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少女の名は、ルティス

「目が覚めたみたいだね! ねぇねぇ今の気分はどう? 平気?」


 コノハが身を乗り出したとたん、ひっ……と悲鳴を漏らし少女が怯えた顔になる。「コノハ」とシャンがたしなめると、彼女は「ごめん」と舌をだした。


「あのう……ここは……?」

 絹糸のように、細く繊細な響きを放つ少女の第一声。

「ここは、ブレストという街にある診療所だよ。俺の名前はリン。見た通り、冒険者稼業をしている。平原で意識を失っていた君を保護して、ここまで連れてきたんだよ──。えーと」


 そう言ってリンは、仲間たちの名前を順番に紹介していった。


「ぼうけんしゃ?」

「ああ、もしかして、冒険者のことを知らないのか。まあいいや。それは追々説明したらいいし。それで、君の名前は? 何処から来たのかわかるかい?」

「助けていただいたのですか。ありがとうございます」と少女は頭を下げた。「ボクは……」


 ところが、それっきり彼女は口を噤んでしまう。


「どうしたの? 名前を思いだせないのかな?」

「……ルティス」

「それが、君の名前?」

「……いえ、名前かどうかはわからないです。ボク……それしか覚えてないんです」

「記憶がないということかい?」


 リンの質問に、少女は困惑気味に頷いた。彼女いわく、飛行船から落ちた時の記憶はおろか、自分の出自も年齢も、自分が何者で何処からやって来たのかも、全く覚えていないのだという。


「落下したショックによる記憶喪失、なのか? あ、いや。飛行船から落ちたかどうかも不明瞭だったなそういえば」

「……そうですね。私も地面に接触する寸前しか見ていないので。それにしても、困りましたね」


 リンとオルハが口々に言い考え込んだ。


「ふうん。つまり、記憶が戻るまで行くあてもなし、ということね」と口を挟んできたのはリオーネ。

「どうしましょう? 身元不明人として、街の衛兵に引き渡すのも、なんだか違う気もするし……」


 シャンが困惑したように呟くと、リオーネも言葉を選ぶように黙考する。


「そうね。あなたが構わなければだけど、帰る所を思い出すまで、ここ、というか神殿で保護できないか掛け合ってみましょうか?」

「……宜しいのですか?」

「ええ、もちろん。一応、ルティスという名前で住民登録がされていないか、エストリア及びディルガライス帝国に照会は取ってみるけどね。まあ、先方とは、休戦中とはいえ険悪な間柄。あまり気はすすまないのだけれども」


 都市部で生活しているヒト族の全ては、住民登録され、国で一括管理されているのが通例だ。少女がもし、ディルガライスの都市部に住んでいるのであれば、身元は直ぐにでも判明するはずなのだ。もっとも、ルティスというのが本名であればな、とリンは思う。


「リオーネさんが優しいなんて、珍しいですね。熱でもあるんじゃないですか?」


 茶化すような口調でカノンが言う。普段横柄な態度ばかりのリオーネの口から、似つかわしくない言葉がでてきたと思っているのだろう。不思議そうに首を傾げている。


「失礼ね、カノン。私とて、行くあてもない女の子を放り出すほど鬼でもないわ」


 それに、となおも彼女は続ける。


「研究材料としても、非常に興味深いし。暫く手元に置いておくのも悪くない」

「研究材料? ですか」


 思いもよらぬ言葉に、いよいよカノンが形の良い眉をひそめた。もっとも、まるで物でも扱うような言い方に、怪訝な顔をしたのはなにも彼女ばかりではない。

 オルハがピクっと肩を震わせ、滅多に怒らないコノハですら睨むような眼差しをリオーネに向けた。するとリオーネは、「ちょっとあなたたち、話は最後まで聞きなさい」と憤慨してみせた。


