73 人の罪
唐突に都市から電気が失われ、闇に包まれた街では人々の悲鳴や怒声が響き、事故で起きた火災が黒煙を空に巻き上げる。
私はビルの上を跳びはねるように移動して、高いビルの上から第七研究所に目を向けると、やはりと言うべきか自家発電に切り替えていた。
それでも第四研究所より発電量が少ないのかドローンの数があきらかに減って、襲撃を警戒した軍人達が慌ただしく動きだしている。
第四研究所の教訓からか、クラッキング対策にメイン設備やコンピューターはネットから隔離されているみたい。【次元干渉】を使えば直接クラッキングも出来ると思うけど、まだ慣れていないから細かい操作は難しい。
でもまぁ、同じ【次元干渉】の能力を確かめるのなら、もう一つの『能力』を試したほうがいいだろう。
私は手の平を第七研究所の建物の屋上に向けてジッと目を凝らすと、【次元干渉】を使ってその場所に次元の歪みを作る。
フッ…と私の姿がビルの屋上から消えて――
「うえっ!?」
私の姿は第七研究所の屋上へ『転移』し、足が30センチ程浮いていたので転びそうになりながらも、私はクルリと前受け身をするように移動して物陰に身を隠した。
これはちょっと使いづらい……。初めて『空間転移』をしてみたけど、私は周りを霧を使って認識しているから、それがいきなり変わって戸惑ってしまった。
多分、慣れていないせいだと思うけど、視界に入る場所にしか飛べないし、たった数百メートル転移しただけで魔力が5000も減っちゃった。
まぁ仕方ない。転移系はイグドラシアに戻ってから練習しよう。
気を取り直してカメラを気にしつつ屋上の入り口に向かう。電子干渉が次元干渉に進化して、デジタル式のカメラに私の姿はまず映らないと思うけど、アナログ式なら映っちゃうし、人間だった頃の感覚が残っているのかカメラに映ると何となく落ち着かない気分になる。……私だけ?
電子ロックを三つ解除して研究所内に侵入すると、吹き抜け状の避難口を兼ねる階段室だった。監視カメラはあるけどそんなに多くない。カメラは180度の視界があるけどモニターに映るのはその半分程度で、残りは動体センサーしかないので映っても問題はない。多分。
私は重さを必要最低限まで落とすと、人間とは隔絶した身体能力を使って一階まで階段室を一気に飛び降りる。
上階にいる一般職員は放置する。街中のビルにあった第十二研究所では重要な設備は上にあったけど、実験工廠設備があった第四研究所では爆撃などで消失を避けるためか重要な設備は地下深くにあり、それらを扱う上級の研究員も大部分はそちらにいた。
ここは造り的に第四研究所に近いから、ここも重要設備は地下にあると仮定して下から攻めることにした。
とはいえこの階段では地下一階までしか降りられなかった。ここが第四研究所と同じならさらに地下に行くには専用のエレベーターを使うしかない。
「その前に……」
地下の発電設備やコンピューターは細かく遮断されているので直接手出しはまだ出来ないけど、上層にある設備をクラッキングして衛星通信設備を封じておく。
階段室から地下一階に入り、私は最下層に降りるエレベーターを目指した。
研究員や職員はほぼいない。でもその代わりに暗視装置や赤外線感知のマスクを被ったフル装備の兵士達が二人一組で巡回していた。
……電子装備だと私は見えないよ? 私は片刃の直刀とコンバットナイフを構えて音もなく忍び寄り、カメラの無い位置で、歩いていた二人の軍人の首に深く刃を突き刺して同時に息の根を止める。
零れた血を凍結させて吹き飛ばし、軍人の死体を手近な部屋の隅に押し込むと、即座に移動して次々と軍人達を無力化していった。
それにしてもエレベーターはどこにあるんだろ? ここまでやって実は地下がなかったとかだったらちょっとヘコむ。
「……あ」
ふと思いついて無力化した軍人の持っていた携帯端末にアクセスすると、やっぱりと言うべきかこの階層の地図がインストールしてあった。
