った。
噴水広場にいたロゼは急いで家に帰ってきたのであろう。少しだけ服が汚れていた。
「おかえりなさいませ~! ゾディアッ……」
綺麗な笑顔でおかえりを言おうとしたロゼの視線が、ゾディアックの顔から下に向けられる。少年が気まずそうに唇を尖らせているのが見えた。
「……んだよ」
「えっと……?」
小首を傾げてゾディアックに再び視線を戻す。
「今日だけ、預かることになって……」
★★★
「はい、服を脱いでください」
「うぇっ!!?」
脱衣所に案内された少年はロゼの発言を聞いて反射的に体の前を隠した。
「な、なにするつもりだ!」
「馬鹿な想像しないでください。服を洗うだけです」
「服を?」
「せっかくうちに来たんです。綺麗になりましょう」
そう言うと今度は風呂場の扉を開けた。
「シャワーの使い方、わかりますか?」
「……わかんねぇ」
「じゃあ一緒に入ります?」
再び少年が驚きの声を上げた。
「冗談ですよ~」
「ば、馬鹿言ってんじゃねぇよ!」
「そんなにカリカリしなくてもいいでしょう?」
「っけ。俺と身長それほど変わらねぇチビのくせに。ひとりでできるっつうの」
少年は早まる鼓動を誤魔化すかのように強がってみせた。目の前の少女にも見える女性は、成熟した雰囲気とどこか艶めいた気品があった。
「本当に? 大丈夫ですか? 今なら優しい私が相手しますよ?」
「うるせぇ! 出てけ!!」
「ああ、じゃあ服だけは脱いで、そこの洗濯籠に入れておいてくださいね」
「わぁったよ!! だからさっさと出てけ!!」
洗脳されそうな美しさから逃げるような怒号だった。ロゼはわざとらしい悲鳴を上げて、脱衣所から逃亡した。
「はぁ、くそ……」
赤くなった額を擦り疲労感からため息をつくと、少年は服を脱いだ。脱衣所にある姿見が、少年を映す。
腹回りの体毛は剃られており、彫刻刀で抉られたような傷跡が露出している。肩にある創傷は体毛で隠せていない。自分で見ることはできないが、背中も剥げており、鞭の痕がある。そして体全体に広がる無数の火傷の痕。体毛のおかげで一部は見え辛くなっているが、注視されれば一目瞭然の傷跡だ。
弱者の証拠。虐げられし者の痕。
「くそ……」
小さく呟いた少年は全裸になると、風呂場に入りシャワーのハンドルを捻った。
★★★
あれだけ作っていた料理のほとんどが食べられていた。リビングにいるゾディアックとロゼは、わずかに残ったサラダなどを小皿にとりわけていた。明日も食べられるよう保存しておくためだ。
「また大金を払いましたねぇ」
キッチンにいたロゼがクスクスと笑いながら食器を洗う。取引中も見られていたらしい。
「ごめん……怒った?」
「別に怒ってませんよ~。正直、あれくらいのお金はゾディアック様にとって端金でしょう? お金は使ってこそです」
それに、と続ける。
「手切れ金の意味も込めていたのでしょう?」
「……まぁ」
「あのラルっていうボスですけど、馬鹿っぽく見えて、中々デキる人だと思います。大金を払うゾディアック様の意図も汲んでいるかと。それに取引を反故にするような相手ではないでしょう」
「そうだな」
飴玉を噛み砕くラルの顔を思い出す。
表情は怒っていたが、瞳の奥は非常に冷静だったことをゾディアックは感じていた。
「……ロゼだったら、いくら払ってた?」
「ん~。多分一緒の数字ですかね。5倍でもいいかなぁと思ったのですが、0をひとつ増やした方がインパクトもありますし」
「払わないって選択肢は」
「それはないですねぇ。ゾディアック様もでしょう?」
ロゼは八重歯を見せた。
「もしあそこで「払わない」とか「考えさせて」って言ったら、私が突っ込んでました」
「……そうか」
ゾディアックは笑って、空になった大皿をキッチンに持っていった。
「なんでだよ」
