155.移ろいゆくもの③ 心境
こちらを見ている冷たい瞳が、熱を帯びたように徐々に普段のものに変わっていく。
そして表情もいつもの笑みを絶やさない人懐っこいものに変化した。
「んー? 今日は会議じゃないの?」
キャロルがキョトンと首を傾げながら問いかけてくる。
この部分だけを切り取れば彼女は普段と何ら変わらないが、直前の状態を見た後だと心が痛くなる。
俺は努めて普段通りを装いながら口を開く。
「会議は終わったぞ。もう昼過ぎだしな」
「え!? もうそんな時間なの!? 休みの日は時間が過ぎるのがあっという間だ~」
「そうだな。今日は休みだ。だから、――無理しないで自然体でいいぞ」
キャロルにそう告げると、彼女が息を飲んだ。
これまではキャロルが誤魔化してくるなら見て見ぬ振りをしていた。
俺自身、半年前のオリヴァーとの戦いを経てから、他人に構う余裕が少しずつ無くなっている。
でも、それは言い訳に過ぎない。
俺がキャロルを救えるなんて大層なことは言えないけど、苦しんでいるように見える彼女を少しでも楽にさせるための手助けならできるはずだ。
「や、やだな~、ししょー。あたしはいつだって自然体だよ?」
多少の動揺は見えるもののキャロルの言う通り、彼女の表情、声音、雰囲気、どれを取っても普段と変わらない。
やはりこの程度の言葉では変化は無いか。
「そうか。なら俺の勘違いか」
「そうだよ。もぉ、いきなり変なこと言わないでよ、ししょー」
「ごめんごめん。それにしてもここは良い場所だよな。街から離れていないのに静かで、街の喧噪から離れたい時にはもってこいだ」
キャロルの隣に腰掛けて、必死に頭を働かせながら言葉を紡ぐ。
「……ししょーもここにはよく来るの?」
「いや、ここに来るのは二回目」
「へー。あ、一回目はソフィーと一緒に来たんでしょ! あたしもここのことはソフィーから教えてもらったんだ! おすすめの場所だよ、って!」
「残念、俺は自力で見つけたぞ」
「あれ、ソフィーは無関係だった?」
「うーん、この場所を見つけたこととは無関係だけど、この場所の思い出とソフィーは無関係とは言えないかな。その当時は頭の中でこれからのことを色々と考えながら悩んでいてさ、風当たりの良い場所を探してここに辿り着いたんだ」
「ししょーでも悩むことあるんだね。ししょーは何でもスッパリ決めると思ってた」
「俺だって色々と悩みを抱えているぞ。大なり小なりみんなそこは同じはずだ。キャロルもそうだろ?」
「あたしは……」
キャロルに軽く踏み込んでみると、キャロルの瞳が少し揺れる。
「……キャロルにとってはあまり触れたくない内容かもしれないけど、今日は踏み込ませてもらうよ」
俺の表情を見て何かを察したのか、キャロルの笑顔の裏に怯えのようなものが見える気がする。
それでも今日は彼女と真正面から向きあうと決めている。
このまま迂遠な言葉を重ねても、彼女の場合は誤魔化し続けるだろう。
もしかしたら踏み込むことで彼女を余計に傷つけてしまうかもしれない。
結局は俺の自己満足でしかないのかもしれない。
それでもこれは師匠である俺の役目であると思うから。
改めて自分の中で目的をはっきりと定めてから言葉を紡ぐ。
「……キャロルももう察していると思うけど、俺はお前が《夜天の銀兎》に来るまでの出来事については聞いている。お前が《シクラメン教団》からどんな扱いを受けているのかも、な」
「――っ!」
「俺には今のキャロルの心境がわかるなんて口が裂けても言えない。俺が想像出来る範囲に収まることではないと思うから。だから教えてほしいんだ。キャロルは今苦しいのか、それとも本当になんとも思っていないのか」
「で、でも……」
俺の言葉を受けてキャロルの心が揺れているように、迷っているように感じる。
迷っているということは、少なからず言葉にしたいことがあるのだろう。
「俺はキャロライン・イングロットという人間を好いているよ」
「……え?」
「出会った時からお前が何かを抱えていることはわかっていた。それにあまり踏み込んで欲しくないことも察している。でも、言わせてくれ。キャロル、お前は俺にとって大切な弟子で仲間だ。だから怖がらなくて大丈夫。どんなお前だったとしても俺は受け入れるよ。難しいことは考えなくていい。たまにはさ、自分がどうしたいのか、何を思っているのか、それを吐き出してみるとスッキリすると思うぞ」
俺が《夜天の銀兎》に加入してから、言われて一番嬉しかった第一部隊の面々の言葉を借りた。
俺の言葉ではないけど、他人に必要以上に踏む込むことを恐れている俺の心に響いたこの言葉なら、キャロルにも届くと思うから。
「……ほんとうに? あたしが何を思っていても、ししょーは師匠で居てくれる?」
キャロルが遠慮がちに視線をこちらに向けながら、問いかけてきた。
