75.最終話
!!!こちらはWEB版です!!!
二章以降(コミックス4巻以降にあたる部分です)、お話自体が大きく異なりますので書籍とは別の作品とお考え下さい。!!!書籍版は完結していません【コミックの原作はこちらではなく書籍です】
クレアは『扉』に魔力を吹き込んで6人をノストン国に送り届けた後、謁見の間の前に戻った。
謁見の間の灯りは消されていたが、そこにはヴィーク達の姿があった。
「あ、クレアが帰ってきた! おかえり!」
ドニの明るい声が、しんとした夜の王宮内に響く。
「ちゃんと話せたか」
「……ええ」
いつもと同じ、ヴィークの優しい問いかけにクレアは少しだけ詰まる。別に、何か後ろめたさがあるわけではない。ただホッとして、涙が溢れたのだった。
「ごめんなさ……い、ホッとして……」
さっきまで堪えていたはずなのに、安心する場所に帰ってこられたクレアは、緊張の糸がぷつりと切れてしまったようだ。涙がぽろぽろとこぼれて止まらない。
ヴィークは、クレアをしみじみと優しく抱きしめて言う。
「今日は、本当に怒涛の一日だったな。よくここまで耐えてくれた」
クレアは、ヴィークの腕の中で必死にこくこくと首を縦に振る。
謁見の間の灯りが消えた後も、長い時間ここで待っていてくれた彼らのために何か話さなければと思ったが、嗚咽が出るばかりで言葉にならない。
今日は、確かにクレアの望みが叶った日だった。
一番の心配だったシャーロットは修道院へ行くことになってしまったが、パフィート国とノストン国の関係は壊れず、結びつきをさらに強められる予感すら感じられた。
父とは和解までとは言えないが、物分かりのいい長女としてではなく本音で話せ、後ろ暗い気持ちを抱えていた兄からは許しの言葉をもらえた。
それを可能にしてくれたのは、この目の前にいる大切な友人達だった。
(パフィート国の幸せな風景を守りたいと思っていたけれど……やっぱり救われたのは私のほうだったわ)
「クレアが現れてから、こんなに頑張る女の子がいるなんて新鮮だったんだよね」
泣きじゃくるクレアを前に、口火を切ったのはドニだった。
「好きな人を守るためにミード家に潜入したりとか、もう……。まあ、妹君も違う意味でかなり面白かったけど! でも、その好きな人に僕達が含まれているって最近分かってきて……、結構うれしいんだよ。ね? キース」
「だな。俺は、主君が選ぶのがどんな人であれ、仕えるつもりでいた。ヴィークが生まれた時からだぞ? でも……それが、自分から膝を折りたくなる人で本当によかったと思う」
「クレア、あれは忘れろ」
ヴィークの不満げな言葉に、泣いていたはずのクレアからはくすくす笑いがこぼれる。ディオンも続ける。
「前の僕は、ミード伯爵家の長男として生まれたことを心のどこかで恨んでたんだ。でも、今日は初めてこの力があってよかったって思えた。もし、少しでも気にしているなら、それはクレアの思い違いだからね!」
リュイも言葉を紡ぐ。
「クレアが最初の人生のことを話してくれるとき、いつも本当に楽しくて幸せそうな顔をしているんだよ。その経験を今回も共有したかったと思っているのは、クレアだけではないよ。私達も同じ。今は、道標がなくなって不安かもしれないけれどね」
「まぁ、つまり」
ヴィークが、側近たちの言葉をまとめる。
「俺たちが言いたいのは、本当によく頑張ったなっていうことだ」
大好きな人たちのために幸せな未来を創り直そうとしたクレアにとって、これ以上の褒め言葉はなかった。
「みんな、本当にありがとう。気持ちが伝わっていて、うれしい」
クレアは涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せて、笑った。
―――――
それから、二ヶ月と少し後。
クレアは、いつも通り目を覚ますと紅茶を飲み、顔を洗って制服に着替える。
王立学校では、クレアは二度目の三年生を迎えていた。
「クレアお嬢様、夜のうちにシャーロットお嬢様からお手紙がきていましたわ」
ソフィーが朝食と一緒に手渡してくれる可愛らしい封筒に、クレアは笑みがこぼれる。
修道院に行ってからというもの、シャーロットからは定期的に手紙が届くようになっていた。アンによると、この手紙は修道院でシャーロットの更生を目的に課せられている課題のようなものらしい。
内容はいつも『新しいドレスを送って頂戴』『ワイン以外のお酒が飲みたい』『とにかく王子様が欲しい』など、修道院に身を寄せているとは信じがたいものばかりだったが、それでもクレアは妹からの手紙を心待ちにしていた。
シャーロットももう取り繕うことはせず、底意地の悪さをさらけ出しているのがいっそ清々しい。彼女の性質を考えるとシャーロットはもう修道院から出ることはないのだろうが、幼い頃からこんな関係だったらよかったのに、とクレアは思っていた。
妹からの手紙を引き出しにしまう際、アスベルトからの封筒が目に入る。これは、来月に行われる婚約式への招待状だった。
(『扉』のおかげで私も招待していただけたわ。とても楽しみ!)
