142.表と裏
俺が本来の異能を自覚してから、かなりの時間が経過した。
その間、ずっと《英雄》と戦闘を繰り広げているが、戦闘は俺に有利に進められている。
先ほどまで雑木林であったここは、既に木々が無くなり所々の地面は抉れ、見晴らしの良い荒野のようになっている。
既に雑木林の面影は残っていない。
(そろそろエディントン伯爵が用意した部隊の先遣隊がルガウに到着してもおかしくない頃合いか)
状況を再確認した俺は魔剣であるシュヴァルツハーゼの魔力を膨張させて大剣を形作り、地面を蹴って最短距離で《英雄》との距離を詰める。
今の俺は【封印解除】によって身体能力が限界近くまで引き上げられているため、常人なら反応できない速度で動くことが可能になっていた。
しかし、相手は常人を遥かに凌駕している《英雄》だ。
単純な突進では難なく対処されカウンターを食らうことは、これまでの戦闘で充分すぎるほどに理解できている。
そこで俺は、《英雄》の間合いのギリギリ外側で【反射障壁】を発動する。
更に自身に掛かっている重力を打ち消した。
《英雄》の周囲に設置した複数の【反射障壁】を経由することで、スピードを一切落とさず瞬く間に《英雄》の背後へと回り込む。
これは【重力操作】があるから成立する動きだ。
重力有りでも可能ではあるが、高速移動中に急激な方向転換をすると体に掛かる重力は相当なものになる。
そのため余程の状況でない限り【重力操作】無しでこの動きを取ることは無いだろう。
背後に回り込むと同時に魔剣を大剣から双剣に変える。
そのまま二本の魔剣で、深すぎず浅すぎずの塩梅で背中を斬りつける。
俺が二本の剣を振り終わるころには、《英雄》が振り向きざまに剣を振るってきた。
その剣を躱しながら、蹴りを腹部に叩きこむ。
【重力操作】で加重した俺の蹴りをまともに食らった《英雄》が、吐血しながら十数メール程吹っ飛ぶ。
蹴り飛ばされた《英雄》が多少ふらつきながらも立ち上がると、子どものような無邪気な笑みを浮かべながら口を開く。
「ははは! いいねぇ、この命を危険に晒している感覚! これこそ戦いだ! もっと、もっと俺を楽しませてくれ!」
俺が本来の異能を自覚してから互角以上の戦いが可能になると、《英雄》の表情が段々と緩んでいき、戦闘を楽しんでいるように見受けられた。
《英雄》の立場や異能から推測するに、まともに彼と戦える人物は居なかっただろうし、彼が本当に命の危機を感じることはほとんど無かったんだろう。
それ故に今のこの状況を、俺との戦闘を心の底から楽しんでいるんだ。
「ふざけるなよ、この戦闘狂が……!」
悪態をついていると、《英雄》の体がブレるほどの速さで距離を詰めてきた。
俺は双剣となったままの魔剣から手を離し、出現させた予備の剣を握る。
その剣に【耐久力上昇】を発動し、《英雄》が突進しながら振るってきた剣に合わせて【重力操作】による加重と【瞬間的能力超上昇】を含めた剣撃を繰り出す。
両者の振るった剣が接触すると、それによって生み出された強烈な衝撃が四散し、大きな音を立てながら地面に地割れのようなヒビがいくつも走る。
「……【零ノ型】」
不安定な地面の上で鍔迫り合いをしながら呟くと、先ほど手離した魔剣が形のない漆黒の魔力となる。
そして漆黒の魔力が次第に形を帯び始め、鎖のようなものに変化し、その鎖が《英雄》の体に纏わりつく。
「くっ、なんだこの鎖は……!」
加重も加わっている漆黒の鎖はかなりの重量となっている。
それは異常な身体能力を有している《英雄》でも簡単に動くことができないほどのものだ。
夢の中でオリヴァーと戦っていた俺は似たような漆黒の鎖を虚空から生み出していた。
あの鎖を作った時の感覚も覚えてはいるが、どうにもその感覚が俺には理解できないでいる。
理解するための何かが欠落している、そう考えるのが自然なほど違和感しかない感覚だった。
