72 悪の意味
シリアス気味。
「ねぇ、シェディ様ぁ、私そろそろネット回線使ってもいいですかぁ?」
ハイウェイにある電気スタンドで電気自動車に充電途中、いつものパーカーとデニムのミニスカート姿で黄昏れていた私に、自称魔王の信者ジェニファーがソワソワした様子で自分の携帯端末を目の前で揺らしながら尋ねてきた。
「……私のことを話さないならいいわよ?」
「うっ……」
どうやら今まで私のことがバレないようにジェニファーは自重していたみたいだったけど、そろそろインターネット中毒患者の症状が出始めたらしい。
図星をつかれたジェニファーは、自己弁護をするように何か言い始める。
「で、でも、私達のネットサーバーは、うちの会社の情報部でも侵入できないほどセキュリティーがしっかりしてますし、グループメンバーはあの世界が異世界だって気付いてますよ?」
「……え?」
私が驚いて顔を向けると、ジェニファーが自慢げに薄い胸を張る。
「元々うちのグループ内で、あの世界はリアルすぎて怪しいってことで調べ始めて、私が廃棄された社内のログを復元して、真実を知ったのです。すっごいでしょっ」
「…………」
自力でそこまで辿り着いたのか。残念な人なのに優秀ね……。それでも外部に異世界のことが知られているのは良くない。ジェニファーはどうしてあの企業が、こんな世紀の大発見を隠蔽しているのか、何も考えなかったのだろうか?
向こう側とは行き来できないけど、魔素という未知のエネルギー、それを扱う技術。今はまだ魔道具のような形での兵器転用しかしていないけど、情報が拡散すればこの世界でも“魔術”を使えるようになるかもしれない。
攻撃魔法や治癒魔法でも、無手で車両を破壊し、四肢の欠損さえも瞬く間に治癒するそれらを知れば、今の数十倍の魔素を求めてイナゴのように群がってくるだろう。
今はまだ一国が情報を独占しているから、イグドラシアでもこちらでも大きな混乱は起きていないし、私でも穏便に対処できる。
でも、世界中がそれを知って、侵略をしようとするのなら……私はこの地球の文明を破壊する。たとえ全人類が滅びることになっても。
「……し、シェディ様……? なんか寒いんですけど……」
「そう? とりあえず、“真実”を知っている人を教えてくれる?」
私が冷気と悪魔の気配を漂わせながら、ちらりと赤い瞳を向けると、ジェニファーがビクッとして背筋を伸ばした。
「だ、だだだだ、ダメですっ、殺しちゃっ。中東の王族とか、高名な著名人とかもいるんですよっ」
ジェニファーが焦った感じで色々と名前を教えてくれたけど。
「誰も知らない」
「えええええ………」
「まぁいいわ……。ジェニファー。あなた、誰かが公表しようとしたら、私が国ごと消し去るって脅しておいてね」
「り、了解しましたっ!」
第七研究所関連の惨劇を知っているジェニファーの顔が引き攣る。とりあえずそれはいいとして。
「ネットで何するの?」
「えっと……しばらくイグドラシアにもログインしてませんし、最新情報も見ておきたいかなぁ……と」
「その端末でログインできるの?」
「ああ、アバターにフルダイブは無理ですよぉ。でもログインすればVR掲示板とか使えますし」
「へぇ……あなたのログインID、貸してくれる?」
「え? あ、いいですけど……?」
ジェニファーが首を傾げながらも不思議そうに携帯端末を差し出した。
基本的に個人IDでログインするには、生体認証が必要になるので他人は使えない。でも私は、彼女の端末に自分のプリペイド式端末をコツンとぶつけるようにしてジェニファーのIDをコピーすると、【電子干渉】を使ってシークレットモードのログイン状態にしながら、私が以前使っていて破棄されていた【№13】のIDを復元する。
シークレットモードを維持しながらジェニファーの言っていた掲示板とやらのログを漁ると、向こうの状況が少し見えてきた。
邪妖精? なにそれ? そんなものが暴れて人族国家を襲っているみたい。正体は不明? 運営側のイベントでもなさそうだけど。兵器アバターとも何か違う気がする。
それと勇者が一人行方不明? あの変な奴なら死んでほしいけど。
……ん?