ノストン国の王立貴族学院では、アスベルトが卒業した後、ニコラが史上初めて他国出身者として生徒会長の座に就いていた。ニコラはアスベルトからの求婚を受け入れ、今度正式な婚約が取り交わされることになっている。
(……!)
幸せな気分で席に着き、いつものラズベリーパンを頬張ろうとしたクレアに違和感が走る。明確にどこが痛いというわけではないが、この不快な感じ。クレアは、この感覚の正体を知っていた。
(ついにこの日が……)
クレアは立ち上がると、レースのカーテンを開けて空を見上げる。どんよりと曇った空にはまだ何も見えないが、数時間後には大きなどす黒い渦が現れるはずだった。
「ソフィー。急用ができたから、今日は王立学校へは行かないわ」
そう告げると、クレアはディオンを伴ってヴィークの執務室に向かう。いつもなら、急用があれば転移魔法を使うが、今日は使えなかった。少しでも多くの魔力を残しておくために。
執務室では、キース、リュイ、ドニの3人が既に仕事中だった。
「リュイ」
クレアが執務室に入ると、窓の外を見つめていたリュイが振り向く。
「おはよう、クレア。……この違和感って」
「魔力竜巻の予兆だと思う。時期もぴったりだわ。ヴィークはどこにいるの?」
「ヴィークはまだ王宮にいる時間だ。俺が行く。リュイは先に魔術師の部屋へ行って状況を確認しろ。ドニは国王陛下へ報告を頼む」
「わかった」
「オッケー」
キースの指示でリュイとドニは慌ただしく執務室を出て行く。ディオンとクレアは、二人で部屋に残された。
「クレア、大丈夫?」
いつも爽やかなディオンの表情がめずらしく翳っている。
「ええ、心配はいらないわ」
「浄化を使うときには、僕の魔力も流すからね」
魔力は、少量なら本人の意思があれば色に関係なく融通が可能だ。彼らは、クレアが一年半前の世界に逆行したのは魔力を使い果たしたことだけが要因だと思っている。
認識に若干の違いはあるが、友人たちがクレアの置かれた状況を理解し、なんとかブラックアウトを防ごうとしてくれていることは、本当にありがたかった。
「ありがとう、ディオン。いざというときはお願いするわ。でも大丈夫な気がするの」
それは、強がりではなかった。クレアは過去2回、魔力を使い果たしているが、今の自分がその時とは比べ物にならないほど少量の魔力で精霊を動かせていることを感じていた。
(多分……空気だけに的を絞れればうまくいく気がするわ)
「クレア、バルコニーへ」
執務室に到着したヴィークが言う。同時に、リュイとドニも戻ってきた。
「魔術師たちの見解も同じだった。史上最大規模の魔力竜巻の予兆だって」
「国王陛下にも報告してきたよ。ヴィークに策があるって伝えたけど、念のためプランBの検討に移るってさ」
「……舞台は整ったな」
「そのようね」
不敵に笑うヴィークに、クレアも微笑み返す。彼がクレアを国王陛下に完璧な形で紹介したいと思っていることを、クレアはよく理解していた。
ヴィークに手を引かれてバルコニーに出たクレアは、空を見上げる。あちらこちらに魔力の歪みが生じて絡み合っているのが分かるが、不思議と怖さは感じない。
「これが……本では何度も読んだけれど、見たのは初めてだな」
「せっかくならぐるぐる巻いているところを見てみたいね!」
「冗談」
背中のほうから聞こえるリュイとドニの会話に、クレアの緊張は少しだけほぐれる。背後には、ヴィーク以外の4人が控えているのが分かった。
きっと、クレアが気絶しそうになったら少しずつ魔力を融通しようとしているのだろう。
(後ろを想像すると、ちょっとだけ笑ってしまいそうだわ)
クレアはリラックスしている。きっと、上手く精霊の力を借りられる気がした。
「やってみるわ」
隣に立つヴィークに目配せをしてから、クレアは体のすみずみまで魔力を満たす。