(あの鎖は俺が今魔剣で作った鎖なんかよりも高度なものだった。本当にあれはなんなんだ? 【封印解除】ができたのであれば、あの鎖も生み出すことができるはずだ。氣の操作のような特殊な技術が必要なのか……? ――っと、そんなことを考えるのは後だ)
逸れた思考を正して、拘束している《英雄》から距離を取りながら術式を構築する。
「これで終わりだ……!」
構築した術式に魔力を流して【超爆発】を発動した。
轟音と共に死なないように調整した爆撃が《英雄》に直撃し、黒煙が上がる。
「……【壱ノ型】」
《英雄》を拘束していた漆黒の鎖を形の無い魔力に戻す。
それから魔力を俺の右手付近に集めて長剣をかたどった魔剣を作り出すと、予備の剣を収納して魔剣を握る。
今の一撃で決着が付いたと思いたい。
だけど相手はあの《英雄》だ。
これで倒れないこともあり得ない話ではない。
警戒を緩めず黒煙の中に居るであろう《英雄》を注視する。
「――っ!?」
突如黒煙が変な動きをしたため、咄嗟に体を逸らすと斬撃が飛んできていた。
躱しきることができずに左肩に痛みが走り、肩口からは血が流れる。
魔術で肩口の止血をしていると土煙の中から声が聞こえた。
「なんだ、今のぬるい攻撃は。手を抜くな。本気で俺を殺すつもりで来い! ……そのつもりが無いというなら、否が応でも本気にさせてやるまでだ!」
煙が晴れると怒りをにじませた目でこちらを射貫いてくる《英雄》が視界に移る。
「……おい、冗談だろ。ここら一帯を消し飛ばすつもりか!?」
《英雄》が持つ剣の刀身の周囲が歪んでいた。
【重力操作】という異能を有している俺にはあれがどれだけ危険なものなのか、嫌でもわかってしまった。
盾でギリギリ防げたあの時の攻撃とは比較にならないほどの力が圧縮されている。
あんなものを振るったら、この辺りは文字通り消滅する。
「むしろ好都合だ」
《英雄》がそう呟きながら剣を構える。
「チッ!」
俺も《英雄》の攻撃を迎撃するために、いや、《英雄》を止めるために魔剣に更に収納魔導具で収束し続けていた魔力を供給する。
「やる気になってくれたようでなによりだ。さぁ、お前の本気を見せてみろっ!」
《英雄》が声を上げながら剣を振り下ろすと、周囲を一瞬で消滅させられるほどの斥力の塊を放ってきた。
「天閃っ!!」
それに合わせて俺も魔剣を振るい【重力操作】と【瞬間的能力超上昇】を加えた漆黒の魔力の斬撃を放つ。
漆黒と無色の力の塊が衝突する。
本来であれば衝突した時点で周囲に甚大な被害がもたらされるほどのものだった。
その被害を最小限にするために俺は天閃に【重力操作】を使用していた。
この衝突によって生み出される破壊の奔流を上空へ逃すために。
せめぎ合う二つの力が上空へと向かい、漆黒の柱が天に伸びていく。
しかし、被害をゼロにすることはできない。
最初は細かったその柱は徐々に太さを増していき、俺と《英雄》を飲み込みながらなおも膨張を続ける。
このことを見越していた俺は、天閃を放った直後に魔剣を盾に変えて俺の周りに最大限収束させた魔力の壁で作った立方体で覆っていたため俺に被害はない。
《英雄》も自身の異能で防いでいるだろうが、恐らく完全には防げていないはずだ。
◇
しばらくして漆黒の柱が消えたことを確認してから、下面のみを残して魔力の壁を取っ払う。
それから俺の眼下に映ったのは巨大な大穴だった。
光すらあまり届いていない穴の中には満身創痍となっている《英雄》が横たわっていた。
「…………」
盾を長剣に戻しながら【空間跳躍】を発動して、《英雄》を穴の中から地上へ移動させる。
それから魔力の足場を蹴って《英雄》から少し離れた地面に着地する。
「悪く思うなよ。元はと言えばお前らが侵攻してきたことが原因なんだ」
既に意識を失っている彼に声を掛ける。
それから死なれては困るため【快癒】の術式を構築していると、突然近くに人の気配が現れた。
気配のあった方に視線を向けるとそこに居たのは、約半年前に弟子たちを襲った《アムンツァース》のローブ女だった。
「…………オルン」
(何故、この女がここに現れる? どさくさに紛れて俺を殺すつもりだったのか?)
