15.密会
2日後の夜9時過ぎ。
レーヌ家での生活にも慣れ始めたクレアは、使用人達と一緒に夕食を済ませた後、はちみつ入りのミルクティーを片手に部屋でゆっくりくつろいでいた。
(今日はとてもいいお天気だったから、汚れていたブーツを綺麗にして干せたわ!)
これまで身の回りのことを何もかも侍女に任せていたクレアは、自分の家事スキルアップに1人でほくほくしている。
コンッ。
(何か音が聞こえた気がする)
クレアは顔を上げて周囲を確認するが、何も変わった様子はない。首を傾げた後、手にしていた本に目を戻した。
コンコンッ。
今度は素早く顔を上げた。
(何かしら!? テラスの窓の方から音がする……。どうしよう……人を呼んでもいいのかしら……)
クレアが恐る恐るテラスへ近づき、カーテンを引っ張ってみると……
「久しぶり」
そこにいたのは、ヴィークだった。
「……!?!? どうしてこんなところから…」
「玄関から来ても良かったか?」
ヴィークは悪戯っぽく微笑んだ。
「今日はキース達は一緒ではないの?」
「外壁のところで見張りをしてる」
どうやってここまで来たのかクレアは知りたかったが、ヴィークの言葉から正規のルートを通ってきたのではないことは明白だった。
「とにかく、中へどうぞ」
「入ってもいいのか?」
ヴィークは何だかそわそわしている。どうやら、夜に女性の部屋を訪ねたことを気にしているようだが、今はそれどころではない。
「そんなことよりも、第一王子が壁を乗り越えて部屋に来たことがバレる方が問題だわ」
クレアはそうぴしゃりと言ってヴィークを部屋に引き入れた。
「レーヌ家の家庭教師とは、ずいぶんいい職を見つけたな」
「ええ。とても素晴らしい方にお世話になることが決まって、安心したわ」
クレアはヴィークにお茶を淹れた。
「旦那様は社交界ではあまり評判が良くないとおっしゃっているけれど、心が豊かで、尊敬できる方々だわ」
「レーヌ卿とは何度か話したことがあるが、いい意味で庶民的な感覚をお持ちの方だ。求心力もあり、高く評価する声は多い」
「ええ、そうね」
クレアは相槌を打つ。
「それで、どうしてこんな時間に?」
「外にブーツが干しっぱなしだったんでな」
「……」
クレアは赤面しながらブーツを片付ける。
今回のヴィークの訪問には謎がたくさんあるが、広い屋敷の中でこの部屋をどうやってピンポイントで見つけられたのかという疑問は解決した。
トントントン。
ヴィークが膝を指で叩いている。ともに過ごした数日間の旅でクレアが分かったことは、ヴィークがこの仕草をしているとき、何らかの決断を迷っているということだった。
「皆は元気にしているのかしら?」
クレアは、さりげなく話しかける。
「ああ。キースは相変わらず真面目だし、リュイもかっこいいぞ。ドニは毎晩女性を集めてパーティーを開いている」
「ふふっ」
3人の光景が思い浮かぶようで、クレアはつい笑ってしまう。
「クレアはどうだ」
ヴィークがカップの紅茶を揺らしながらクレアに問う。
エメラルドグリーンの美しい瞳が灯に照らされて、幻想的だとクレアは思った。
「見てのとおり、快適な暮らしよ。こちらのイザベラお嬢様はまだ数日戻らないようだから、のんびりさせてもらっているの」
「そうか。……リンデル島で洗礼を受けた後、変わったことはないか?」
「特に変わったことはないわね……。元々、国や教会に関わる仕事をしていなければ、魔法を使うことなんてほとんどないもの」
クレアはヴィークの質問の意図が掴めず、もどかしい会話が続く。
数分の世間話の後、意を決したようにヴィークが言った。
「クレアは、また学校へ通いたいとは思わないか?」
思いもよらなかった問いに、クレアは驚く。
「……学校へ?」
「ああ。ノストン国に王立貴族学院があるのと同様、この国にも王立学校がある。クレアのように国、いや世界を動かしうる魔力の持ち主は、その使い方を知っておく必要があると思う。……制御する方法もな」
瞬間、クレアはヴィークが友人としてではなくパフィート国の第一王子として来たのだということを悟った。
「わかりました、学校へ通います」
「へ?」
クレアの即答過ぎる返答に、ヴィークは間の抜けた返事をする。
「そうおっしゃるのでしたら、学校へ通います。必要なことですし、私もその方が安心です」
ヴィークの意見は国を統治する側として至極当然だ。パフィート国で生活する身として、クレアは背筋を伸ばしてきちんと返事をし直した。
「え……いいのか? いや、無理にとは言わないぞ? 学校には嫌な思い出があるかと思って、俺は……」
希望に沿う答えを受け取ったはずなのに、ヴィークは何だかしどろもどろだ。
「拒絶するはずがないでしょう? もちろん、レーヌ家の当主の許可を得てからですが。それなら……もう、こんな無茶な訪問の仕方をせず使いをくださればいいのに」
クレアはクスクス笑う。
「あ、顔を見たかったのもあるが……、じゃない、いや、クレアはイーアスの街で話していたではないか。ノストン国の貴族学院で悲しい思いをしたと。魔術を教える場としては、この国では王立学校しかない。まだ時間も経っていないのに嫌な記憶を思い起こさせるような場所へ通わせるのはどうかと思っているんだ」
いつも自信たっぷりのヴィークが、頭をかきながら一生懸命説明する。
その仕草に、クレアは何だかくすぐったさを感じていた。
「誤解が無いように言うが、クレアの魔力のことについては俺達しか知らない。キース達にも当然口止めしてある。パフィート国の駒として考えることはしないと約束する。……ただ、通うならタイミングとして今がベストのような気がしてな」
「タイミング?」
クレアは聞き返す。
「ああ。俺は来週から始まる新年度で、王立学校での最終年を迎える。学院内に友人がいるうちの方がクレアが通いやすいのではと思ってな。もしクレアが通ってくれるというなら、1年間の特別プログラムを組ませるつもりだ」
「待ってください」
「何だ?」
「ヴィークって、私と同じ年だったの!」
こうして、クレアは1年間限定でパフィート国の王立学校へ通うことになった。




