58.ヴィークの想い
!!!こちらはWEB版です!!!
二章以降(コミックス4巻以降にあたる部分です)、お話自体が大きく異なりますので書籍とは別の作品とお考え下さい。
「キース、あれはどういうことだと思うか」
「あれってなんだ、ヴィーク」
ヴィークの質問の意味を十分に分かっているはずのキースはとぼけた様子で聞きかえす。
「その……」
「クレアと抱き合って泣いていたことか」
「ち、違う、俺は手は回していない」
「本当ですか、殿下」
「……問題はそこではないだろう」
キースが面白がっていることが許せなくなったヴィークは、顔を赤くしながらもキースを冷たい目で睨む。
「すまん。あまり見たことがない姿だったもんで、つい」
からかいすぎたことに気が付いたキースは、申し訳なさそうに側近としての表情に戻る。
ヴィークは、兄オズワルドが処刑された日の夜のことを思い返していた。
彼が、自分の兄への感情が落ち着いた後で泣いているクレアに気が付き、抱きしめたいと思ったのは事実だった。それは、当然耐えるべきところで問題なかった。
ちょうどそのタイミングでキース達が部屋に入ってきて若干気まずい空気を醸し出したのを見て、行動に移さなくてよかったと心から思ったところまでは事実だとヴィークは認める。
しかし、気になっているのは、その前だった。
ヴィークには、立場を考えずに心を許せる人物が少ない。
多忙でプライベートな話などめったにできない国王陛下・王妃殿下。心を許していた乳母は8歳になったのを機に王宮からいなくなってしまった。キースやリュイ、ドニも大切な友人ではあるが、その前に近衛騎士であり側近だった。
クレアは、隣国の王家の傍流でもある名門公爵家の令嬢だ。自分の立ち振る舞いにプライドを持ち、周囲に及ぼす影響もしっかり考えている。
ヴィークがどんなに距離を詰めようとしても必要以上にはなびかないことすら、彼には心地よく映っていた。
その彼女が何の打算もなしに自分に共感してくれたのであれば、もし真実ならヴィークにはこの上ない大きな幸せだった。
「初めは、裸足で海岸を散歩し自分の意見を臆せずに言う、面白く利発な女性だと思っただけだったんだがな」
「クレアは素晴らしい令嬢だな。もし、正……」
キースが正妃、という言葉を口にしようとしたのをヴィークが遮る。
「この前、クレアに聞いたんだが。『1回目の俺』はクレアをウルツの街が見渡せるあの高台に連れて行ったらしい」
「……へぇ」
キースは目を見張る。クレアとヴィークが夕暮れの街を眺めた高台は、ヴィークが民の幸せを考えるために幼少の頃から大切にしている特別な場所だ。それを、彼は知っていた。
「……自分で自分に妬く日が来るとは思わなかった」
複雑そうな表情を浮かべるヴィークに、キースがニヤニヤして答える。
「ヴィークとこんな話ができる日が来るなんて……大人になって。うれしいな、殿下」
「うるさい」
冗談の後で、キースは側近の顔に戻る。
「ただ……クレアがどんなに心の優しい令嬢で、かつ『1回目の人生』で関わりがあったとしても、我を忘れるほどヴィークに思い入れるのは不思議というか……。まだ出会って1ヶ月ほどだろう」
「ああ。そうだな。確かに、違和感がある」
ヴィークは、椅子の背もたれに寄り掛かる。
「話してくれるだろうか、俺に」
―――――
「で、どうするの? 未来で起こることは殿下に話さなくていいわけ?」
ディオンの言葉に、クレアは頭を抱える。
「できるだけ早く話したいのよ? でも……どう話したらいいの……」
ディオンがクレアの正式な従者になってから一週間。夕食の後、クレアの部屋にこうして二人で集まって、話をするのが日課になっていた。
