87 人間
『――浄化を開始せよ――』
ランシーズ帝国・トールドーラ・セシール王国の連合軍による飛空艇の船団は、フィオレファータや魔王である私ごと邪妖精に汚染されたこの地域を浄化すると宣言して、フィオレファータや私が居る位置を中心に砲撃を開始した。
「く…っ」
あの女勇者が部下を送り込んできたように私の位置も分かっているらしく、数百発の砲弾を受けた城が瞬く間に崩壊する。
街中にも降りそそぐ砲弾は、確かにそこに湧いていた邪妖精も潰していたけど、その数十倍もの逃げ遅れた市民が犠牲になり、私の耳に悲鳴と怨嗟が届いた。
「…………」
彼らは何を考えているのだろう?
彼らなりに世界を守りたいと考えているのか? でも、それのどこに、逃げる同族さえ皆殺しにする必要がある?
「……いったい…何なの?」
不意に目眩のような感覚を得て、右の手の平で顔を押さえる。
私は殺された仲間の復讐と、私を救ってくれた世界樹のために世界を救う。その邪魔となるのなら何百万もの命さえ奪う。
でも、いつから他者の命が消えることを不快に感じるようになったのだろう……
“人”と触れあいすぎたせいで、大事なものが何もないはずの私の“心”に“エラー”が生じているのだろうか。
私はこの世界を守ると、世界樹と約束したのに……っ。
自分で自分が分からない。……でも……
「……不快だ……」
顔に当てた指の隙間から飛空戦艦を見つめていた私の目がスッと細くなり、白目までも真紅に変わると、全身から色が失われて純白に染まる。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!
一隻の飛空戦艦が私に向かって飛んでくると、私に向けて一斉に砲撃を始めた。
足場が崩壊する。かろうじて形を保っていた建物が崩れ、瓦礫が私を埋め尽くすように降りそそいだ。
その瞬間、全身を霧化した私が瓦礫の隙間から飛び出し、高く空に昇ると人型になり勢いよく手を打ち鳴らした。
「――【福音】――」
悪魔の祝福を受けた飛空戦艦の魔力結界がそげ落ち、乗員の大半が死滅した飛空戦艦は徐々に高度を下げて、地面に激突して砕け散った。
一隻が墜とされたのを見て数隻の飛空戦艦が私に向かってくると、対空砲の代わりか搭乗している魔術師から炎や氷の矢が飛んでくる。
私は空中でそれを宙返りするような機動で躱し、近づいてきた一隻に冷気の霧を撃ち放つと、外部機関が凍りついたその飛空戦艦も徐々に高度を下げて墜落した。
これ以上力業で墜とすのは、魔力の消費が厳しい。
だったら直接乗り込んで内部機関を破壊しようと考え、私は散弾のように撃たれる魔術攻撃を被弾覚悟で突き抜けると、甲板に降り立ち、そこにいた数十名の魔術師を冷気の霧で凍らせる。
「機関部は分からない……でも、艦橋はあそこか」
船内から槍を構えた兵士達が甲板に湧き出してくる。まさか乗り込んでくると思わなかったのか、おっかなびっくり槍を突き出してくる兵士の頭を飛び越え、私は艦橋だと思う場所の窓を蹴り破るようにして飛び込んだ。
「ま、魔王っ!?」
そこには博物館で見るような木製の舵を操作する船員と数名の航海士。そして船長と思しき豪華な服を着た中年の男が、飛び込んできた私に目を剥いて激高するように声を荒げる。
「この…白兎の亜人風情がっ! 人族様の覇業を邪魔するなど何様のつもりだっ!」
その言いように私は疑問を感じて口に出す。
「……どういうこと? アレと私を倒す為に同族の街を撃ったのではないの?」
「はんっ、知れた事よっ! 貴様や邪妖帝によって穢された大地を、貴様らごと我らが浄化することで、我ら西方大陸連合が中央大陸を越えた覇権を握るのだっ!!」
その男は泡を吹くように怒鳴り散らし、腰から豪華な装飾がついた剣を抜き放つ。
「貴様がいかに魔術が得意でも、我が船に飛び込んだのは間違いだったなっ。ここは剣の間合いだっ、我が名声の礎となって滅びるがいいっ!!!」
「…あ、そう」
斜めに振り下ろされた男の剣をしゃがむように躱し、そのまま男の足を蹴るように薙ぎ払うと、また勝手に出てきた黒鞘の直刀で、倒れた男の肩を貫くように床に縫い止めた。
「ぎゃああああああああああああああっ!」
「煩い。世界を救いたいのなら、今すぐ邪妖帝を攻撃するように命令しろ。私もアレを倒さないといけないから」
「ふ、ふざけるなっ、家畜の言うことなど信じられるかっ!」
「…………」
私の姿が亜人の時点で説得は無理か……。
ならばこの男を殺して副長辺りを脅迫するかと直刀を握る手に力を込めると、肩を貫かれた男は脂汗まみれの顔でニヤリと嗤って見せた。
「貴様の思い通りになどなるものか、すでに貴様が乗り込んできたことは船団の総司令であるランシーズ帝国の将軍閣下に伝えてある。すぐに他の船から魔力結界が放たれ、私を救うために屈強な兵士達が乗り込んでくるぞっ! ハッハッハッ、魔王、貴様ももう終わりだっ!!」
ドドンッ……と衝撃で船が揺れ、男の言葉が終わると同時に私の身体が少しだけ重くなる。
