71 傷ついた勇者 後編
亜人達の隠れ里に人族の軍勢が接近していた。
森の中の進軍と言うことで馬や馬車ではなく全員徒歩であったが、その人数が百人ほどと聞いて里の住人に緊張が走る。
「騎士とかいるのか? 食料とかはどうしていた?」
「連中の後方に十人くらい犬種の獣人奴隷がいた。山ほど荷物を背負わされていたが、兵士も荷物を背負っていたから何日分になるかわかんねぇ。ああ、騎士は……たぶん、5~6人だと思う」
「目的は何だ? こっちに向かっているのか?」
「わからん……何かを探しているみたいだったから、ここが見つかるのも時間の問題だと思う……」
エルフの狩人が持ってきてくれた報告に大人達が深刻な顔で話し合う。
亜人達の隠れ里には多くの住人がいるが、若者達や血気盛んな男衆などはレジスタンスとして活動するため里を離れており、残りは戦闘力の乏しい大人や女子供や老人しかいなかった。
「皆さん慌てないで。対策を考えましょう」
「姫さん……」
丸太作りの館からエルフ王族の双子が現れ、その後ろに続く“人族”であるゴールドを見て数人が顔を顰めた。それを見てエルフの姫はわずかに目を細めるとそっと振り返りゴールドを見上げる。
「勇者殿……お話しは聞こえていて? どちらの国だと思います?」
「……おそらくセーズ王国の中隊クラスだろう」
百人ほどで騎士が5~6人なら小隊の隊長と副長が二組。それを纏める指揮官と補佐官で中隊となり、その人数なら小国ではなく大国であろうとゴールドは予想した。
大国がここに攻めてくると知って住人達が息を飲む。そんな大人達の様子に怯えた子供の一人が身体の大きなゴールドに駆け寄ろうとすると、その母親が慌てて抱きかかえてゴールドから離した。
「…………」
「それで……勇者殿はどうなさいますの?」
「姉上……」
それを何も取りなそうとせず話を進めようとする姉に弟が小声で諫めたが、姫はそれを無視してゴールドをジッと見つめる。
「……そいつらが来たら俺が話をしよう」
里に気付かないのならそれでいい。実際、中隊の進軍コースは里からわずかに逸れていたが、やはり斥候に見つかり人族の軍は里の方角に向かってきた。
そしてその翌日、柵で覆われた隠れ里に迫った軍隊から隊長格と思しき男の声が森に響く。
「亜人共っ! 我々はセーズ王国西部外周方面軍、第二師団所属の中隊であるっ。我が国は邪悪なる魔物『邪妖精』に襲われ、それを召喚した逃亡犯罪者を追ってこちらまで来たっ! 大人しく投降して取り調べを受けよっ!」
セーズ王国でも他国同様投獄されていた危険思想犯が脱獄し、それらが召喚したと思われる『邪妖精』の襲撃を受けていた。
それらの拠点を見つけ出して調べた結果、彼らの目的は『邪妖精』による社会の混乱や政治組織の打倒ではなく、国の枠組みすら破壊する大いなる力を欲して、その為に邪妖精を媒介とする『妖精王』なる存在を呼び出す計画を企てていた。
世界各地で起きている襲撃事件が同じ『邪妖精』の召喚を用いていることから首謀者がいることが判明したが、その名が『ブライアン』とだけしか分からず、その足取りは一向につかめなかった。
その中でセーズ王国は西の森に拠点の一つを発見し、逃亡犯とその協力者数名を見つけたが、犯人達は全員服毒して検挙は失敗に終わっている。その担当であった第二師団は特別捜査班として二つの大隊に中隊規模での探索を命じ、西の大森林を八つの中隊が調査を始め、その一つが狩人の残した野営の跡を発見し、分け入った森の奥でこの隠れ里を見つけた。
そしてその里が亜人のものだと知った中隊長は、各地で亜人によるレジスタンス活動も問題になっていることから、今回の件にも関係があると判断して高圧的な態度で隠れ里の住民に無条件降伏を迫った。
だが、それに応じて姿を現したのは、まだ10歳程度のエルフの少女と、大柄な人族の男性だった。