ピロリロリン、と奇妙な音がして視界の隅に何かのマークが浮かんだ。これって……メール? どうしてこんなものが? 送信元を確認すると文字ではなくて『樹』のようなマークが書いてあった。
まさか……【世界樹】っ!?
「……え?」
メールが自動で開封され一瞬でログアウトすると、現実の私の前に二つの白い魔石が浮かんでいた。
これって【若木】の魔石? そう気付いた瞬間、魔石は私に吸い込まれて私の力が増した感覚があった。
【シェディ】【種族:バニーガール】【大悪魔-Lv.23】
・人を惑わし運命に導く兎の悪魔。ラプラスの魔物。
【魔力値:81300/91000】6000Up
【総合戦闘力:90400/100100】6600Up
【固有能力:《因果改変》《次元干渉》《吸収》《物質化》】
【種族能力:《畏れ》《霧化》】
【簡易鑑定】【人化(素敵)】【亜空間収納】
【魔王】
間違いじゃない。裏αテスターの魂が新しい世界樹の【若木】になった時に貰える白い魔石だ。しかも【№01】の電子干渉が進化している?
これは電子関連だけじゃなく範囲が広がり、空間そのものへ干渉できるようになった感じ……かな。
でもどういう事だろう? 私以外の誰かが既存の若木を破壊したのかな? 亜人のレジスタンスにそこまでの力はまだないと思っていたけど地方の小国ならいけるのか。
人族の暴挙を許してしまった彼らにはそれだけの覚悟があるのだろう。それなら私も何も言わない。
でもまぁ、世界樹が私のラインを使って、地球まで魔石を送りつけてくるとは思わなかった。……意外と器用で吃驚した。
「どうしたんですか?」
「ううん、なんでもないよ。それよりそろそろ出発しようか」
「はーいっ」
意味が分からず不思議そうにするジェニファーに軽く微笑んで、充電の終わった彼女の車に乗り込む。
思い掛けず魔石を得ることが出来て力も上がったし、魔力にも余裕が出来た。これなら新しい能力のお試しで少しだけ無駄遣いもしていいかも。
私は車の窓から身を乗り出して、ハイウェイにあるこちらをジッと監視している一台の監視カメラに向けて、“何か”を潰すように手の平を握りしめた。
***
ネット部門を管轄する第十二研究所において、何の痕跡も残さず警備員全員を殺害したテロリスト――通称【幽霊】。
その目的は同業他社か他国の特殊部隊による産業スパイと思われたが、その推測から警備を厳重にしたはずの第四研究所さえ襲撃され、これもまた何の痕跡も残さず、現場責任者である副所長ジェイスを初めとした主要研究員238名と元傭兵の警備員18名が殺害された。
同時に軍より出向していた50名の軍人達が行方不明となり、その軍人達は一度企業側の不手際(ブライアン錯乱事件。企業側が軍に600万ドルの和解金を支払う)により精神にダメージを受けて尚、わずかな補充要員のみで勤務に復帰した精鋭達であり、彼らの外出記録がないことから、軍部より人体実験をしたのではないかと疑われる事になった。
研究員の殺害も重大な問題だが、その研究成果をすべて収めてネット環境とも隔絶されたスーパーコンピューターも全データと共に破壊され、魔素兵器の実験施設も完膚なきまで破壊された事で、企業側の損害は120億ドルを超えて企業として大きな打撃を受けることになった。
それにより政府と企業は、【幽霊】の目的が『異世界』と『魔素』の情報であると仮定し、東側から来る旅行者を中心に警戒を強め、以前のデータを残していた第七研究所に魔素兵器開発の権限を戻すと、陸軍の特務部隊に警備を依頼した。
