44.未来にいない人物
!!!こちらはWEB版です!!!
二章以降(コミックス4巻以降にあたる部分です)、お話自体が大きく異なりますので書籍とは別の作品とお考え下さい。
ヴィークのエスコートで馬車に乗り込んだクレアは、彼の隣に腰かけた。
その姿を一瞥したヴィークが照れ隠しのように言う。
「今日は、きちんと靴を履いているのだな」
「意地悪をおっしゃらないでください。昨日は、本当に初めて海に入りましたの。お兄様が聞いたらびっくりしますわ。……内緒にしてくださいね、殿下」
「……ああ」
クレアの悪戯っぽい表情に、ヴィークが優しく微笑んだところで馬車が動き出した。
「……側近に、マルティーノ家はノストン国の名門だと聞いたが」
「そうおっしゃる方もいらっしゃいます。でも、もう私には関係ないことだと思っています」
過度に謙遜しているわけではなく、かといって自分を卑下する口調でもない。話している内容とはかけ離れた清々しい表情のクレアの様子に、ヴィークは驚く。
「関係ない、か。随分達観したものだな」
嫌味ではなく、ヴィークは感心した口ぶりだ。
「ふふっ。恐らく、王立学校での2年間の留学を終えたとしても、家に私の戻る場所はないでしょう。留学後もパフィート国で生きていけるように、しっかりと基盤を整えたいと思っています」
「……それで、訳アリ、か。……ノストン国王家が賓客として扱うよう要請するほどの令嬢なのに、そんなことがあるのだな」
クレアは、本当のことを話すか一瞬躊躇した。が、しかし今日はヴィークからの招待を受けた高揚感もあって、詳しく話してしまいたい気分だった。
「私には、かわいい妹が1人おりますの。……その彼女がとても優秀なのです。……私は、ノストン国の第一王子・アスベルト殿下と婚約をしておりました。しかし、この度国のために、婚約者を妹とすげ替えることになり、世間体を整えるためにパフィート国へ行くことになりました」
「……そうであったか。しかし、アスベルト殿下の心遣いは婚約解消に至ったという償いを超えているようにも思えるが」
「それは本当に……申し訳ございません。昨日も申し上げましたが、お忘れくださいませ」
アスベルトからクレアへの特別な思い入れを想像しているヴィークに、クレアはどう答えるのが正解なのか分からなかった。
「いや、誤解が無いように言っておくが、我が国では貴女に王宮の部屋を準備するつもりでいるぞ。……ノストン国やマルティーノ公爵家の面目を保つためにも、それがベストだろう」
クレアは、15歳のヴィークと話しながら不思議な気分になっていた。明確な意思も、判断力も、深く踏み込みすぎない優しさも、クレアがよく知っている17歳間近のヴィークのものとほとんど変わらなかった。
(そういえば、いつかリュイが言っていた気がするわ。『あの若さで王族としての重責を担いながら生きている』、と)
「ありがとうございます、……ほとぼりが冷めましたら、出ていきますので」
クレアは申し訳なくて顔を伏せる。
「いや、それはしなくていい。……王宮に貴女がいると、少し面白そうだからな」
ヴィークが窓の外に顔を向けてそう言った瞬間、急に馬車が揺れた。
ガタガタッ。
ガコン、ガコン、ガタン。
激しい揺れが続いた後、馬車は止まる。
「ヴィーク、大丈夫!?」
あまりに激しく揺れた後停車したので、これは悪路のせいではなく盗賊か何かの襲撃では、とクレアは警戒した。
「あ……ああ」
姿勢を立て直したヴィークは、クレアの声掛けに少し動揺した様子だ。
(あれ? ……あ!)
「も、申し訳ございません、ヴィーク殿下。ご無事かと、つい焦ってしまいました」
咄嗟に呼び捨てにしてしまったことに気が付いたクレアは、不敬に青くなって謝罪をする。
「き、気にするな」
青くなったクレアと赤くなったヴィークで馬車の中がなんとも言えない微妙な空気になったところで、窓からキースが顔を出す。
「悪い。2人とも大丈夫か。まだしばらく悪路が続きそうだ」
「……問題ない」
ヴィークは、顔を手でパタパタと扇ぎながら返事をした。
―――――
3日後。
一行は、王都ウルツの城下町に到着した。
城下町の沿道では、国民が一行に手を振っている。窓を開けて歓声に応えるヴィークの隣で、クレアは居心地の悪さを感じていた。
(今の私が、こんなところにいていいはずないわ……!)
実のところ、クレアは1日目だけではなく2日目も3日目もそして今日も、ヴィークの馬車に同乗することになったのだった。
2人が同じ年齢であることにクレアの外見の美しさも相まって、一行の中ではクレアがヴィークのお気に入り、というのが周知の事実となった。ノストン国王とクレアの兄オスカーは、思いがけずパフィート国と強固な繋がりができそうなことに分かりやすく浮かれていた。
身に余る待遇を固辞するクレアだったが、パフィート国の王子のほか、祖国の国王、長兄、同行する騎士達、と周りを固められては、どうすることもできない。クレアは気まずさを感じながらも、王都まで本心では楽しい4日間を過ごしたのだった。
「ありがとうございます、殿下」
ヴィークのエスコートで馬車を下りると、王城前ではパフィート国の大臣や貴族たちが出迎えていた。
そのほとんどは、クレアが知っている顔だ。
が、その中で1人、ノストン国王やオスカーに率先して挨拶をしているパフィート国の貴族にクレアが見たことのない人物がいる。
(あれはどなたかしら。服装や勲章からすると、かなり位が高い方に見えるけれど)
クレアが疑問に思っていると、彼に向かってヴィークが言った。
「兄上! 出迎えに来てくださったのですね。ありがとうございます」
(……兄上!?)
クレアは、目を白黒させた。なぜなら、クレアが知っている限りヴィークに兄はいないはずだからだ。
「よくぞ戻られました、ヴィーク殿下」
「兄上、留守をお引き受けくださり、感謝申し上げます」
クレアは2人が会話を交わすのを観察するが、そのやりとりはどこか余所余所しい感じがした。
「クレア嬢、こちらは私の兄のオズワルド殿下だ」
ヴィークからオズワルドへ紹介を受けて、クレアは彼に挨拶をする。
「初めまして。ノストン国マルティーノ公爵家より参りました、クレアと申します」
「パフィート国の第二王子、オズワルドです。王宮で受け入れる留学生が、こんなにお綺麗な方とは」
ヴィークの髪がプラチナブロンドなのに対し、オズワルドの髪色は赤みが強く、瞳の色も薄く青みがかったグレーだ。兄弟というにはかけ離れた外見だが、クレアに向けられた上品な笑顔は、ヴィークそっくりだった。
(お兄様だけれど、第二王子……)
クレアはそこで、2人の他人行儀な関係の理由を察した。
ヴィークは、クレアに向き直って言う。
「この後は王宮の侍女に案内させましょう。……私は、ここで」
「はい。ここまでありがとうございました。とても楽しかったですわ。次にお会いするのは、王立学校ですね」
しばしの別れを惜しむ思いでヴィークの瞳を見つめるクレアに、ヴィークも周囲には聞こえない大きさの声で別れの挨拶を付け加える。
「ああ。そうだな。会えるのを楽しみにしている」
「私もです、殿下」
その言葉に、クレアは満面の笑顔で返した。