ローブ女と目が合うと、彼女が息を飲んだ。
「その目……。もしかして、オルン、私のこと、覚えてる……?」
それから声を震わせながら、まるで何かを期待しているかのような、そんな声で問いかけてくる。
「……忘れるわけないだろ――」
俺が口を開くと彼女の表情がパッと晴れやかになった。
「――弟子たちを殺そうとしたお前を、何故俺が忘れていると思ったんだ?」
俺が冷ややかな声で最後まで言うと、晴れやかな表情が数舜固まってから次第に表情が崩れ、悲しみを必死に隠しているような笑みを浮かべながら「……そうだよね」と小さく呟いた。
その表情を見た俺は、何故かすごく心が痛くなった。
(……まただ。何なんだよこの感覚は……! なんでこんなに罪悪感を覚えているんだよ……!)
自分の感情に戸惑っていると、ローブ女は表情を不敵な笑みに変えて口を開く。
「《英雄》にすら勝っちゃうなんて流石だね。これじゃあ、私が来た意味無かったかな」
「来る意味だと? 俺を殺しに来たんじゃないのか? 生憎とまだ余力は残っている。簡単に殺されるつもりは無いぞ」
ローブ女にそう告げながら臨戦態勢を取る。
《英雄》との戦いでかなり消耗したが、この女の実力は前回の戦いである程度把握している。
勝てるかどうかは正直なところ五分五分と言ったところだ。
でも今の俺なら全く歯が立たないわけではない。
「そう思われるのも仕方ないけど、今の私にオルンを殺す意思はないよ。半年前のあれは完全にこちらに非があった。あの時は、ごめんなさい」
臨戦態勢の俺に対してローブ女は本当に戦う気が無いようで、隙だらけのまま頭を下げてくる。
(……何が目的だ?)
ローブ女の真意を探っていると背後から、
「殿下ぁ、勘弁してくださいよ。なんでそんなところで寝てるんですか」
男の声が聞こえた。
俺が振り返ると、一部の学者が羽織っている白衣を血で真っ赤に染めたようなものを羽織っている男が肩を落としていた。
「ま、いっか。この男では我々の期待に応えられなかった、それだけの話だしね。うんうん」
俺たちなんか眼中に無いと言わんばかりに独り言を呟いている赤衣の男。
「オズウェル・マクラウド……!」
ローブ女が敵意剥き出しで赤衣の男を睨みつけながら口を開いた。
どうやらこの男の名前はオズウェルというらしい。
どうみてもローブ女と赤衣の男は友好的な関係とは思えないが、判断材料が少なすぎる。状況が読めない。
「やぁ《白魔》。そう睨まないでくれよ。折角の可愛い顔が台無しだぞ?」
「――――」
赤衣の男の言葉を聞いたローブ女が冷たい殺気を纏った。
そして次の瞬間には、赤衣の男が氷塊の中に閉じ込められていた。
……この氷塊はオリジナル魔術か?
それにしても相変わらずこの女の魔術は異常だな。
まるで魔力流入という過程を飛ばして魔術が発動していると表現するのが一番しっくりくる。
ローブ女と戦ったあの日からこの魔術の仕掛けについて考えているが、満足のいく仮説すら一つも立てられていない。
異能というのが濃厚だがどんな異能を使えばこんな魔術になるんだ?
「余計なお世話」
赤衣の男が行動不能となり静寂となった空間にローブ女の透き通った声が響いた。
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