その瞳の中には期待が込められているように感じる。
「勿論だ。お前たちの師匠になった日にも言っただろ。何があっても俺はキャロルの味方であり続ける。それだけは絶対に変わらないから」
俺の返答を聞いたキャロルが顔を伏せながら「……うん」と小さく呟いた。
それから短くない時間の沈黙があって、
「…………お母さんがね、生きてた時に言ってたんだ。『辛い時こそ笑え』って。『笑っていれば、いつか幸せと思える日が来るから』って」
キャロルが呟くように自分のことを話し始めた。
「…………あたしは、人間が、怖い」
「ログやソフィー、ししょーにルゥ姉、それに《夜天の銀兎》のみんなのことは大好きだよ。それは、本当。でも、人間の中には、相手がどれだけ苦しんでいても表情一つ変えない人や、機嫌が悪いだけで殴ってくる人が居ることを、あたしは知っているから」
キャロルが昔居た《シクラメン教団》は世界有数の犯罪組織だ。
奴らが引き起こした事件は挙げるとキリがない。
俺にとって、それらの事件は所詮他人事でしかなかった。
だけど半年前、そして二カ月前と、短期間に二度も《シクラメン教団》が引き起こした事件の当事者になった。
半年前の首謀者であるフィリー・カーペンターは、人の記憶・認識を好きに弄って自分に都合の良いように他者を操るような人間だった。
二カ月前の件に関わっていたオズウェル・マクラウドは、その後に発生するであろう世界の混乱も考えずに簡単に帝国の皇族を殺そうとしていた。そして奴らの中でキャロルを一番傷つけた人物だと思われる。
俺が知っている《シクラメン教団》の関係者はこの二人だけだが、この二人が好き勝手している時点で碌な人間の集まりでないことはわかる。
そんな連中の組織にキャロルは居た。
口には出せないが、彼女が〝良い子〟と呼ぶにピッタリな性格なのはかなり運が良いと思う。
《シクラメン教団》の中に居て世間一般的な価値観を保てているのは、彼女の精神力が相当に高いことを表しているのではないか、と俺は思っている。
「あそこに居たときは辛かった。毎日死にたいと思ってて、ついに自殺を決意して、それを実行した。でも、死ねなかった。そのタイミングで【自己治癒】って異能が現れたから」
呪い、か。
俺にとって異能は自分を助けてくれる武器だと思っている。
恐らく異能者のほとんどがそうだろう。
でも、キャロルにとっての異能は忌むべきものなんだろうな。
「死ねなくなったから、あとは笑うしかなかった。お母さんの言葉に縋ることしかできなかった。それで、笑うことを意識してたら辛いことや痛いことに、以前ほどの苦痛が無かった。それに、相手の希望に沿って良い結果を出すと笑ってくれて、その時は辛いことや殴ってくる人が居なかった。だから、お母さんの言葉は本当だと思った。笑っていればあたしは辛くないし、相手が笑っていればあたしに酷いことをする人は居ない。みんなが幸せになるんだって。――だからあたしは笑うんだ。みんなに笑っていてもらうんだ」
心が、痛い。
想像はしていた。
キャロルの過去が生易しいものでないことは。
でも、これは……。
俺は幼少期に野盗に両親を含めた村の仲間全員を殺された。
だけど俺には同じ境遇の人が居たから一人ではなかった。
それにツトライルに来てからは仲間も俺たちを支援してくれる味方も増えていったから、やってこられた部分がある。
でも、キャロルにはそんな仲間も味方も居ない環境で、数年もの間非道な扱いを受けてきた。
やはり、奴らには地獄に堕ちてもらわないと、俺の気が収まらない。
過去の出来事だろうと、俺の個人的な怒りだろうと、そんなものは関係ない。
俺の大切なものに理不尽なことをしたんだ。
泣き寝入りなんかで終わらせることは、絶対にない。
改めて《シクラメン教団》を叩き潰す決意をしたが、今はキャロルが優先だ。
「……話してくれてありがとう、キャロル。辛いことを思い出させてしまって悪かった」
そう言いながらキャロルの頭を撫でる。
「……不愉快じゃないの?」
俺の行動に戸惑っているようで、キャロルから質問が飛び出してくる。
「不愉快? なんでだ?」
「ししょー言ってたでしょ。他人を慮って行動できるのはあたしの美徳だって。でも、実際あたしは自分のために行動していたんだよ?」
「そういうことか。不愉快なんて思ってないよ。……これは俺の持論だけど、人間は究極的に自分のために行動する生き物だと思っている。他人のために行動するのだって、結局は何かしらの見返りを期待してのものだと思うしな。俺の尊敬する人は、この社会が互恵関係で成り立っていると言っていた。それの意見には俺も賛成できる。だから、結局は他人のために行動できる人間の方が、最終的には得をするようになっているんじゃないかと俺は考えているんだ」