「トールアーンのゴールドだっ! 私の名を知っているものはいるかっ!」
その名を聞いて中隊長は目を見開く。その名は人族なら誰でも知っている【剛剣】の異名をとる【勇者】であり、士爵である彼は数年前に一度だけゴールドを見る機会があってその顔を知っていた。
「おおっ、勇者殿っ。なにゆえにこのような場所に? ここは我らセーズ王国の領域でありますぞっ」
最西部の町からでも千キロ以上の距離がある人族が立ち入らない森を、臆面もなく領土と考えている中隊長に少しだけ眉を顰めながらも、中隊長に向けて声を返した。
「私は修行中の身でこの里の世話になっているっ。ここに貴殿が言うような犯罪者はいないと我が名において約束する。他の地の探索に戻られよ」
「いかに勇者殿のお言葉とはいえ、それは出来ません。我らはセーズ王国の命で動いております故、国内に関することで他国の干渉は受けませんっ。おっと失礼。すでにゴールド殿の祖国はなくなっておりましたな。ご容赦を」
中隊長はそういって慇懃無礼なまでの態度で頭を下げる。
勇者の中でももっとも年上であることから長年尊敬の対象とされてきたゴールドだったが、魔王・白兎と准魔王のトロールキングの同時進行を受けたとは言え、あっさりと若木を破壊されて国の滅亡を防げなかった事から、各国の軍部関係者からもはやその力は衰えているのだと侮りと嘲りを受けるようになっていた。
特に勇者を信奉していた下級騎士達の落胆は大きく、中隊長にしてみれば自分達の想いと期待を裏切ったゴールドに憎しみさえ覚えていたのだ。
「……確かにトールアーンはすでになく、私も王族ではない。だが、勇者として認定されている私の言葉は信じられぬか?」
「あなたにまだその力が有ると? 国さえも護れなかったあなたに? とはいえ、私どもも別に、亜人共に罪を着せたり無闇に迫害するつもりはありません」
「では……」
「今回の件に関係ないと判明した場合は、我が国に税金を払うのならこの集落が存続できるように、師団長閣下に上申しましょう。大金貨にして100枚。それに応じられぬ場合は、里の女子供、動けるものは全員己を奴隷として売り払い、それを納めることを命じるっ!」
「なにっ!?」
中隊長のその言葉に、ゴールドだけでなくその後方で聞いていた里の住民も、自分の耳を疑うように目を剥いた。
「お待ち下さいっ!」
その時、ジッと聞いていたエルフの少女が声をあげ、一歩前に出る。
「なんだ、エルフの娘が何か申し開きがあるのか?」
「あなた方はこの森が人族であるセーズ王国の領土だと仰いました。ですがここは人族の住む地域から遠く離れた、人族が立ち入らぬ場所。それをどうして人族の土地だと言われますか?」
高圧的な中隊長の言葉に毅然とした態度で姫が異議を申し立てると、中隊長は小馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らした。
「そんなこと、世界首脳会議で決まったことだ。全世界の陸地はその地域の若木を管理する国によって統治され、それによって世界に安定が訪れるのだ」
当然のように世界の陸地がすべて人族によって統治されるという中隊長に、姫は微かに目を見開いてそっと目を閉じた。
その物言いは傲慢にも聞こえたが、統治者の立場にしてみると理解できる部分もあった。生き物は縄張りを広げ群が安全に子を育てられる場所を確保しようとする。この里の場所も野生生物の生きる地域を奪って作られた物だから、それで人族だけを悪とするのは間違っていると思った。
だが、人族のやっていることは、縄張りを持つ全ての生物との『共存』を完全に否定する行為で、それは世界の全てと『敵対』することと同義だった。
だからこそ人族は、世界を支える世界樹にさえ見放された。だが、そんなことをこんな末端の軍人に言っても理解はされない。
