91 剣聖の戦い
剣聖っ!? カリメーロっ!? 先に行けってどういうことっ!?
白竜の背で振り返る私の瞳に聖剣を構えた“勇者”の背が映ると、カリメーロはその磨かれた鏡のような剣を器用に使い、私に向けてウインクをしてみせた。
「…………」
『魔王よっ、あの男の心意気を無駄にするなっ、行くぞっ!』
「う、うん」
私は横を並ぶ金竜に叱咤されて前を向く。
彼は人族の勇者ではなく、世界を守る勇者として時間を稼ごうとしてくれている。
いかに勇者でも……ううん、人間である限りは悪魔公であるフィオレファータに勝つことはできないだろう。
それほどまでに悪魔の最高位である悪魔公と人間とでは隔絶した差が存在する。
彼の思いは無駄にしない。でも…………
「…………」
私は何故か、カリメーロではなく彼と戦うフィオレファータに同情している奇妙な感覚を得て、静かに目を閉じて眉間に指を当てた。
***
「さあ、掛かってきたまえ邪妖帝とやらっ! このカリメーロ、全世界12,755人の恋人たちのため、そして愛のために戦おうっ!」
白兎の魔王が竜と共に飛び去った大地で、【剣聖】の勇者カリメーロは、金の前髪を指で払いながら、聖都アユヌから託された人類最強の聖剣を指先でクルリと回し、その切っ先を悠然と近づいてくる邪妖帝フィオレファータへ向けながら、ポーズを決めた。
『……‡∴*ヾ…?』
フィオレファータが移動を止め、自分の指先を見つめて静かに首を傾げる。
悪魔公であるフィオレファータにとって、召喚されてその地へ赴くかは気分次第。その世界を滅ぼすのは、ずっと閉ざしていた部屋の空気を替えるようなもので、何か特別な感情は存在しない。
あえて滅ぼす理由を探すのなら、それは悪魔を呼び出す“人の悪意”だろうか。
まともな神経を持つ者は悪魔を呼び出そうとはしない。その破滅願望とも言うべき人の悪意そのものが悪魔を呼び込む“餌”となるのだ。
その点で言えば、フィオレファータを呼び込んだ悪意はそこそこ面白いモノだった。その悪意を捧げた対価としてこの世界を滅ぼそうと考えたが、その世界にもっと興味をそそるモノが居た。
高位である悪魔公を畏れても恐怖しない、白い悪魔。
大悪魔程度の力しかないそれが悪魔公である自分を真正面から挑発し、逃げ回りながらも徐々に力を上げていく様子は、ここ数千年なかった良い娯楽となり、世界を滅ぼすことさえ後回しにしてしまった。
それでもあくまで“白い悪魔”を追うのは、逃げる子ウサギを追い詰める遊びのようなもので、本気にはならない。
本気にはならないが、それでもフィオレファータの繰り出した攻撃は、範囲こそ調整しているが、まともに当たれば、大悪魔程度なら致命傷に近いダメージを与えるものだった。
それが防がれた。
しかも、ただの人間風情に。
『……‡∴*◇∫…?』
突然現れて武器を向ける人間――カリメーロに、フィオレファータが再び指先から光線を撃ち放つ。
現代のレーザー兵器にも匹敵する熱量による攻撃は、人間の身体程度なら一瞬で蒸発させてしまうだろう。だが――
「ハアアッ!!」
カリメーロの掛け声と共に爆発するように魔力が放たれ、聖剣が振り下ろされると、光線の角度が変わり、左側の森が広範囲で薙ぎ払われた。
『……‡∴*ヾ…?』
フィオレファータが再びゆっくりと首を傾げる。
こんなことはあり得ない。だが、そんな馬鹿げたことが現実に起きていた。
カリメーロは特に何かチートをしているわけではない。
高速で放たれる光に類似する攻撃を、フィオレファータの顔の向き、指先の方角、わずかな魔力の流れで先読みして、その瞬間に体内に集中させて圧縮していた魔力を解放すると同時に、放たれる光線の範囲を限定して魔法防御を展開し、決して受け止めるわけではなく、聖剣の材質による反射を有効活用して、確実に98%以上のエネルギーを角度を変えて逸らす。
これらの行動を0.05秒以内に行い、その後の輻射熱などの問題も光線を受け流す際に使用した魔法防御の魔力を、わざと暴発させることで熱そのものを拡散している。
タイミングが0.01秒遅れても、剣の角度を間違えても、魔力防御を暴発させるタイミングを外しても、どれも確実にカリメーロは命を落としていただろう。