他の船から張られただろうその結界は、市街地に張られるようなものではなく、城に張られるような強固な結界だと感じられた。
でも、次に訪れたのは男を救う屈強な兵士達ではなく、さらに強い衝撃で船が揺れ、座席から半分ずり落ちた通信士らしき乗員から悲鳴のような報告が響いた。
「か、艦長っ! こちらを包囲した他船から一斉に砲撃がっ!!」
「なんだとっ!?」
初めからそのつもりだったのか、急遽予定を変更したのか、狼狽しはじめた男が悲鳴をあげる。
「将軍閣下っ! 私は…ホーライ男爵はまだ生きておりますっ! どうか攻撃はやめて下さいっ!」
「…………」
誰一人脱出する間もなく、数隻の飛空戦艦から砲撃を受けた船は沈み、地面に激突する寸前、私だけが霧化して爆散する船から抜け出せた。
「……ここまでするのか」
破壊され、燃えさかる街の中で、私は逃げ遅れて亡くなった市民の中に、ここに来た私に憎しみをぶつけたお爺さんを見つけた。
避難できなかったのね……。でもそのお爺さんは、何故か奴隷らしき犬獣人の少年を抱えて、守るように亡くなっていた。
私と別れてからお爺さんの心境に何があったんだろう……
私は街の瓦礫の上に立ち、空に浮かぶ飛空戦艦を見上げる。
彼らは、世界の為ではなく、『世界を救った功績』により中央大陸より権力が欲しくて軍を派遣し、その為には同族である国家まで潰しただけでなく、仲間の船さえ躊躇なく攻撃した……。
でも、街では自分の命を捨ててでも、亜人の子供を守ろうとしたお爺さんのような人もいる。
これが……『人間』なのか……。
向こうの空では、フィオレファータに向かっていった飛空戦艦が、碌にダメージも与えられずに次々と墜とされていく様子が見えた。
これだけの戦力でも、わずかな足止め程度にしかなっていない。
それでもこの状況で、私の頭上に浮かぶ一際大きな飛空戦艦が私に全ての砲門を向けていた。
おそらくはあの船が将軍とやらの船なのだろうか? この状況でも彼は私を倒す名誉と栄光とやらを欲しているの……?
「……っ!?」
砲撃がされるその瞬間、空に光の線が奔り、将軍の飛空戦艦を撃ち抜いた。
「何が……」
突然の出来事に一瞬呆けていると、遠くの空より飛び迫る幾つもの鳥のような影が目に飛び込んできた。あれって……
「……ドラゴンっ!」
点にしか見えなかったその影がもの凄い速さで飛来すると、様々な色の十数体のドラゴン達は私の周囲にいた飛空戦艦をブレスで焼き払い、半分のドラゴンがフィオレファータに向かっていった。
残った半分のドラゴンの中から、一際大きな金色のドラゴンが瓦礫を吹き飛ばしながら舞い降りると、黄金のは虫類の瞳でジッと私を見つめた。
『お主が今代の魔王か。世界樹の『声』は届いた。我が背に乗れ』
「え……」
『急げっ! 同胞が押さえているが、悪魔公が相手では長くは保たんぞっ』
「う、うんっ」
勢いに飲まれて瓦礫から金竜の背に飛び乗ると、金竜は巨大な翼を広げて大地から飛び立ち、私を乗せたまま大空に舞い上がる。
『魔王よ、次の場所は?』
「南に……」
『全竜、南へっ』
「ま、待ってっ! 私はフィオレファータを…」
流されそうになった私が正気に戻ってそう言うと、金竜は南へと向かいながら優しい声をかけてきた。
『分かっておる。足止めをしている同胞が最後の一体になった時、こちらへ誘導することになっている』
「それだと、あなたの仲間が……」
それでも続けようとする私の言葉を、金竜は軽く背を震わせて遮った。
『問題ない。我らは今まで、人族が若木を占有しようとも、俗世の事には関わらずに生きてきた。たとえそれで滅びようと、他の生き物より強大な力を持つ我らは、一つの種族だけを滅ぼすような真似は出来なかったのだ』
「でも……」
『聴け。幼い魔王よ……。それももう終わりだ。この世界の人族と、異界の者の邪心によって魔界より災厄が訪れた。それを幼いお主一人にどうして背負わせることが出来ようか』
「…………」
『魔王よ』
金竜の後を飛んでいた他の竜達が私を取り囲むように旋回をはじめ、金竜は静かに言葉を続ける。
『世界樹も心配している。お前は“独り”ではない』
「……うん」
私は小さく頷いて金竜の背中に顔を押し付ける。
そのまま景色が凄い速さで流れて、数百キロの海を数十分で渡ると、次の目的である島国サンイートが見えてきた。
『さあ、魔王よ。魔王として我らに命を下せっ!』
「……城を落として、世界樹の若木を解放するっ!」
『心得たっ』
金竜が咆吼をあげ、追従していた六体のドラゴンも一斉に空に吠える。
心を砕くと言われる竜の咆吼により恐慌状態に陥った街を飛び越え、城を容易く破壊すると、私の手に世界樹がまた白い魔石を送ってくれた。
通常、一般的な物語だと、一般人である主人公が戦士として成長することで、殺すことの忌避感を克服していきますが、シェディの場合は、何もないからこそ生きる為に悪魔となり、悪魔になって他者と触れあうようになって、逆に、“人”の心を理解しはじめました。
次回、世界中で動き出す魔物達