なるほどね……。そこから出会った軍人を無力化しながら、少し移動して何の表示もされていない扉からその部屋に入り、そのまま奥へと進んで何もない壁に触れると、偽装してあった最下層へのエレベーターを発見した。
でもバカ正直にエレベーターを起動せず、ドアを静かにこじ開けてエレベーターシャフト内から地下六階相当にある最下層まで飛び降りる。地下の二層から五層の部分には施設はなく、上層にある建物部分の基礎になるみたい。
この階にエレベーターが来てたら相当間抜けな絵面になったけど、エレベーターは下にあってホッとした。
エレベーターの箱を片手で持ち上げ、最下層に通じるエレベーターの扉をそっとこじ開けると、やけにゴツい装備をした兵士が一人でその場を警備していた。
霧を出して確認したけど本当に一人だった。もしかしてあの鎧のような装備はパワーアシスト系の装備だろうか? その装備にどれだけの自信を持っているのか知らないけど、確かにあれだと手持ちの刃物じゃ貫通するのは難しいかも。
私の爪なら切り裂けると思うけど、別にそれをする必要も感じなかった。
タンッと扉の隙間から霧化して抜け出し、そのまま軍人の真上まで移動してその背後に回るようにして人化した私は、そのまま軍人の首を180度ほどへし折って息の根を止めた。でも――
「……え?」
突然鳴り響く警報音。もしかしてこの鎧に何か仕掛けてあったのかと見てみると、仕掛けがあったのは装備ではなく、この軍人だった。
「……義体アバターっ?」
鎧装備の隙間から光の粒子が漏れて装備だけがへたりと床に転がる。
こっちの世界で使える魔力のないアバターは、誰が使っても一般人の七割程度の身体能力しか無い。だからこそ軍利用出来るアバターを開発するために魔素の研究をしていたのだから、こっちではアバターは使わないと思っていたけど……ああ、そっか。だからこそのパワーアシスト装備か。
魔素を無駄に消費するより電力で補うことにしたのだろう。ここの発電量が少ないと感じたのもこれを使っているせいかもしれない。
そんなことを考えていると通路の奥からフル装備の兵士達が駆けつけてきた。
「目標発見っ」
「電子装備に頼るなっ! 目視で狙えっ!」
「――確認っ。例の兎娘……【№13】だっ!」
「シットッ! またこっちに来てたのかっ、この悪魔めっ!」
『悪魔』ねぇ……確かに私は悪魔だけど、彼らの口ぶりだと本物の悪魔に対する言葉と言うよりも、信心深い人が相手を貶める時に使うような響きを感じた。
まぁ、どっちでもいいけどね……。
軍人達の魔素兵器のアサルトライフルから通路を埋め尽くすように魔力付きの弾丸が放たれる。いくら魔素兵器でも前回地球に来た戦闘力が1万程度の頃ならともかく、今の戦闘力なら当たっても豆をぶつけられた程度のダメージしかない。
そんなことよりも、ここまで正体がバレないように慎重にやってきたのに、こんな所でバレたことにちょっと落ち込む。
「はぁ~~」
まぁいいか。そろそろ限界だと思っていたし、通信設備は使えなくしておいたから情報が回るまで時間は掛かるだろう…と自分を慰め、もう自重する必要はないと極低温の霧を吹き出し、通路を埋める弾丸と兵士を纏めて凍結させた。
***
「やっぱり……あの子なのね」
現第七研究所副所長であるオードリーは軍人からの報告を聞いて、悪い予感が現実となったことに軽い頭痛を感じて眉間を押さえる。
魔物義体アバターを使って異世界に降り立ち、その命尽きるまで戦い、最後には本物の“人外”となって復讐のために舞い戻ってきた白い少女――【№13】。
彼女はあの時、自分のことを『悪魔』と言った。それを恐怖と驚異と共に上層部へ報告したが、上層部と政府関係者はそれを『宗教上の“悪”としての宣言』という狂人の戯言としか捉えず、異世界と地球を行き来出来る“能力者”として彼女の確保と能力の検証を各研究所に命じた。
あれはそんな生易しいものじゃない。本当に悪魔のような力を持っている。
