39.露見
その頃クレアは、夜会の準備を進めていた。
ヴィークから最上級の仕上げをするように指示を受けている侍女たちは、クレアの髪の毛1本1本から爪の先まで丹念に磨き上げた。
クレアも慣れているもので戸惑うことなく、準備はスムーズだった。
今回のドレスは、妃探しの夜会のためにイザベラが仕立ててくれた濃いブルーのドレスからデコルテのレースを取り払い、さらに全体の形をマーメイドラインに作り直したものだ。
ヴィークはこの夜会のためにドレスを新調したいと言ったが、クレアはその費用は国民のために使うべきものだといって固辞した。シンプルなドレスはクレアのスタイルの良さと美しさをより一層際立たせている。
仕上げに、アップにまとめたヘアスタイルに宝石を散りばめ、夜会の準備は完了した。
「ふう」
……コンコン。
準備が終わってホッとしたところで、扉がノックされる。時計を見ると、もう出発する時間だった。
(会場には、アスベルト様やお父様だけではなくシャーロットまでいると聞いているわ。少し、怖い)
クレアが胸に手をあてて深呼吸していると、侍女に案内されたヴィークが部屋の中に入ってきた。そして、感嘆の声をあげる。
「さすがだ。お姫様みたいだな」
「ふふっ」
ヴィークの言葉が、小さい頃シャーロットからかけられた『お姫様みたい』という言葉と重なる。
(あの日々はもう戻らないけれど、今の私には寄り添ってくれる人や居場所があるわ)
「それでは、参るか」
自信たっぷりのヴィークに、クレアは笑顔で頷いた。
―――――
ヴィークの腕を軽く掴んで会場に入ると、会場が大きくざわついたのがわかった。
「あれって……」
「アスベルト殿下の元……」
「本物?……」
耳を塞いでしまいたくなるような声があちこちから聞こえてくる。
自分の腕を掴むクレアの手に力が入ったのを感じたヴィークは、掴まれていない方の手をクレアの手に重ね、クレアの瞳を覗き込んで優しく頷いた。クレアも、ヴィークの瞳を見つめ返して微笑む。
その光景が一枚の絵のようにあまりに美しく、面白おかしく醜聞として話そうとしていた会場の雰囲気は賞賛に塗り替わった。そして、多くの参列者からため息が漏れた。
「……ふっ。恐らく、この夜会ではアスベルト殿下と過ごすことになるが、そんなに震えていて大丈夫か」
「……望むところよ」
クレアは、最上級の微笑みを浮かべて精一杯強がった。
クレアとヴィークが注目を浴びている中、2人が会場に到着したことにまだ気が付いていないシャーロットは、会場の端でサロモンから立ち居振る舞いについてレクチャーを受けていた。
「いいですか、シャーロット嬢。賓客は大国・パフィートの第一王子とその婚約者です。身分が下の貴方から話しかけてはいけません。また、今日の主役は貴方ではありません。今日の貴方に許されている振る舞いは、アスベルト殿下の隣で微笑むことだけです。……聞いていますか、シャーロット嬢!」
「はぁーい。アスベルト様、早く王子様のところへ行きましょう。私、たくさんお話したいことがあるんです」
おめでたいことに、婚約者がクレアだとまだ知らされていないシャーロットはサロモンの話を聞かずに浮かれている。
(婚約者がいたって大丈夫よ。私には白の魔力があるわ)
アスベルトはシャーロットを一瞥した。
「お2人が到着したようだ。……行くぞ」
「はぁーい!」
シャーロットが近づいてくるのを察知したリュイは、キースとドニに目配せをする。
「この感じ……マジ? 僕にも分かるくらい、おまじないの力が全開なんだけど」
「彼女、あまり訓練はしていないようだね」
リュイが厳しい表情で言う。シャーロットの目的は分からないが、一行は負の感情にコントロールされることはないと分かり切っていた。怖いのは、彼女がクレアに逆上して何らかの攻撃を仕掛けてくるパターンだった。
クレアも、アスベルトとシャーロットが近づいてくるのに気が付いた。ヴィークはクレアの手を優しく包む。
「クレアお姉さまが……なぜここに……」
クレアとヴィークに対峙した瞬間、サロモンに口を酸っぱくして言われた注意をシャーロットはいきなり破った。
大きく見開かれた目には、信じられない、という感情が見て取れる。
クレアはその問いには答えず、微笑みをたたえたままアスベルトがシャーロットを紹介するのを待った。
「ヴィーク殿下、クレア嬢。ようこそお越しくださいました。こちらは……私の婚約者のシャーロット・マルティーノ嬢です」
「パフィート国の第一王子、ヴィーク・ウィリアム・パフィスタントだ。シャーロット嬢。……話は聞いている。こちらは、私の婚約者、クレア・マルティーノ嬢だ」
紹介を受けたクレアは、アスベルトの手を取り美しいカーテシーを披露した。
因縁の組み合わせを遠巻きに見ていた貴族たちからは、感嘆の声が漏れる。
「彼女とは半年ほど前にイーアスの関所で出会い、そのまま王都へ連れて帰った。素晴らしい出会いを下さったノストン国に、とても感謝している」
ヴィークがにこやかに説明するが、言葉選びがどこか刺々しい。
「せっかくいなくなったと思ったのに……どうしてまた現れたのよ……しかも、パフィート国の王子様の婚約者だなんて……!」
シャーロットの口からは、決して見せてはならない種類の心の声がだだ漏れていた。
