306.岐路
翌日、俺は霊山の中腹にある天霊神社へと向かっていた。
この国の首都であるハネミヤでは、昨日の祭りとはうって変わって復興作業が再開されている。
早朝の澄んだ空気の中、瓦礫を運ぶ声が静かに響く。
鍋を分け合う湯気が立ちのぼり、瓦を張り替える人々の姿が屋根の上にあった。
祭りの喧噪とは異なる、復興の気配が街を満たしていく。
そんな光景を背にしながら、俺は霊山を登った。
天霊神社に向かっている理由は、そこに在る術理を調査するためだ。
術理はこの世界の心臓部ともいえる場所だ。
この世界と外の世界を隔てる壁を維持するための装置であり、この世界の構造そのものを支えている存在でもある。
俺の一番の目的は、二つの世界を隔てている壁を壊し、外の世界に行くこと。
だがこの壁は、人間にとって猛毒である〝外の世界の魔力〟がこの世界に侵入することを防ぐために存在している。
そんな壁を壊してしまえば、この世界に毒が充満してしまう。
俺個人の目的のために他の人たちを犠牲にすることは論外だ。
人の犠牲なく外の世界に行くための案はいくつか頭に浮かんではいる。
だが、それが本当に実現可能かどうか――それを確かめるためにも、俺は術理を識る必要がある。
自分のやるべきことを頭の中で整理していると、雨風に晒され、ところどころ塗料が剥げている鳥居が姿を現した。
俺はその鳥居をくぐり、静かに境内へと足を踏み入れる。
すると、そこには二人の人影があった。
「おはよう、オルン」
「お、おはようございます!」
先に声をかけてきたのはフウカだった。
その傍らに立つナギサは、ぎこちなく頭を下げてくる。
「おはよう、二人とも。朝早くから悪いな」
言いながら、俺は自然と歩を進める。
「き、気にしないでください! 私も、櫓の解体のためにここに来る予定でしたから!」
ナギサは慌てるように手を振りながら言うが、その動きはどこかぎこちない。
声の調子も、どこか上ずっていた。
……緊張しているな。
だが、それも無理はない。
今の俺は、《魔王》と呼ばれ、国際指名手配を受けている身だ。
実際には、教団が俺を社会的に孤立させるためにでっち上げた罪に過ぎない。
ナギサもそのことはフウカから聞いているはずだが、その異名が与える印象は、簡単に拭えるものじゃない。
言葉を交わしてくれているだけでも、十分すぎるくらいだ。
「櫓の解体? ナギサとフウカの二人でやるには重労働じゃないか? 他の人に頼むのは――あぁ、そうか。ここは禁足地だったな」
霊山に足を踏み入れられるのは、東雲家、朝霧家、天堂家の人間に限られている。
霊舞祭の最終日に限り、他の人間も立ち入りが許されているが、それ以外の日にここに入れるのは一部の人間だけだ。
俺も本来なら、その資格は持っていない。
だが、フウカとナギサの承認を得ているため、今は例外としてここに立つことができている。
「はい……。でも、そこまで重労働というわけではありません。この櫓を組み立てたり解体したりするための、朝霧家に代々伝わるオリジナル魔術がありますから。解体したあとは収納魔導具で回収して、外に運び出してから、然るべき手順で焼却するだけですし」
「なるほど……。朝霧家ならではのやり方があるわけか」
そう返すと、ナギサは少しだけ表情を和らげた。だがその姿勢には、やはりどこかぎこちなさがあった。
できれば彼女とは良い関係を築いていきたい。
だがそれは、焦らずに少しずつ時間をかけていくしかないだろう。
「…………あのっ、オルンさん」
ナギサが不意に、視線を落としたまま声を発した。
その声音には、何かを恐れるような気配が混じっていた。
「実はオルンさんに二つ、お伝えしたいことがあるんです……!」
「伝えたいこと?」
「はい。まず一つ目は、――先日はこの国を救うために尽力してくださりありがとうございました! フィリーがこの国から去ってくれたのも、オルンさんのお力によるものだと聞きました。本当にありがとうございます!」
ナギサは深々と頭を下げた。
その声音には感謝の念がはっきりと滲んでいる。
「礼を言われるようなことじゃないよ」
苦笑まじりに言葉を返す。
これはフウカの悲願だった。
仲間の願いを叶えるために動いた結果だ。
それに、俺自身にも術理を早めに抑えておきたいという考えがあったわけだしな。
「……それでも、ありがとうございます」
ナギサは顔を上げ、もう一度、まっすぐこちらを見据えた。
俺としては感謝をされる必要は無いと思っているが、それでも受け取った方が彼女の気負いも少しは軽減するだろうな。
「どういたしまして。……それで、二つ目は?」
「……その、二つ目、なのですが――」
