70 傷ついた勇者 前編
勇者のお話
「おーい、ゴールドさん。ちょっと手ぇ貸してくれぇっ」
「おう、わかったっ」
イグドラシア中央大陸の西側、その地の大国であるセーズ王国から、さらに西にある広大な大森林の中に、人族国家に滅ぼされたエルフ国の住人を中心にした亜人達の隠れ里があった。
壮年の――と言っても見た目は三十代の後半だが――エルフの声に、畑仕事中だった大男は鍬を置き、肩に掛けた手縫いで汗を拭う。
「すまねぇなぁ。どうだ? 畑仕事には慣れたか?」
「……悪くない」
エルフの問いかけにゴールドが少し言い淀むように答え、そんな彼の様子に壮年のエルフは静かに破顔した。
「おっと、これなんだが何とかなるか?」
「任せろ」
そこにあったのは畑に半分埋まっていた大岩だった。精霊魔法が使えるエルフなのだから地の精霊に頼めば埋めるなり分解するなり出来そうなものだが、どうやらこの岩には鉄が多く含まれているらしく、鉄は精霊を縛る効果があるそうなので精霊が嫌がっているそうだ。
「……ふんっ!」
ゴールドの全身の筋肉が盛り上がり魔力が迸ると、軽く500キロもありそうな大岩が持ち上がり、ゴールドの肩に担がれた。
「どこに置く?」
「お、おう、ドワーフの爺が鉄が欲しいとか言っとったから、村の隅っこにでも置いておけば勝手に砕いて持ってくだろ」
「わかった」
頼みはしたがまさか持ち上げると思わず、目を白黒させるエルフの言葉に頷いたゴールドが歩き出すと、ズン…ズン…と音がして、近くで遊んでいた子供達がおっかなびっくり近づいてきた。
「……危ないぞ」
「「「…………」」」
ズズンッ、とゴールドが畑から近い村はずれに大岩を下ろすと、ゴールドを窺うように遠くから見ていた子供達の中から、一人のエルフの少年が飛び出してくる。
「おじさんっ」
「ヨール……」
満面の笑みで脚に飛びついてきたヨールに、ゴールドは不器用な笑みを浮かべながら優しくその頭を撫でた。
ゴールドは二ヶ月ほど前、侵攻してくる准魔王であるトロールキングとその軍勢から祖国トールアーンを護るために『勇者』として戦った。だが、それと同時に全世界で猛威を振るっていた魔王・白兎の奸計によって国の護りである結界を破壊され、その結果トールアーン皇国は滅びを迎えた。
その時に単独で准魔王級と戦うことになったゴールドだったが、力及ばすトロールキングに敗れ、その命が尽きる寸前、魔王白兎の『気まぐれ』によって救われた。
あの時に魔王は、ゴールドがその身を捨てて子供を救ったから、そのご褒美にゴールドを見逃すと言った。
何故と問うゴールドに、魔王は亜人奴隷を救わなかったゴールドを揶揄するように、人族とゴブリンの命の差が分からないと言った。
その言葉は、人の命を塵としか思っていない『魔王』だからこその言葉だと感じた。だがゴールドは、魔王の彼を見る蔑むような冷たい視線を受けて、自分が『誰』の為に戦うのか疑問を持ち始めた。
世界に危機が訪れる時、世界を救うために勇者が生まれる。
だが、それは『誰』にとっての世界なのか?
今の世界は人族が全ての若木を掌握し、その魔力を使う事で全世界に広がっている。ゴールドにとって『世界』とは99の若木にある人族国家のことだった。
亜人は人族の役に立つ家畜。ゴブリンやオークは人族の役に立たない害獣。それが人族の一般的な認識であり、ゴールドもそれが当たり前だと教えられてきた。
だが魔王の一言は、その常識に一筋の罅を入れてきた。
ゴールドは答えを求めるように、弱い自分をもう一度鍛え直す旅に出た。
わずかな食料と武具だけを持って深い森に分け入り、自分を襲うすべての生き物と戦い、そのすべてを知ろうとした。
だがその答えは見つからず、飢えと疲労で力尽きたゴールドを救ったのは、森に採取に来ていた小さなエルフの少年だった。
現在、亜人種と人族は敵対状態である。今まで武力によって亜人を虐げ奴隷として扱ってきたが、そのバランスは魔王ただ一人によって崩壊した。
それでも死にかけの男を見殺しにするのは『人』として出来ないと、その少年ヨールの父はゴールドを隠れ里に連れ帰り、厳重な監視下の元で治療されることになった。
意識が戻ったゴールドに里の亜人達は警戒と蔑むような視線を向けていたが、その時に滅ぼされたエルフ国の元王女と王子の双子が現れ、ゴールドをジッと見つめると幾つか話をしただけで『好きなだけ居ていい』と言って去って行った。
意識が戻ったゴールドの下にヨールが頻繁に訪れるようになった。
ヨールには人族に憎しみも偏見もなく、好奇心を満たすように話を聞きたがり、村や森で起きた細々な事や、以前出会った『白い精霊』の話をしてくれた。
ゴールドは困惑する。彼の知る亜人の子供とは、自分を見ると怯えて土下座をするか唇を噛むように睨んでくるかどちらかだった。
だがヨールは、地方の村に住む人族の子供達と何ら変わることがなかった。
ヨールの父親とも話をした。永い年月を生きている彼は非常に理知的で、欲にまみれた祖国の貴族達が『人間』だと言うのなら、彼はどう表現すればいいのか?