声をかけられた。視線を向けると少年が立っていた。クローゼットの奥にしまってあったバスローブだが、やはりサイズが大きい。170cmを想定しているせいでぶかぶかだ。
可愛らしいが、少年の顔は怒りに染まっていた。
「なんで、俺、じゃなかった。会ったこともない獣人のために、あんな金払えんだよ」
理解できない。そう言うように頭を振った。
「そっちになんの得も無いだろ。ラビット・パイってでかいキャラバンだ。その連中に変な目を付けられたら、マーケットで買い物出来なくなるかもしれないんだぞ」
心配するような声色でもあった。
ゾディアックは少年の前に行き、片膝をつく。
「かもしれないな」
「じゃあ、なんで」
「君が困っていた」
「は?」
「君はこの前の事件……いや、それよりも前だ。ビオレがダンジョンに捕らわれていた時も、助けてくれただろう? 君は勇気を出して一緒に戦ってくれた」
「そ、それは、その……なんだ。お前に恩が売れるかもと思って」
「そうだ。恩を感じていた」
ゾディアックは口元に笑みを浮かべる。
「ラビット・パイで捕らわれている獣人は、君の大切な仲間なんだろう? その子を取り戻すことが、俺ができる精一杯の恩返しなんだ」
「……いいのかよ、亜人なんか助けて」
「助けちゃいけないなんて法律は、ないからな」
少年はそれ以上何も言わなかった。視線を地面に向け、しばらく口元をもごもごと動かした。
そして数秒後。少年は頭を下げた。
「あ、ありがとう、ございます……」
言いなれていないのが丸わかりだった。ロゼは微笑ましいと思い口元に笑みを蓄えてしまう。
「どういたしまして」
「今日はここにお泊りでしたっけ?」
「え、ああ。うん。ジルガー……同居人が泊めてもらって、フィンと一緒に帰って来いって」
「ふむ? 夜の亜人街に帰れないとは」
ロゼは顎に手を当てた。むしろ夜だからこそ帰らせるものだと思っていたが。
その疑問はゾディアックも感じていた。
恐らくジルガーは、「今は亜人街に帰ってくるな」という意味で、少年に伝えたのかもしれない。なぜそう言っているのかはわからないが。しかし答えがわからないため疑問に思っていても仕方がない。
「どこで寝ますか? 一応2階に部屋は空いてますが……ベッドがなくて」
「寝室使うか?」
「私が添い寝しましょうか?」
「ガキ扱いすんじゃねぇよ!! ひとりで寝れるわ!!」
ゾディアックとロゼは笑った。
2階にいたビオレは、その楽しげな声を聞きながら夜景を眺めていた。
「亜人……罪……か」
深淵のような瞳を虚空に向けながら呟いた。
その顔に、昼間の明るさはなかった。
★★★
「本当に商談を受けるので?」
男はラルに問いかけた。ラルは飴玉が溶けてなくなった棒を咥えながら、トール・アンバーシェルをいじっている。
「いい話だと思うんだけどね? たかが子供一匹に大金。最高の金蔓だよ」
ケタケタと笑いながらサングラスの位置を直す。
「まぁそういうわけだから。ゾディアックちゃんが明日来るまであの子に手を出すのは禁止ね~」
「多少殴ってしまっておりますが、大丈夫ですかね?」
「それに関してはこっちの気持ちを汲んでくれるって。まぁ、それで怒り狂うような奴には……見えなかったけどねぇ」
そう言うと、画面をいじっていた指先が止まった。
楽しそうなため息を出してラルは棒をプッと吹く。
「そうかぁ。もう亜人街に”いる”んだぁ」
「連絡が」
「今きたよぉ。いやぁこれから大変だなぁ、ゾディアックちゃんは」
ラルは笑いをこらえるように言った。
「”獲物”と”狩人”。両方から襲われることになるかもねぇ」
ラルはトールアンバーシェルをベッドの上に放り投げ、男はその言葉を聞いて笑みを浮かべた。
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