俺が二つ目のことに話題を移すと、ナギサが躊躇うようにしながらも口を開く。
一拍の間を置いて、ナギサの視線が逸れる。
指先がぎゅっと自分の袖を握りしめていた。
「先月に行われた、首脳会議のことです。……そこで私は、オルンさんに対する指名手配案に、賛成の立場を取りました」
やや震えの混じる声。
それでも、言葉は逃げずに続けられた。
首脳会議とは、地上に蔓延るようになった魔獣に対抗するべく、各国のトップやそれに準ずる者が一堂に会して行われた会議のことだろう。
その会議では、各国の連携強化が取り決められて、大迷宮攻略が人類共通の最優先事項に設定された。
――そして俺の国際指名手配が決まった場でもある。
「教団からの圧力があったことは事実です。だとしても、……私が、あの場で手を挙げたことには変わりありません。結果的に、オルンさんを追い詰めてしまった一因は私にもあります」
ナギサはもう一度、深く頭を下げた。
その背は小刻みに震えていた。
「本当に……申し訳ありませんでした……!」
ナギサは、深く頭を下げたまま動かない。
その姿を見て、俺は気づく。
……俺は勘違いをしていたのだと。
ナギサが緊張していたのは、俺に対する恐怖心からだと思っていた。
だが実際は、自分の行動が俺を指名手配犯に仕立てる一助になってしまったことに対する後ろめたさからだったわけだ。
だとしたら、その誤解は早く解かなければならない。
「顔を上げてくれ。これは、ナギサが謝るようなことじゃないから。こちらこそ、悪かった。君を苦しませてしまって」
「そ、そんなっ! オルンさんが謝るようなことなんて……!」
「いや、この件に関しては俺の方が悪い。だって、国際指名手配を受けることは、俺が望んだことなんだから」
「…………え?」
「俺が教団から目を付けられていることはわかっていた。そんなあいつらが、《夜天の銀兎》を狙うことも。教団のターゲットから《夜天の銀兎》を逃すために、俺がルシラ殿下に頼んでいたんだ。首脳会議の場で俺を国際指名手配するための提言をするように。彼女が議題に挙げれば、《夜天の銀兎》の活動拠点であるノヒタント王国が俺を敵視していることを対外的にアピールできるだろ?」
「……そういえば、それを提言していたのは、ルシラ王女だった……」
俺が話した内容が衝撃的だったようで、ナギサは目を見開いたまま言葉を失っていた。
「ナギサ、オルンの言っていることは本当」
ここまで静観していたフウカが口を開いた。
「フウカ姉さま……」
「オルンとルシラがそのことについて話をしていた場に、私も居た。確かにオルンはあの一件の罪を自分が被ると言ってた。ルシラがその意図を汲み取ってオルンを国際指名手配犯に仕立て上げた」
「…………」
「だから、ナギサが気に病む必要は無い」
フウカの言葉に、ナギサは俯いたまま、唇を強く噛みしめていた。
しばらく沈黙が流れたあと、震える声が漏れる。
「……それでも、私は、自分を許せないよ……」
顔を上げたナギサの目には、悔しさと悲しみがにじんでいた。
「私は最後まで、教団の命令に逆らうことができなかった……!」
ナギサの叫びは、まるで自分自身を罰するようだった。
その肩は小刻みに震えている。
自分の力では何もできない無力感や過去の失敗に対する後悔。
それは、俺にも、覚えがある感情だった。
「……ナギサ」
俺は、ゆっくりと彼女のそばに歩み寄った。
「俺たちは、常に正解の道を進めるわけじゃない。もしも間違えないやつがいるとしたら、そいつは前に進んでないだけだ。間違いや後悔は、前に進もうとした証拠だ。そして進んだ先で、次の岐路に立たされる。立ち止まるのか、歩き続けるのか」
ナギサは目を見開いたまま、俺を見つめていた。
だから、続ける。
「ナギサが今、ここで自分の弱さを認めたこと。それは、誰かの命令に黙って従うより、ずっとずっと勇気の要ることだ」
「……勇気……?」
「そう。自分の弱さと向き合うのは、誰だって恐い。逃げたくもなる。でも君は、今、きちんと向き合っている。だったら、もう――君は、ただ従うだけの人間じゃない。これからは、自分自身の意志で歩けるさ」
ナギサの目に滲んでいた涙が、静かにこぼれ落ちた。
でもその顔には、さっきまでの陰りはなかった。
「……私、変われるかな」
ナギサの呟きにフウカがそっと寄り添う。
「変わりたいって思ってる時点で、もう変わり始めてる。大丈夫、ナギサは強い人になれる」
その言葉に、ナギサはようやく、小さく――けれど、どこか誇らしげに微笑んだ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話もお読みいただけると嬉しいです。






