80 悪魔公・邪妖帝フィオレファータ
第五章【決戦】の始まりです。
「なによ……コレ」
イグドラシア西方の大国、魔都カランサンクにて、魔術の勇者【聖女】マーリーンは世界を騒がす『邪妖精召喚事件』の首謀者であるブライアンの計画に乗り、彼の目的である『魔王への復讐』のため『妖精王』の召喚に協力した。
その妖精王と呼ばれるモノはお伽話にも出てくる架空の存在で、悪い子は妖精界に連れて行かれるとか、善いことをすると妖精が贈り物を届けてくれるなど、絵本に出てくる子供だましのような存在だった。
異次元の存在を知るマーリーンでも、そんなモノが在るとは信じていない。
でもその報酬と、この計画に永らく停滞してきた魔術の発展の可能性を感じ、そしてなにより、ブライアンの狂気の果てに何があるのか、そんなほんの少しの好奇心でマーリーンは彼に力を貸したのだ。
ブライアンの仲間である各国から逃亡した特級犯罪者と、真理の塔の魔術師達が協力して史上かつてない世界規模の魔法陣が構築され、マーリーンの要請により各国の若木より魔力を徴収してついに起動した魔法陣から、その『存在』が現れた。
全身真っ黒の枯れ木のように細長い手足と胴体を持つ、異形のモノ。
ボロボロに擦り切れた昆虫のような半透明の羽が蠢く様に心がざわつく。
最初は力を感じなかった。外見こそはおぞましいが、何か『音』のようなものを鳴らし続けるそれを見て、何か間違って奇妙なモノでも呼び出したのかと考えた。
でも、それは間違いだった。
マーリーンの『勇者』としての本能が“違う”と言っていた。
他の誰もその力を理解できない。勇者として准魔王級の敵と戦ってきたマーリーンだからこそ、その“違和感”に気付いた。
巨大すぎる『柱』を間近で見たなら、ただの人はそれを『壁』だと思い、行き止まりだと考え脚を止める。
でもマーリーンは経験からそれが『壁』ではなく『柱』であり、その先があるのだと理解できてしまった。
その玉子のような何もない真っ黒な表面に亀裂のような“笑み”が浮かび、明確に言葉のような“音”を漏らしたとき、マーリーンはその正体を理解した。
――“邪神”だ――
それを理解した瞬間、マーリーンは胸元のネックレスを引き千切り、中央の特殊な魔石を魔力で砕きながら全力で声を張り上げた。
「特級警戒警報っ!! カランサンクにて『破滅級』の存在を確認っ! 勇者の名において世界各国に最大規模の警戒を要請するっ!!」
特殊魔石が魔力飽和して消えると同時にその中に封じられていた魔法陣が起動して、世界中の人間国家にマーリーンの言葉が伝えられた。
真理の塔にけたたましく警戒音が鳴り響き、真理の塔を警備する魔導騎士達がマーリーンより支給された魔素兵器のアサルトライフルを構えて駆けつける。
「マーリーン様っ! 何事ですかっ!」
「何だこの魔物はっ!?」
「破滅級の魔物とはいったい……」
「う、撃てッ!!」
ダダダダダダダダダダダダダダダッ!!!
アサルトライフルから放たれた弾丸が、召喚された仮定『邪神』に雨のように降り注ぐ。だが、邪神はそれに対して何の反応も示さない。
魔物などの人類の敵には戦闘力の他に危険度を示す等級があり、総合戦闘力だけでは測りきれない特殊能力などを含めた指標があった。
【災害級】は、町が滅びる可能性があり、国家が軍や騎士団を派遣する。
【天災級】は、大都市や小国が滅びる可能性があり、国家が生存を掛けて対処する。
【災厄級】になると、その大陸の人類が滅びる可能性があり、複数の国家が勇者を中心に力を合わせて戦うレベルになる。
一般的に『魔王級』は初期段階の准魔王級なら【天災級】に認定され、そこから複数の国家に魔王と認定されれば【災厄級】と呼ばれるようになる。
今代の魔王・白兎の場合は、行動や思想が人類に対して大きな危険であると判断されて『魔王』と認定されたが、目的が『世界樹の若木破壊』に限られており、単体の攻撃力が歴代の魔王と比べて低いことから、危険度は【天災級】のままとなっていった。
だが、魔王である【災厄級】を超える【破滅級】は危険度の桁が違う。
これは人類が対処できる範囲を超えた『神』級の存在であり、それが牙を剥くのなら世界そのものが滅びる可能性すらあった。
魔王級と比べても幼児と大人ほどの差がある。
『白兎を倒す為』と、こんな『害獣駆除に森を焼き払う』ような真似をしたブライアンは何を考えているのか。
マーリーンが邪神から意識を逸らさず彼に視線を向けると、ブライアンは陶然とした表情でまだモニターに映る『白兎』に語りかけていた。
「さあ、いよいよ僕の……いいや、君の望みが叶うよ。ウサギちゃんにこんな身体にされて、君が憎くて憎くて、君のことばかりを考えていた……。でもあるとき不意に気付いたんだ。『世界を壊したい』ってこんな気持ちなんだね。そう気付いたら僕は、君の気持ちが解るようになったよ。フフ……もしかしたら僕は君に恋をしていたのかもしれないね。だから君のために、世界を壊して、君も壊して、僕も壊れる……」
