307.最期の願い
二人との会話が落ち着いたところで、俺は本殿に背を向け、天霊神社の鳥居の前に立った。
そのまま鳥居へと手を伸ばし、術理の壁に触れる要領で周囲の魔力を操作する。
すると、次第に鳥居に囲われている空間が、水面のように揺らめき始めた。
この鳥居こそが、術理の根幹となる空間である不死鳥の社へと繋がる唯一の道だ。
だが、その道は誰にでも開かれているわけではない。
術理の壁を自力で破り、外の世界との繋がりを確立できるだけの魔力操作技術。
そして、不死鳥の社の中で活動するために求められる、外の世界の魔力に対する耐性。
この二つを満たす者だけが〝超越者〟と呼ばれる存在となり、術理に足を踏み入れる資格を持つ。
……そして、俺は、すでにその域に至っている。
鳥居の揺らめきが静かに収まり始めると、その奥から空気の質すら変わるような異質な気配がこちらへと流れ込んできた。
「それじゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
後ろで俺を見送ってくれているフウカとナギサに声をかけてから、俺は鳥居をくぐった。
……静かだった。
そこは、風も、音も、魔力すらも、すべてが調和し、まるで時間が止まったかのような静寂に包まれている。
周囲には幹も枝も葉も、すべてが純白で形作られた木々が周りを囲うように立ち並んでいた。
まるで現実の理から逸脱したかのような、幻想的な光景だ。
そして、その中心には天霊神社の写しのような社が、静かに佇んでいる。
知っている構造と輪郭を持ちながらも、そこに漂う空気、魔力の密度、そして空間そのものが決定的に違っていた。
こちらのほうが原初であり、先ほどまで見ていた天霊神社は、その模造にすぎないことが嫌でも理解させられた。
俺は静かに一歩、足を踏み出す。
踏みしめた地面は雪のように白く、それでいて冷たくはなかった。
空気は透き通っているが、どこか重い。
この世界のすべての始まり。
理を形づくった根源。
これが、不死鳥の社か。
事前にナギサから渡されていた天霊神社の見取り図を記憶の中から引っ張り出して、社の中を進む。
天霊神社の御神鏡が奉られている部屋へとやってくると、そこには鏡ではなく、水晶玉のような魔石が静かに置かれていた。
確認するまでもなく分かった。
――あれこそが術理だと。
「…………」
俺の目に映る部屋は、質素な木造の一室にすぎない。
その造り自体は、この国によくある伝統的な建築様式と大きな違いはないように思える。
だが中に一歩踏み入れた瞬間、肌で感じ取れる何かが違っていた。
床、柱、壁、そのすべてが木で出来ているはずなのに、どこか現実から切り離されたような静謐さがある。
『ようやく来たね。思いのほか時間がかったんじゃないか?』
「…………え?」
俺が言葉にならない感動を覚えていると、突然女性の声が聴こえた。
それは、聴覚を刺激する声ではない。
頭の中にスッと流れ込んでくる念話だった。
そして、俺はその声を知っている。
一度しか聞いたことがないが、忘れるはずがない。
俺はすぐに周囲を見渡した。
すると、魔力が調和されている空間の中で一か所だけ、わずかに揺らめき、自己を主張している魔力が――いや、精霊が在った。
「……ティターニア……?」
『久しぶりね、オルン。貴方はウチを忘れていないのね』
「……あぁ。俺は【時間遡行】のおかげで時間に対する耐性があったからな。その影響だと思う」
『なるほどね。アイツの願いがこんな結果を手繰り寄せるなんてね。これもステラの言っていた巡り合わせというやつか』
ティターニアが納得したような口調で独り言のように呟く。
彼女が口にしたステラという人物を俺は知っている。
おとぎ話で《聖女》と呼ばれている【精霊支配】の異能者だ。
そして現在、【精霊支配】の異能を発現しているのはルーナとなる。
異能は、遺伝によって継承されるという法則がある。
つまり聖女ステラは、ルーナの祖先ということだ。
「ティターニア」
『なに?』