ゴールドはヨールの両親達と真摯に向き合い、彼らはそんなゴールドの様子に畑仕事の手伝いをしてみるように勧めた。
初めての農作業。果実と芋を混ぜ合わせた粗末な食事。それでも素手で土に触れ、植えた種から芽が出ているのを見た時、ゴールドは生まれ初めて充実感のようなものを感じた。
真面目に働くゴールドに次第に里の住民も打ち解けていった。
朝日と共に起きて日が暮れるまで働き、里の年寄りと乳酒を飲み交わす。
そして今日、ヨールがゴールドに頭を撫でられていると、エルフやドワーフや獣人の子供達が近づいてきて、身体の大きなゴールドに纏わり付いてきた。
「……ん」
三歳くらいの猫耳の幼女が小さな両手を伸ばして足下からゴールドを見上げる。
「…………」
その意味を数秒考えたゴールドが猫耳幼女を軽々と持ち上げ肩車すると、猫耳幼女の喜ぶ声に他の子供達が我先にとゴールドによじ登り始め、彼は子供達を落とさないように腕や肩に乗せた。……はいいが、それからどうしていいか分からず途方に暮れていると、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、ゴールド~。姫さん達が呼んでるぞーっ」
*
「勇者殿、里の生活には慣れましたか?」
「……はい、おかげさまで」
亡国の王女からの問いかけに、床に敷いた毛皮の上でゴールドは言葉少なげに頭を下げる。このエルフの双子は女児のほうが姉のようで、弟は隣に居ながらも沈黙を守っていた。
他より大きめとはいえ、丸太で組まれた粗末な小屋。そんな彼らの家族を奪ったのが人族だと言うことで、王女の視線に耐えかねてわずかに視線を逸らすと、兎の耳を付けた木彫りの像が目についた。それに気付いた王女がわずかに目を細めて口元に薄く笑みを浮かべる。
「お気づきになりましたか? 我らは皆、魔王様を信奉しております」
「……それは、魔王だから、ですか?」
魔物を統べる者、魔王だから、人ではない亜人は魔王に組するのか? そんな意味を込めた言葉に、王女は以前自分と弟を救った白い少女に思いを馳せ、冷めた視線をゴールドに向ける。
「いいえ。彼女がこの世界でただ一人、『正しい』からです」
「なにっ」
王女の物言いにゴールドが目を見開く。
「あの惨劇が正しかったとっ? あれで何十万もの人が死んだんだぞっ」
「ええ、沢山亡くなりましたね。おそらく逃げ遅れた亜人奴隷も沢山なくなったと思いますよ」
「ならばっ」
「勇者殿」
さらに言い募ろうとするゴールドを王女の声が遮った。
「あなたは誰のために戦っているのですか?」
「っ!」
ゴールドの心の中に刺さったトゲがさらに傷口を広げる。
「エルフには伝承があります。世界樹とその若木は、この世界を支えているのだと」
「それは……知っている」
「ならば、世界を支えるはずの力を、どうして人族が使っているのでしょう?」
「…………」
「安易に答えを与えるより自分で気付いたほうが良いでしょう。それより、ここへ呼んだ理由をお話ししましょう。アレを」
「はい」
王子が後ろに置いていた布に包まれたものをゴールドの前に差し出す。
「……これはっ」
それは強い魔法の力が掛けられたミスリル製の大剣で、その強い輝きにゴールドの手さえ震えた。
「百年前、人族に危険だと殺されたエルフの勇者が……我が祖父が使っていた古代エルフが鍛えた品です」
「…………」
人族以外にも勇者は存在した。だが、それら全員はその勇者を恐れた人族の武力により殺されていた。
「それは……」
「失礼、言葉が過ぎましたね。勇者殿。その剣をお使いください」
「なっ……」
「運良く持ち出せた、エルフ族の秘宝の一つです。勇者ともあろう人が無手では格好がつかないでしょう? どうぞ……『世界』の為にお使い下さい」
「………お預かりする」
人族ではなく世界の為に勇者の力を振るえ。その言葉を受け、まだ形にならない答えに打ちのめされたように頭を下げるゴールドの耳に、誰かの声が聞こえてきた。
「……ひ、人族が攻めてきたっ!」
纏めきれずに前後編。
王女はゴールドのことが嫌いです。王女様と王子様はオークションの時、捕らえられていた子供です。
次回は後編。剛剣の勇者の答えとは。