キャロルの問いに対して俺は持論を語る。
これが極論であることは自覚しているし、これが絶対に正しいとも思っていない。
あくまで俺の考えの一つというだけだ。
「……ししょーも、そうなの?」
「そうだな。例えば、俺はお前たちの師匠になって探索者のいろはを教えているわけだが、それだって全てがお前たちのためというわけではない。お前たちが成長して結果を出してくれれば、それに引っ張られる形でお前たちを育てた俺の評価も上がっていくわけだからな。勘違いしてほしくないから言うが、お前たちに立派な探索者になってもらいたいと思っているのは本当だぞ」
「……そっか。あたしだけじゃないんだ」
「そうだ。キャロルはおかしくない。普通の女の子だ。兄姉と再会したことで昔のことを思い出して、あれこれ考えているんだろうけどさ、誰がなんと言おうとも今のお前は《夜天の銀兎》のキャロライン・イングロットだ。ここにはお前を傷つけるやつはいない。だから無理して笑っている必要はないんだ。辛いときは辛いって言っていいし、仲間に甘えていい。ログやソフィー、ルーナもそんなことでお前のことを嫌いになったりしないから。――そうだろ、二人とも」
キャロルに伝えたいことを伝えてから、俺を尾行して木陰に隠れていたログとソフィーに声を掛ける。
すると木陰からばつの悪そうな表情で二人が現れる。
「二人とも……」
キャロルが二人を視界に入れると、気まずそうな表情に変わった。
「あ、あはは……、やっぱり師匠を欺こうなんて無謀でしたね……」
「キャロル、ごめんね、盗み聞きするようなことして」
「あ、えと、その……」
キャロルが何を言えば良いのか迷っているように吃っている。
「お前らもキャロルが何を思っていたのか聞いたよな? キャロルに失望したか?」
「そんなことありません!!」「そんなことないです!!」
俺が二人に問いかけると、二人が食い入るように否定した。
それから二人がキャロルに近づいてから自分たちの気持ちを吐露した。
「キャロル、辛かったね。なのに今まで気を遣わせちゃってごめんね。私じゃ頼りないかもしれないけど、私はこれからもキャロルと一緒に居たいよ! この気持ちは絶対に変わらない!」
「いつか僕が、僕たちがキャロルを心の底から笑わせてやる。嫌な過去を思い出す暇すら与えないくらい幸せに満ちた日々にするって約束する!」
「うん、うん、ありがとう……」
ソフィーとログの言葉を聞いたキャロルが、瞳に涙を浮かべている。
やっぱり仲間の力というのは偉大だな、と改めて実感した。
キャロルの表情を見てひとまず大丈夫だろうと考えた俺は、本部に帰るために三人に背を向ける。
ここから先は三人の時間だ。
俺が居るというのも無粋だろう。
「ししょー、ありがとう。ししょーのお陰でなんか色々と話したらスッキリした!」
背後からキャロルが声を掛けてきたため振り返ると、最近の中では一番良い表情をしている。
うん、やっぱりキャロルには笑顔が似合うな。
◇
丘を降りると目立たない位置にルーナが立っていた。
「ルーナは三人の元に行かなくていいのか?」
「……はい。今日のところは止めておきます」
ルーナが笑みを浮かべながら答える。
無理をしているようではなさそうだ。
「オルンさん、キャロルの本音を引き出してくださりありがとうございます。やはり貴方は素敵なお師匠さんですね」
「よしてくれ。俺なんて全然だよ。結局は自己満足のために動いているだけだしな」
「『人は究極的に自分のために行動する』というやつですか?」
「あぁ。ルーナだから言うが、少しでも心のしこりを取り除きたかったんだ」
「九十三層の攻略に向けてですか?」
「それもある。だけど、何かすごく嫌な予感がしていたんだ。ここでキャロルと向き合わないと、もう二度とそんな機会がない、ってさ。そんなこと無いと思うけどな」
「……オルンさんがどう思っていたとしても、キャロルが前を向いてくれるきっかけになったことには変わりないと思いますよ」
「……そうだといいな。キャロルが自分の過去とどう向き合っていくのか、それを決めるのは彼女自身だ。彼女がゆっくりと考えられる環境を作って、それを見守るのが今の俺たちの役目だろうから、そのために頑張らないとな」
「えぇ、そうですね。私もキャロルの笑顔に助けられた人間の一人です。彼女が本当の笑顔で過ごせるよう微力ながら尽力します」
「それは心強いな。今年一杯は九十三層の攻略に集中したい。しばらく弟子たちのこと任せてもいいか?」
「ふふっ、オルンさんに言われるまでもないですよ。あの子たちは私の大切な仲間なのですから。オルンさんは自分のことに集中してください」
「……ありがとう、ルーナ」
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