22.既知
(……お日様の匂いがするわ……なんて気持ちがいいの……)
クレアは、ふかふかのベッドに包まれていた。
サラっとした上質なリネン。
寝返りを打ったときに感じた香炉から漂うアロマは、甘さを残しつつも朝にぴったりの爽やかな香りだ。
(あれ、ここは、レーヌ家のいつものベッドではない……?)
ここが自分の部屋ではないことに気が付いたクレアは、パッと起き上がる。
(頭が……痛い)
初めて経験する二日酔いの頭痛に、クレアは顔を顰めた。
周囲を見回す。
だだっ広い部屋の中央に置かれた天蓋付きのベッドに、クレアはいた。
何回でも寝返りできそうなほどに大きなベッドに、たくさんのクッションと枕。
ベッドサイドのテーブルには、ガラス細工の香炉が置かれている。
「クレア、起きた?」
カーテンで仕切られた次の間に、人の気配がする。
この声はリュイだ、そう気が付いた瞬間クレアはここがどこなのかを理解し、絶望的な気持ちになった。
「リュイ? 私……」
クレアは状況が全く掴めていなかった。……ここが、王宮だということを除いては。
カーテンからリュイが顔を覗かせる。
「おはよう、クレア。こっちのテーブルに、頭がすっきりするハーブティーを準備してあるよ。一緒に飲もう」
クレアは頷いて、ベッドを出る。申し訳なさで縮こまりながら、リュイに向かいあって腰を下ろした。
「昨日はごめんなさい。……リュイ、その、私」
クレアは、情けないことに昨夜のことはほとんど覚えていなかった。
リュイにお酒を勧めたところまでは記憶にあるが、その後どんな失態を演じたのか、聞くのも怖かった。
「昨日、クレアは食事の途中で眠ってしまったんだよ。レーヌ家まで送るよりは王宮の方が近いから、ヴィークの手配でここに運んだんだ」
「えっ……!!」
(何てこと……しかも、レーヌ家にご連絡していないわ……!)
クレアは状況を理解して頬を押さえる。
「ああ、レーヌ家には使いを出してあるから安心して」
リュイは、クレアの心を見透かしたように答えて、クレアにハーブティーが入ったカップを差し出す。
「ありがとうございます。そして、申し訳ありません。本当に恥ずかしいわ……」
クレアは、真正面に座ったリュイに頭を深く下げて言った。
頭を上げるとリュイと目が合う。リュイは首を振って、優しく微笑んだ
漆黒の髪が、朝の光に照らされて一層美しい。
クレアはリュイからカップを受け取り、二日酔いのぼうっとした頭を覚ますように香りをかいだ。
「クレアは、ノストン国の名門公爵家、マルティーノ家の出身なんだね」
クレアがカップを受け取ったのを確認してから、リュイは何でもないような口ぶりで言った。
(……!)
「私、そんなこと言っていた?」
クレアは焦る。
「うん。でも、皆すんなり納得してた。確かにそうだよなって」
リュイは笑い、そしてクレアの目をまっすぐに見つめて続ける。
「出会ったときはそう告げるしかなかったこと、十分に分かっているから安心して。クレアが私たちを欺いていたなんて誰も思ってない。それよりも、クレアの苦労を思うと……私達も悔しい」
リュイの言葉に、クレアの目にはみるみるうちに涙が溜まる。
どうして、皆こんなに優しいのだろう。
リュイは、クレアにハンカチを差し出して言った。
「以前、ヴィークは私の2歳年下だけれど、幼馴染として兄弟のように育ったと話したよね」
「ええ、もちろん覚えているわ」
「主従関係ではあるけど、私は殿下を弟のように思っているんだ」
「……そうでしょうね、ふふっ」
クールな姉と落ち着きのない弟のような2人のやり取りを思い出して、クレアはクスっと笑う。
「彼は、あの若さで王族としての重責を担いながら生きている。私達が出来るだけ重荷を減らしてあげたいと思っているけれど、主従だからいつもそういうわけにはいかない」
リュイはクレアの瞳を見つめて、さらに続けた。
「ヴィークには、貴方のような人が必要になる時が絶対に来る。クレアなりの方法でいい。時が来たら、彼を助けてあげてほしい」
「ええ、もちろん。……もし、私にできることがあれば」
リュイの考えは、友人としてだけではなく半分は側近としてのものだろう。
元・公爵令嬢としてそれが分かっていながら、何のためらいもなく頷こうとしてしまったことに、クレアは自分で驚いた。
(……あれ……? 私……)
クレアは手にしたハンカチをぎゅっと握りしめていた。
―――――
その、2時間前。
「おはようございます、こんな朝っぱらから呼び出して何の御用ですか、殿下」
朝6時。リュイはヴィークの執務室に呼び出されていた。
「今日は予定を変更してキースとドニと出かける。リュイ、お前は残れ」
「御意」
指示を予想していたかのように、リュイはあっさり承諾した。
「それより」
手にした予定表を机に置き、ヴィークは続ける。
「リュイ、知っていたな。クレアの出自を」
「何のこと?」
リュイは窓の方向に目をやって、はぐらかす。
「魔力に関して特に詳しいお前が、ノストン国のマルティーノ家のことを知らないはずがないだろう。クレアと出会った状況や、強力な魔力の洗礼を受けたことを踏まえると、とっくに把握していたと考えるのが自然だろう」
隠し事を責める厳しい口調というよりは、仲間外れを拗ねるような子供っぽい言い方だ。
リュイは事もなげに答える。
「側近ではなく1人の友人として、知らせないことがヴィークのためになると判断した。ただそれだけだよ」
「俺のために……って」
「キースはいろいろ気にしているみたいだけど、クレアの本来の身分を知ればいくらだってやりようがある。でも、先のことを考えたら、ヴィークが1人の人間としてのクレアをもっと知る時間が欲しいと思った。……その証拠に、どう? クレアは」
リュイは、ヴィークをからかうような顔で言う。
「……」
数秒の沈黙の後、ヴィークは観念した様子で呟いた。
「かなわないな、リュイには」
「随分長い仲だからね」
満足げに笑うリュイに、ヴィークは告げる。
「今日はクレアのこと、よろしく頼むぞ」
「御意」
リュイの返答を聞いて安心したヴィークは、執務室を後にした。