「わかりました。人族の貨幣ではございませんが、エルフ国で発行したミスリル銀製の白金貨が幾らかございます。それでも足りないと仰るなら、私と弟を奴隷として差し出しましょう。……勇者殿、証人になっていただけますか?」
「姫……それは…」
エルフ国産の白金貨は、大金貨ほどの大きさで、美術的価値も換算すると十倍ほどで取引される。それでも文句を言うようなら自分さえも奴隷として、社会的発言力もある勇者に証人になってくれと言う。
この状況でもゴールドの人情に訴えて、軍隊を倒さないまでも追い払うことは出来ただろう。だがエルフの姫は『勇者』の武力に安易に頼ることはせず、その高貴で気丈な心根にゴールドは心を揺さぶられた。
だが、エルフの姫は、人間の欲望を甘く見すぎていた。
「エルフの娘よ、その願いは住民をすべて奴隷とした上で、その白金貨及び財宝をすべて押収した上で陛下の判断を仰ごう。総員、亜人共を拘束せよっ!」
「なっ……」
ざんっ、と大地を踏み鳴らし、声を失う姫に向けて人族の軍が侵攻を開始する。
「貴公、それでも騎士かっ! 何故、無辜の民に槍を向けるっ!?」
「これは異な事を、勇者殿。亜人共は『人』ではありません。我が国の領土です。そこにある資源は有効に使わねばなりません」
「貴様っ」
ついに本音を漏らした中隊長にゴールドが剣に手を掛ける。
「まさか、勇者であるゴールド殿が我らと敵対しますか? あなたは『世界』を守護する勇者なのでしょう」
「っ!」
中隊長の言葉にゴールドは息を飲む。動けないゴールドを尻目に兵士達が里に押し入り、騎士達に拘束された姫がゴールドを見極めるように彼をジッと見つめていた。
兵士達が亜人達に襲いかかり次々と拘束されていく。勇者としての『立場』から動けないゴールドは、その時、里の奥から聞き慣れた子供の声を聴いた。
「おじさーんっ!」
何かに怯えたのか、エルフの少年ヨールがゴールドの姿を見つけて駆け寄ろうとしていた。その動きに驚いた騎士の一人が反射的に槍を突き出すのを見て、反射的にゴールドは飛び出していた。
「ヨールっ!」
ゴールドは以前、人族を助けて亜人を見殺しにした。そして今、ゴールドは本当の意味であの魔王がいった『命の価値』を理解する。
人族も亜人もない。ただ幼い子供を救うために立ち上がるゴールドの全身から光が放たれ、エルフの姫から託された大剣が自然とゴールドの手に収まり、気がつくとヨールは飛び出したゴールドの腕の中にいて、その周辺にいた騎士や兵士がゴールドの一閃で薙ぎ倒されていた。
「おじさんっ」
「ヨール……無事か」
「勇者殿っ!! 何をしておられるかっ! 勇者として重大な人族への裏切りと捉えますぞっ!」
中隊長の叫ぶような声に顔を向けたゴールドは、迷いの晴れた以前のような不敵な笑みを浮かべて、ミスリルの大剣を構えた。
「そうだ……『人族』じゃない。俺は『世界』を護る勇者だっ! 故にお前らの所業を見過ごすわけにはいかないっ!」
ゴールドの振り下ろした大剣から光が放たれ、中隊の三割が薙ぎ倒されると、人族の軍隊はボロボロになった中隊長を抱えるようにして撤退していった。
「姫……」
人族の脅威が去り、歓声で沸き立つ里の中で、ゴールドは静かに姫の下で跪いた。
「俺は戦うことしか出来ない男だ。頼む……世界の真実を教えてくれ」
「ええ。分かりました。勇者さま」
そうして剛剣の勇者はこの世界の真実を知り、亜人達の先頭に立ち、本当の意味で世界を救うために人族と敵対する道を選んだ。
剛剣の勇者は真実を知りました。
彼は人族にも脅威ですが、ある意味暴走しつつあるレジスタンスのリミッターにもなるんじゃないでしょうか。でもこれで勢力図が少し変わりました。
次回はシェディに場面が戻ります。第七研究所攻略。