一気に空っぽにならないように、少しずつ。いつもは手のひらから漏れ出てしまうこともあったが、今日は特に大事に扱う。研ぎ澄まされた上質な魔力を、精霊に受け取ってもらえるように。
「精霊よ、我の魔力と引き換えにこの空気を浄化せよ」
瞬間、世界は眩いほどの光に包まれた。
―――――
「やっと来たな」
謁見の間で、玉座に座ったパフィート国王が満足気に笑っている。
クレアは意味が分からず、精一杯の微笑みを湛えたままヴィークのほうをちらりと見た。
「陛下、それは」
彼は、居心地が悪そうな表情をしている。『第一王子』ではなく『国王の息子』の顔は、自信に満ち溢れたヴィークを見慣れているクレアにとって新鮮だった。
「クレア・マルティーノ嬢だな。話は聞いているぞ。妹君の不祥事の時にも臆せず動いていたな。本当は、第二王子の件の後から早く連れてこいと言っていたんだが……プライドがあるらしく……やっとか」
パフィート国王は、ヴィークに意味ありげに視線を送ると微笑む。
それは正確には間違いだった。確かに、前々から国王陛下のお呼びがかかっていたことをクレアは知らない。
しかし、正式な謁見の場を整えようとしたヴィークを『認めてもらえるような目覚ましい功績を上げるまでできる限り努力したい』と止めたのはほかでもない自分だった。
ここはヴィークのために弁解すべきかとクレアが迷っていると、パフィート国王は礼を述べる。
「改めて、貴女の素晴らしい活躍を褒め称えたい。魔力竜巻の予兆を察して浄化し、国難を救った。この国の国王として、感謝の意を伝える」
「身に余るお言葉。恐縮至極にございます」
クレアは深々とお辞儀をした。
「クレア嬢、貴女と息子はよく似たタイプのようだな」
「ヴィーク殿下と。それは……恐縮にございます」
「謙遜することはない。話は、そこのキースから筒抜けだ」
(それは……一体、どこまで……)
クレアは、背中を冷たい汗が伝うのが分かった。キースの顔を見て確認したいが、残念ながら側近たちは後方に控えていて、姿を確認することすら不可能だった。
ふと、クレアは思う。
前回、魔力竜巻を浄化した後の謁見では、ヴィークの側近たちの同席は許されなかった。
しかし、今この場には国王の側近たちのほか、キース、リュイ、ドニ、ディオンが揃っていて随分賑やかだ。
この違いはどうしたものか、とクレアが不思議に思ったとき、ヴィークが決心した様子で口を開いた。
「国王陛下。立会人になっていただけますか」
「ああ。よいぞ」
国王はまるですべてを見通していたかのように軽く答える。
その瞬間、ヴィークは隣に立つクレアのほうに向き直る。クレアを真っ直ぐに見つめる柔らかなエメラルドグリーンの瞳には、少しの鋭さも含まれていた。
(そういえば……ヴィークは付き添いのはずなのになぜか正装だわ……)
クレアがぼうっとしながらそんなことを考えていると、ヴィークは大理石の床に剣を置いて跪いた。
(……!)
これから何が行われるのかをやっと理解したクレアに、ヴィークは告げる。
「クレア・マルティーノ嬢。これでやっと、口にできます。……私の妃になっていただけますか」
「……はい。ヴィーク殿下」
クレアは、大切な友人たちに見守られて頷いた。
◇◇◇
クレアが生きているこの世界は、確かに乙女ゲームの世界のようだ。
何度めかの夢で、璃子は『クレアはほかのルートでは完璧な聖女として君臨していた』と言っていた。
それを信じるなら、奇跡を可能にしたあの夢は、クレアの祖母が見ていたのと同じ神託のようなものだったのかもしれない。
パフィート国とノストン国の、これから永きに亘る幸せな歴史は、一人の元、落ちこぼれ公爵令嬢から続いていく。
ここで【WEB版】の本編は完結です。
別展開の書籍版は1〜4巻まで発売中、現在5巻を準備中です。
(書籍版を原作にしたコミカライズは現在5巻が発売中です)
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