異世界での大量虐殺や魔物兵器アバターとの戦闘記録を報告しても、彼らは異世界だから起こりうる出来事だと、対岸の火事に対して脅威を抱くことはなかった。
「副所長っ! 第四から第七区画沈黙っ」
「第九区画の軍人達のシグナルが途絶えましたっ!」
「メイン発電施設が落ちましたっ! 予備電力に切り替えますっ」
「生命維持システム、低温により効率低下っ」
「データサーバーの一部が反応ありませんっ!」
職員達から悲鳴のような惨劇の報告が届く。
今まで姿を見せなかったが、あの【№13】が本気になればここまでのことが出来るのだ。報告が正しければ、ここを警備する生身の軍人二人と、職員四人、そしてオードリーがいるこのコントロールルームが落とされれば、魔素の軍事関連データはほぼ消失することになる。
残るのは第十二研究所が管理する魔素で成長するプレイヤーアバターと、完成品として軍部に渡された一部の魔素兵器の情報だけで、現在完成しつつある魔物兵器アバターとその地球での運用方法はこの地下の闇の中に消える。
ガキンッ! とチタン鋼の扉に衝撃が奔り、それが何度か繰り返されると亀裂から霧が吹きだし、それは見る間に人の姿――兎の耳を生やした白い少女、【№13】の姿に変わる。
「近寄らせるなっ!」
「死守しろっ」
二人の軍人が魔素兵器のアサルトライフルを構え、恐怖に混乱した職員が携帯していた拳銃を抜き放つ。
「止めなさいっ!」
思わずオードリーが声を挙げる。そんなものは彼女には無駄だと分かっていた。
だがその警告が届く間もなく、撃たれる銃弾の中で【№13】がこちらに向けた手の平を握ると、銃を構えていた全ての人間が全身から血を吹きだして血の海に沈んだ。
「……ぁ…ああ……」
ただ一人生き残ったオードリーが呻くように腰を抜かして崩れ落ちる。
そんなオードリーに【№13】は兎の耳を揺らすように首を傾げると、突然思い出したかのように口を開いた。
「ああ、あなただったのね。お久しぶり」
「…………」
まるで道端で通りすがりの知人にでも会ったかのような口調に、これだけの人を殺しておいて何を言ってるのだと、オードリーの心に怒りにも似た活力が戻る。
「あなたっ! これだけ人を殺して何も感じないのっ!?」
だがそれを聞いた【№13】は微かに目を細める。
「食べる以外に“生き物”を殺すのは、確かに気分は良くないわよ?」
「生き物って……」
まるで鹿や鴨を撃つハンティングでもしているようなその言葉に、オードリーは愕然とする。
「本当に何も感じないのっ!? 彼らにだって、両親や愛する家族がいたのよっ!」
その言葉が室内に響き、シェディは静かにオードリーに近づくと彼女を冷たく見下ろした。
「愛する家族? 何それ? 両親? 私の親だった人間は私を邪魔だと蹴り飛ばして、私の首を絞めて殺そうとしたよ?」
――それが人間なんじゃないの?――
真っ赤な瞳がそう言っている気がしてオードリーは言葉を無くす。
資料から彼女の家庭環境は知っているつもりだった。施設の大人が彼女を虐待していたのも噂で知っていた。
彼女は……【№13】は生まれてから一度も愛を受けたことがないと、オードリーは初めて思い知り、人間の罪深さがこの【№13】という悪魔を生みだしたのだと、犯したその罪の深さを悟った。
「私の大事なものは、99人の仲間とそれから――まぁ、どうでもいいわ。それよりもデータを流した軍の基地を教えてくれる? 教えてくれたらここで殺さないであげる」
「…………」
オードリーから情報を聞き出し、第七研究所のデータを破壊すると、【№13】はそのまま闇に溶けるように消えて、オードリーは助けが来るまで数日間、膝を抱えて俯くことしか出来なかった。
シェディは親であった人間のことはもう気にしていません。と言うより、人を辞めて悪魔となったことで、すっかり興味を失いました。
現在大事なことは、99人の裏αテスターを弔うことと、少ない眷属達。そしてある『約束』ですが、ここら辺はラストに関わってきます。
次回、場面はまたイグドラシアに戻ります。