クレアがこの契約を持ちかけたとき、ディオンはドニと夜遊びに出かけることを希望していたが、今のところ実際に彼が出かけていくことはない。クレアが気を使ってドニにお願いして誘ってもらっても、ディオンはしっかり断っていた。
クレアの目には、それが自分ではなく、命を救ってくれたヴィークへの忠誠と映っていた。
「クレアって、前はレーヌ男爵家に住み込んで家庭教師をしていたんだよね」
「ええ、そうよ」
「そこに殿下は遊びにきていたの」
「ええ」
「何ていうか、それだけで特別って感じだよね。なんなら、殿下も『逆行前の関係』を薄々感づいているんじゃないの」
「だから……それは、言っていないわ」
クレアがそこまで話したところで、窓がキイッと開いた。
「誰か来ていると思ったら、お前か、ディオン」
「殿下……」
夜にクレアの部屋に男性がいることに不快さを隠さないヴィークの表情を見て、ディオンが言う。
「あっ、じゃー僕はこれで。お二人でごゆっくり」
へらへらとした笑顔を浮かべて出て行こうとするディオンの腕を、クレアががしっと掴む。
「もう少しいいでしょう、ディオン」
一見、穏やかに微笑んでいるクレアの瞳の奥には、必死さが感じられる。
クレアとヴィークが二人きりで顔を合わせるのは、あの夜以来初めてだった。
「……」
「あっ、じゃあ僕はあっちでお茶を淹れてきまーす。お酒でもいいよ、殿下?」
「どっちでもいい。とにかくゆっくり淹れろ」
「はーい」
ヴィークからの圧力に負けてディオンは退出した。やはり、彼はクレアではなくヴィークに忠誠を誓っているようだ。
クレアの真向かいに座ったヴィークは言う。
「ディオンとはうまくやっているようだな」
「……ええ。いろいろ相談もできるので、助かっているわ」
クレアは大人しく座ったものの、ヴィークのエメラルドグリーンの瞳が直視できなかった。うっかり見つめると、あの夜のことがフラッシュバックする感覚に襲われて真っ赤になってしまいそうだ。
「相談、か」
ヴィークの声色はいつも通り優しいが、釈然としない様子が見て取れる。
「ディオンの件、ずっと礼を言わねばと思っていた。俺の力不足を補填させてすまない」
「何を言うの。ディオンのことが欲しかったのは私よ。ヴィークは悪くないわ」
「そ、そうか」
クレアの表現に安堵と嫉妬が入り混じった複雑な気持ちを隠しつつ、ヴィークは続ける。
「ディオンとの契約書類に、ノストン国のアスベルト殿下からの長い手紙が入っていたと聞いたが」
「リュイから聞いたのね」
クレアは、くすっと笑う。
あの日、オスカーからの契約書にはアスベルトからの推薦状とクレアへの手紙が添えられていた。手紙にはシャーロットの近況が詳しく書かれていて、アスベルトがクレアの依頼通りに計らってくれていることが推察できた。
手紙が分厚く見えたのは、アスベルトがクレアに花の便箋と封筒を贈り物として寄こしたからだ。手紙と贈り物、そしてクレアを順番に見て、リュイが『重』と呟いたのは覚えている。
「実際にはそんなに長い手紙ではなかったし、特に重要な用はないわ。お願いしている妹の近況とか、そんなところよ」
「そうか」
ヴィークは頷く。アスベルトからは明確に特別な意図を感じるが、クレアにその気がないのは分かり切っていた。
一方、クレアの方は、やっと緊張が解けて会話に慣れてきたのを感じていた。
二人の間には、変わらず穏やかな空気が流れている。
クレアはふと、今日ヴィークはなぜここに来たのかしらと思った。
(落ち着いたら、話したいことがあると言っていたことを覚えてくれていたのかもしれないわ)
クレアの瞳を真っ直ぐにのぞき込んでくるヴィークの表情は、柔らかく温かい。最近よく目にしていた、鋭く張りつめた第一王子の顔はどこにもなかった。
ヴィークがあえてそう振る舞ってくれている、そんな気すらした。
今、話さなければ。クレアはそう思った。