「シャーロット、口を慎め」
アスベルトが厳しい声でシャーロットを制する。
「……えっ、聞こえてた? お、お姉さま。パフィート国の王子様と婚約するなんてずるい……じゃなくて、とても運がよくて、喜ばしいことですわ」
我に返ったシャーロットは慌てて無邪気な笑顔を浮かべ、取り繕う。そして気を取り直し、一歩前に出て今度はヴィークに向かって言った。
「ヴィーク様にお会いできるのをずっと楽しみにしていたんです! 夜会の後、お部屋にワインとお菓子をたっぷり用意しますので、パフィート国のお話をたくさん聞かせてくださいませ!」
あまりに淑女らしくない提案に、後ろに控えていたドニは思わず噴き出す。リュイは表情を変えずにドニの脛を蹴った。
反応のないヴィークに、シャーロットはさらに畳みかける。
「ヴィーク様の婚約者、私のお姉さまなんです。大好きなお姉さまだったのに、突然いなくなってしまって……お姉さま、私、さみしかったですわ」
そして、シャーロットはぐすんぐすんと泣き出してしまった。
(こんな振る舞いをするだなんて……未来の王妃であるシャーロットに教育係はついていないのかしら)
あまりに心配になったクレアは、ハンカチを取り出してシャーロットに渡しながら小声で言う。
「久しぶりね、シャーロット。少し落ち着いて。今日のような夜会では自分から必要以上に話してはいけないわ」
「お姉さまはまたそうやって……。せっかく会えたのに、また私のことを虐めて楽しいですか? ……っつ」
アスベルトやシャーロットの恥にならないよう小さな声で話しかけたクレアとは対照的に、シャーロットの声は大きかった。
クレアが王立貴族学院を出た日、寄宿舎の扉の向こうでキャロライン嬢を盾にしくしくと泣くシャーロットの声がフラッシュバックする。クレアがやっと、自分の中に秘めていた怒りの感情に気がつこうとしたその時、頭上から声がした。
「不敬だぞ」
そう言ったのは、ヴィークではなくアスベルトだった。それは、シャーロットを溺愛する姿しか覚えていないクレアには俄かに信じがたい響きだった。
「シャーロット、もう下がっていろ。これ以上、ノストン国の尊厳を傷つけることは許さない」
「アスベルト……さま?」
一生懸命ヴィークに媚を売っていたシャーロットは、狼狽する。
「聞こえないのか。早く退出しろ」
アスベルトが、しびれを切らしたようにさらに冷たい声で命令した。
「どうしてですか? 私、お姉さまに虐げられてきたのに……。どうして味方するんですか……そんなのって……ない」
シャーロットは目に涙を溜めて走り去った。
(これがシャーロットの本来の姿だったのか。どうして俺は気が付かなかったんだ)
わざとらしく泣きわめき、同情を買いながら退場するシャーロットの後ろ姿を一瞥したアスベルトの頭の中には、『クレア嬢は行き場をなくしたということまでを理解しておいでですか』というサロモンの声が響いていた。
(俺は、何てことを……)
「申し訳ない」
アスベルトは、クレアとヴィークに向かって頭を下げた。
一国の王子が人前で頭を下げることなど、あってはならないことだ。クレアは慌ててアスベルトに声をかける。
「殿下。多くの貴族たちが見ています。お願いですから顔を上げてください」
「いや、彼女の立ち振る舞いだけではない。……これまでのこと全てだ。私は王子としての面目を失っても仕方ないと思っている」
確かにクレアは、シャーロットにいろいろなものを奪われたのかもしれない。しかし、とっくに前を向いているクレアには、今さら謝罪など意味のあるものには思えなかった。全ては過ぎ去ったこととして昇華されていたからだ。
ヴィークは、頭を下げたままのアスベルトを見つめ、少しの間を置いてから言う。
「貴殿も彼女の側で長く過ごしてきたのであろう。クレアが、そのようなことを喜ぶとお思いか」
「しかし、私は……」
ヴィークは続ける。
「私から見ても、クレアは王妃として素晴らしい資質を備えた女性だ。ただ美しく聡明なだけではなく、自然に国と国民のことを考え、実行するだけの豊かさがある。彼女を育んだのは、ノストン国の素晴らしい環境だろう。その祖国が衰退することや名誉が損なわれることを彼女は喜ばない」
「アスベルト殿下。だから、顔を上げてください。」
クレアもヴィークに同意し、アスベルトが姿勢を戻そうとしたその時だった。
「クレア」
突然聞こえた父ベンジャミンの声に、クレアはびくっと震えた。
そこには、ノストン国王とベンジャミンが並んで立っていた。
2人の後ろには、ハンカチで顔を覆うシャーロットの姿がある。きっとアスベルトに叱られて退出した後すぐに泣きついたのだろう。
ヴィークはベンジャミンの目線を遮るように、クレアの前に立つ。
ノストン国王とクレアは親しく会話を交わしたことはない。しかしクレアから見ると、王としての威厳を保ちつつ各所とのバランスを取るのが得意な柔和な人物という印象があった。しかし、今目の前にいるノストン国王には穏やかさの欠片も感じられない。
(何だかおかしいわ)
クレアは困惑し、ヴィークの肘を掴む手に力を込める。
ノストン国王は2人の様子を無遠慮に見回してから、言った。
「ノストン国として、2人の結婚を承諾はできない」