そして何より、それを実行する能力。戦闘力にして四十倍以上の敵に対して怯えることのない異様な“胆力”がカリメーロが生き残っている理由であった。
その結果を誰もが『変態だから』で済まして思考放棄しがちだが、これは純粋なカリメーロの天才性ゆえに為しえた偉業と言えるだろう。
イグドラシアが生みだした真の天才にして、歴史上最強の勇者。
それがカリメーロの正体である。
ただし、常人はいう。天才と※※※は紙一重であると。
「ハッハッハッ! それで終わりかな、邪妖帝っ! その程度ではこの愛戦士、カリメーロを倒すことなどできないよっ!」
前髪を指で掻き上げながらカリメーロが爽やかな笑顔を向けると、フィオレファータの動きが一瞬停止する。
フィオレファータの内面は誰にも分からない。そもそも三次元の生物ですらない存在を三次元の生物が理解するのは無理がある。それでも全身から発するオーラがドス黒く染まり、真っ黒の玉子のような頭部にこれまでにないほどの亀裂のような“笑み”が浮かんでいた。
「ぬおおおっ!??」
フィオレファータが片手の指全てから放った光線が、カリメーロのいた場所を大地ごと吹き飛ばした。
噴き上がるキノコ雲の高さは300メートルにも達し、その巻き上げられた土煙が太陽の光さえ遮ると、その雲の中から一条の光が差し込み、それは刃となってフィオレファータの表面で弾けて消えた。
「このカリメーロが、この程度で死ぬと思ったかい?」
土の煙の雲を切り裂き舞い降りる光の勇者カリメーロ。服も鎧も土と泥で薄汚れていたが、その顔と前髪には埃一つ付いていない。
フィオレファータの指から放たれた六本の光線を、カリメーロが剣で躱せたのはわずか二本しかない。だが、実際には、軌道を逸らされた光線がぶつかるように他の光線の軌道を逸らして、大地に撃ち込まれた光線の爆発力さえ利用して、カリメーロは上空に退避していたのだ。
そんなことがどうして可能なのか、カリメーロ本人さえも説明できないだろう。
綿密な計算を一瞬で行う演算力。それを迷いなく瞬時に行う行動力。それでもカリメーロは言うだろう。この戦いは――
「全国12,756人の恋人たちのためにっ!」
その瞬間、フィオレファータを取り巻く障気がさらにドス黒く染まった。
天より大量の流星が降りそそぎ、東方大陸海岸線の地形さえ変えた。
その天変地異の如き破壊の中でも、カリメーロの軽快な笑い声が絶えることなく聞こえていた。
一見、邪神とも言えるフィオレファータに対してカリメーロは互角に戦えているように思えたが、それは正しくない。
一撃一撃が掠っただけでも致命傷となる攻撃を紙一重で躱し、カリメーロの攻撃は、フィオレファータにわずかなダメージも与えておらず、見た目こそ五体満足を維持しているカリメーロであったが、その攻撃を躱すために使用する魔力は無限ではなく、用意した魔石や魔道具も確実に減らされ、フィオレファータの攻撃は確実にダメージを与えカリメーロの命を削っていた。
なぜ、カリメーロはそんな無謀な戦いをしているのか? それは――
「さあ、もっとだっ! もっと攻撃をしたまえ、邪妖帝っ!!」
その目的は時間を稼ぐこと。そして、フィオレファータの魔力を削ること。
カリメーロは“本能的”に魔王である白兎を敵と見ていなかった。これまであの白い少女を追いかけていたのは、自分の恋人にすればそれで世界が平和になると“本能的”に感じていたからだ。
何度も攻撃を受け、ボロボロになったカリメーロに、フィオレファータが巨大な魔力衝撃を撃ち放つ。
迫り来る巨大な魔力を前に、カリメーロは埃一つ付いていない前髪を血塗れの指先で払い、穏やかに笑みを浮かべる。
「……麗しき魔王少女よ。後は頼んだよ」
フィオレファータの魔力と戦闘力を減らすことができれば、後はあの白い少女がきっと倒してくれる。
勇者としての本能でそう確信して笑みを浮かべるカリメーロを、巨大な魔力が押し潰し、巨大なクレーターを作り上げた。
『……‡∴*?』
それを見てフィオレファータはわずかに首を傾げ……再び魔王を追って動き出した。
そして動くものが何も居なくなった大地に、空に吹き飛ばされていた聖剣が落ちて突き刺さり、まるで墓標のようにキラリと輝いていた。
………やったか?
次回、シェディの力が進化する。