自分の死すら望んだ世界の破滅。その狂人の戯言にマーリーンの背筋に怖気が奔り、即座に自分の使える最上級魔術を唱えた。
「――【凍結】――っ!!」
敵単体を完全に凍らせて破壊する第六階級魔術【凍結】は、敵の残り体力に関係なく効果を発揮すれば必ず殺すことが出来る。
最初は怒りにまかせてブライアンを殺そうかと考えた。だが、ブライアンには脅威となるような戦闘能力はなく、マーリーンの中にあった【勇者】としての自負と自尊心が魔術の行使を邪神へ向かわせた。
「……なっ」
渾身の力で放った【凍結】が、邪神の表面で氷の塵となって消滅した。
怒り任せであってもマーリーンは手を抜いていない。そもそもこれを呼び出した原因の一つが自分なのだから、自分が先頭に立って対処しなければ、これまでの人生で得たものを全て失いかねない。
だから倒すつもりで全力で撃った。仮にレジストされるとしてもその防ぎ方で相手の力も推測できる。
だが邪神はただ宙に浮かんでいるだけで何もしなかった。防ぐでも避けるでもなく、ただ何も通じなかった。全身鎧を着た戦士に子供が雪玉をぶつけたように、気付いてさえもらえなかったのだ。
いや、少し違う……。
マーリーンが行った攻撃によって、邪神がはじめて自分から行動を開始する。
『‡∴*∋**†』
それは邪神が発した音……『言葉』だった。
その瞬間、周囲に虹色の光が波紋のように広がると、特級警戒警報の発令により集まってきていた魔導騎士達から異変が始まった。
「な、なんだっ!?」
「うわぁああああああああああああああっ!?」
「う、腕が、脚がぁあああああっ!」
騎士達の肌が『灰色』に染まり、その内側から煮立つようにボコボコと脹れると、その灰色の肌を突き破るように、灰色の『花の蕾』のようなものが外に出てきた。
自分の身体に起こった未知の異変と恐怖に騎士達が半狂乱で転げ回るが、騎士達はまるで『蕾』に養分を吸い取られるように力が衰え、それを引き抜くことさえ出来なかった。
この花の蕾は何なのか? 邪神の発した光を浴びた生物に起こった異変は何なのか?
ただの光でカランサンク最高峰の騎士達が何も出来ずに無力化された。
だがそれは、邪神――悪魔からの攻撃ですらなく、ただの始まりを告げる『祝福』でしかなかったのだ。
「くひょっ」
突然灰色に冒された騎士の一人が恍惚とした表情で崩れ落ちると、その灰色に完全に染まった身体がゆっくりと溶け始め、灰色の蕾が一斉に花開いた。
甘い香りのする灰色の花……その香りを嗅いだ者は苗床になった騎士と同じように表情が蕩け、その花から小さな『邪妖精』が溢れはじめる。
羽の生えたミイラのように痩せた邪悪な姿の妖精に、香りに冒された騎士達が蕩けるような顔で手を伸ばすと、邪妖精達は邪悪な笑みを浮かべて喉笛に喰らいついて殺していった。
魔力の弱い騎士から次々と苗床になり、邪妖精を生みだし、殺されていく。
その中でブライアンだけが灰色に冒されることなく、歪んだ笑顔で異様な高笑いをあげていた。
「さあ、『邪妖帝』よ。魔界の神よっ! この世界と地球を喰らい世界を浄化しろっ。あはははははははははははははははははははははははははっ!!!」
「くっ!」
おそらく魔力の低い者から抵抗できずに苗床にされていくのだろう。左腕を徐々に浸食されながらも魔力で『灰色』を食い止めていたマーリーンは、その絶望しかない光景の中で最後の使い捨ての魔道具を使い、カランサンクから転移して逃亡した。
邪妖帝と呼んだ悪魔と苗床になった騎士達の中で、ブライアンだけが狂ったように嗤い続ける。
彼がただ一人無事だったのは、本体が地球にある義体アバターのおかげだった。
だが、その【義体】という在り方は邪妖帝に地球の存在を知らしめ、その穢れた魂が数多あるその世界に興味を抱かせた。
この世界とその世界。戯れで人が使う召喚に乗って現世に赴いたが、自分が興味を抱くほどのモノがあることを喜び、邪妖帝はその世界との繋がりであるブライアンに枯れ木のような黒い手を伸ばした。
「がはっ!」
その瞬間、ブライアンの心臓を内側から片刃の直刀が貫いた。
その刃を見下ろしてブライアンが恍惚とした表情で嗤い、刃がそのままブライアンを頭頂まで切り裂くと、彼の身体は光の粒子になって消える。
邪妖帝は次々と消えていくモニターの中、最後に消えるモニターに、カプセルに眠る男に刃を突き立てながら真っ赤な瞳で自分を睨む『白い兎少女』の姿を見て、何もない無貌の顔に裂け目のような深い笑みを浮かべた。
邪妖帝は上位者である自分を恐怖しない奇妙な悪魔である『白い少女』に興味を移し、二体の悪魔は互いを『邪魔をする敵』だと認識しました。
次回、シェディの帰還。その帰り道。