同時に企業内の調査部門も、不審な行動をする社員三千二百余名を国内の監視カメラを使用することで24時間監視を行っていたが、ある日突然、メインコンピューターを含めた全てのPCが外部よりのクラッキングを受け、過電圧による使用不能となった事でここ三十年分の要注意者の情報と監視データを損失した。
***
「シェディ様、そろそろ着きますよ~。ガンガン行きましょうっ」
「……そうね」
あれから数日後、例の第七研究所のある州まで到着した。距離的にはそうでもないんだけど、検問とか警官に呼び止められるのが多くなってきて、移動に時間が掛かるようになってきた。
そろそろ限界かな……。いえ、私が次元干渉能力を得て、彼女が怪しまれているデータを消した時点で、私とはもう関わるべきじゃなかった。
「それではお疲れ様。もうここまででいいわ」
「えっ!? 私、終わるまでお伴しますよっ! もちろんイグドラシアでも魔王軍として協力を…」
「ジェニファー」
前のめりになるようなジェニファーの言葉を、軽く威圧を含めた声で止める。
彼女は自分がどれだけ危険か分かってない。あの企業と政府のせいでどこも報道してないけど、第四研究所では沢山死んだ。そしてここでも沢山死ぬ。
それにイグドラシアが現実にある異世界だと知りながらも、彼女はまだ気持ちがゲームの延長でいた。
「イグドラシア……あの世界は、人族が若木から無制限に魔力を奪っているせいで、世界のバランスが崩壊しはじめている」
「え……、そ、それって大変なんじゃ……」
「そうよ。だから私は魔力を奪われている若木を破壊して、人族の手から離した。それ以外の方法がないから」
「それじゃ、あの世界は大丈夫なんですねっ、良かったぁ」
ジェニファーも彼女なりにあの世界に思い入れがあったのだろう。その世界が助かると聞いて明るい顔をする彼女に私は静かに告げる。
「ええ、私がそうする。あの世界に住む人間すべてを犠牲にしてでも」
「……え?」
私の言葉をすぐに理解できなかったのか、ジェニファーがポカンと口を開いた。
「私はあの世界で二十くらい若木を壊した。そのせいで何百万人も死んでいる。これからも沢山死ぬ。それこそ何千万人も」
例えば、現在の地球の都市から電気や石油を奪い、飢えた肉食恐竜が無数に解き放たれたとしたら、どれだけの人間が生き延びられるだろうか?
「で、でも……」
「あの世界は『ゲーム』じゃないの。分かってるでしょ?」
「…………」
あらためてあの世界が『現実』であるという事実に気付いて、ジェニファーが青い顔で下を向く。
世界の『悪』である『魔王』の側につくというのはそういうことだ。
「あなたは『人』の側にいなさい。……じゃあね」
すれ違うように背を向けて、私は第七研究所に向けて走り出す。この手を血に染めるのは『魔王』であり『悪魔』である私だけでいい。
私の言葉の意味を理解したジェニファーは、下を向いたまま、その姿が見えなくなるまでずっと動くことはなかった。
「……それじゃ始めますか」
夜になって光が瞬く、遠くに立ち並ぶビルの街並み。
その中央にぽっかりと抉り取ったような大きなその場所が、あの企業の……私と裏αテスター達を殺した第七研究所だった。
流石にあれだけのことをしてきたから警備が厳重で、遠目に見ただけでも無数のドローンが飛び回り、あきらかに軍隊らしき人達がその敷地内を護っている。
大悪魔の力でごり押しも出来るけど……
私は【因果改変】と【次元干渉】を並列起動して、都市に向けた右手を静かに握りしめると、目に見える全ての街並みから明かりが失われ、都市は闇に包まれた。