突然の再会となって驚いたものの、俺は彼女に言わなければならない言葉がある。
たった五文字の言葉。
それに今の俺の全ての気持ちを乗せて紡ぐ。
「――ありがとう」
今、俺がこうしてここに立っていられるのは、じいちゃんとティターニアのおかげだ。
二人がいなければ、俺はもうこの世にいなかったかもしれない。
仮に生きていたとしても、再び前に進もうとする気力はなかっただろう。
じいちゃんとティターニアには、感謝してもしきれないほど大きな恩がある。
『……別に、オルンのためじゃない。カヴァデールに協力したのは、ウチがそうしたかったから』
「……そっか。それでも、俺がティターニアに救われたことには変わりないから。それに、こうしてまた会えて、俺は嬉しいよ」
もう二度と会えないと思っていた相手と、こんな形ででも言葉を交わせる――それだけで、胸が熱くなる。
「生きていてくれて、本当に良かった。これならルーナも――」
『――違うよ、オルン。……ウチは〝生きてる〟わけじゃない』
静かな否定だった。
『ウチを構成していた魔力の大半は、あの時、代価として術理に捧げた。残った僅かな魔力も、ウチを構成するには足りなくて、術理の中に取り込まれた。今のウチは、何とか形を保ってるだけ』
ティターニアの声は変わらず穏やかだった。
しかしその言葉の裏には、どこか諦めにも似た確信が滲んでいる。
『代価として支払った魔力が返ってくることはない』
少しだけ、間が空いた。
『今のウチは、残されたわずかな余生を過ごすだけの亡霊ってところね』
その言葉は、決して悲嘆でも絶望でもなかった。
ただ事実を静かに受け入れた者の、それだけの響き。
「…………」
俺は言葉を失っていた。
彼女の言葉を聴いて、彼女の魔力を視て、俺は理解してしまった。
ティターニアに残された時間が少ないことを。
術理という存在は、それだけで世界を形作るほどの魔力を宿している。
対してティターニアに残された魔力は、術理と比べれば微々たるもの。
術理の魔力が調和されているとしても、凪の海に一滴の自分が入っているようなものだ。
次第にティターニアの魔力も他と同じく調和された魔力の一部になるだろう。
むしろ、その状況で自己を確立していること自体が奇跡だと言える。
『オルンが気に病む必要はない。さっきも言ったでしょ。ウチがやりたくてやったことだって』
あくまでも、穏やかな声音だった。
慰めるわけでも、諭すわけでもない。
ただ、彼女の中で既に決着のついた事実を伝えているだけと言わんばかりの声音だ。
それが却って、胸に染みた。
俺は言葉を返せずにいる。
何を言っても、きっと意味がない気がした。
それでも、何かを言わずにはいられない想いが、喉の奥で燻っていた。
『あ、そうだ』
そんなとき、ティターニアが何かを思いついたかのような声を発する。
『オルンがウチに感謝しているというなら、一つ、ウチの願いを聞いてくれない?』
「……なんでも言ってくれ。ティターニアの願いなら、俺が何でも叶えてやる」
迷いのない声で応じると、しばらくの沈黙があった。
ティターニアは、言葉を選んでいるようだった。
そして、慎重に、けれど確かな意思を込めて、こう告げる。
『最期に……ルーナに――ルゥ子に逢いたい』
その一言に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
ティターニアにとって、ルーナが特別な存在だということが、今の言葉から伝わっていた。
だからこそ、その願いの重さも痛いほどに分かる。
「――任せろ」
俺は即答した。
迷いも逡巡もなかった。
「絶対に、ルーナを連れてくる」
それが、ティターニアの最期の願いなら。
どんな困難があっても、俺はそれを叶えてみせる。
「だから……それまで、待っててくれ。絶対に、間に合わせるから」
俺の言葉に、ティターニアはふっと笑った気がした。
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