「まだ説明してなかったけれども、この子には不思議な能力が備わっているのよ」


 不思議な能力、とコノハが反芻する。


「そう。もっとも、記憶喪失なのであれば、自分にどんな力が備わっているのかすら、把握できてないんでしょうね。どう? 今言われたことに何か心当たりはある?」


 リオーネが少女に視線を送ると、彼女はふるふると首を横に振った。


「でしょうね。どうやら実践した方が早そうね。ちょっとだけ痛いけど、我慢できるかしら?」


 もう一度尋ねると、今度は首を縦に振った。


「思っていたより、肝が据わっているのね。じゃあ」


 リオーネはそう言うと、ポケットから小型のナイフを取り出して少女の二の腕に当てた。

「何を」とシャンが止めようとするよりも早く、ナイフを引いて少女の腕に斬り傷を付ける。雪のように白い肌に一筋赤い線が走り、じわっと赤い物が滲み出してくる。

 痛みに顔を歪めつつも、声ひとつ上げない少女。むしろ、傍らで見守っていたコノハの方が、盛大に顔を歪めてみせた。


「ちょっと、リオーネさん! 何をやってるんですか!」

「静かに……! ここからだから」


 リオーネは口元に手を当てると、黙って見ているよう全員に促した。

 次の瞬間、まるで逆再生の映像でも見せられているかのような光景が、各々の眼前で展開された。

 滴り落ちていたはずの血がものの数秒で止まってしまうと、やがて傷口すらまったく見えなくなってしまう。


「……これは、驚きましたねえ」


 成り行きを見守っていたオルハが、目を見開き驚愕とも感嘆ともつかぬ声を漏らした。冷静な彼女にしては珍しいリアクションだ、とリンも思う。もっとも、驚いているのは彼女も同様だった。なるほど、飛行船から落ちても無傷だった理由がこれなのか?


「彼女の容姿そのものは、特殊な髪の色を除けば普通の人間となんら変わることはありません。けれど、彼女の新陳代謝のスピードは、実に驚異的なもの。精密検査の数値があがってきたとき目を疑ってしまったけれど、数字に偽りがなかったのは今見てもらった通り。多少の傷なんて、立ちどころに完治してしまうのよ。それに──」


 とすっかり消えてしまった腕の傷口痕を擦りながら、リオーネが言い添える。


「その反応を見ている限りでは、痛覚はちゃんとあるようね」

「……つまり? 飛行船から落ちても無傷だった秘密こそが、この新陳代謝にある、と」

 リンの質問に、「さあね」とリオーネは首を傾げた。「そんな結論、私にだせるはずもない。でも──」


 リオーネは再び少女の手を取って掲げる。手首のあたりが見えるように。


「この驚異的な新陳代謝が、なんらかの魔法的庇護によるものだと仮定するならば、魔力の供給元として疑わしいのは、この宝石でしょうね」

『え、宝石?』


 全員の視線と声が、少女の左手首に集中する。注目を浴びて萎縮した少女の手首に嵌っていたのは、透き通るような青色の宝石。印象としては、空の色に近い青。


「この石は彼女の体組織と完全に融合している為、取り外したり、ということはできない。問題は、どうやってこんなものを癒着させたのか? また、いったい誰がこの石を嵌めたのか? という事なのだけれど、記憶がないということは、何にもわからないのよねえ?」


 念押しするようにリオーネが尋ねると、少女は小動物のようにこくこくと首を縦に揺らした。表情を見る限りでは、嘘をついているようには見えない。弱ったわね、と言わんばかりに、リオーネが深く溜め息を吐いた。


「君は……化け物なの?」

「あのなあ、シャン。言い方ってものがあるだろう」


 直球すぎる、と軽く眩暈を覚えながらリンがたしなめた。かと言って、目の前で起こっている不可思議な事象を説明することは誰にもできない。だからこそみな茫然と、少女の姿を見守るしかできない。


「いえ、半分冗談ですよ。ところで、この紋章はなんですか?」


 シャンが少女の手首に嵌った宝石の中心点を指さすと、「ふうん」と感心したようにリオーネが瞳を(すが)めた。


「よく、気が付いたわねえ。そう、宝石の中心付近に不可思議な紋章が浮かんでいるでしょう? ……これはいったい、なんなのかしら」


 ウインクをして、なにやらわざとらしい響きの声でそんな事を言う。さり気無く視線を送られたことに気が付いたリンが宝石を覗きこむと、背中の方からコノハとオルハも覗き込んでくる。全員の視線が再び宝石に集中した。

 それは──菱形の岩に蔦が絡まったようなデザインの紋章。

 初めて見る紋章ではない? なにか、喉元に小骨がひっかかるような微細な違和感を覚え、リンは黙り込んだ。なんだ。だが間違いない、何処かでこの紋章を見た記憶がある──。

 無言で少女の手を取ると、手首に嵌められている宝石と紋章を注視した。少女は困惑した顔で軽く身を震わせ、リンの顔をじっと見つめ返した。


「リン?」


 不審に思ったコノハが眉根を寄せるなか、記憶の糸を必死に手繰っていくリン。やがて彼女は、ひとつの答えにたどり着く。そうか、思い出した。この紋章を見たのはもう十年も前の話。場所は、『禁忌の場所』の石扉──。

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